【保存版】日高本線(鵡川―様似間)の廃止全24駅を紹介

日高本線(苫小牧駅―様似駅間)のうち116kmが2021年中に廃止されるのに伴い、鵡川駅―様似駅間の24駅が廃止となります。本稿では、日高本線廃止区間である鵡川駅から様似駅までの現在の様子と、各駅の歴史を振り返ります。(トップ写真:様似駅に停車する気動車。2014年9月撮影)

日高本線廃止区間地図

日高本線には「日高●●」と呼ぶ駅が多いのにお気づきでしょう。道内外に同じ読み方をする駅がある場合に旧国名の日高を冠することとしたようです。沿線には町の中心駅もあればひっそりとした郊外にある駅もあります。太平洋岸にある駅もあれば、馬の放牧地帯の中にある牧歌的な駅もあります。トンネルを通っていく駅もあれば、沿線で唯一連絡橋が設置されている駅もあります。

廃止後の終着駅となるのは、むかわ町の中心駅である鵡川駅です。ここから先が不通区間ですが、2021年にはここから先が本当に廃止されます。鵡川駅は廃止後も残ります。

鵡川駅の様似方の鵡川大踏切に置かれた枕木(2016年5月撮影)

廃止区間は116㎞にも及びます。駅は必ずしも海岸線だけにあるわけではなく、内陸の区間にある駅もあります。ですから、車であってもすべての廃止予定駅をまわるのに一日いっぱいかかり、とても大変です。では、廃止される駅を一つ一つご紹介しましょう。

汐見駅(しおみえき)(むかわ町)

汐見駅
汐見駅周辺図

34.5km地点。1959年12月18日開業。国道から離れた汐見地区にある1面1線の無人駅です。駅舎はなくコンクリート造りの待合所が設置されていて、内部には毛布付きソファーが置かれています。踏切が待合所横にあり、砂利のホームが様似方に伸びているほか、ホーム入口には小さな屋根の部分があります。なお、海岸には汐見漁港があり、ししゃもの水産業者も存在します。

富川駅(とみかわえき)(日高町)

富川駅舎
富川駅周辺図

43.6km地点。1913年10月1日に苫小牧軽便鉄道時代に佐瑠太駅として開業。1922年8月21日から1951年12月11日には、富川駅―平取駅間13.1kmを結ぶ沙流軌道(1945年に沙流鉄道に改称)が接続していました。1924年9月6日には当駅から厚賀駅まで延伸する形で日高拓殖鉄道が開業しました。沙流川河口の富川市街地の中心駅として機能してきた当駅は、苫小牧軽便鉄道終着駅・日高拓殖鉄道乗換駅・平取軌道乗換駅として重要な駅だったのです。

当駅は開業時には現在地より500メートルほど南に位置していました(転車台もありました)が、国有化後の1929年11月の改修工事で駅が移転しました。字名改正によって富川駅に改称されたのは1944年4月1日のことでした。

現在は1面1線ですが、駅の前後で緩やかにカーブしているのがわかります。かつて列車交換可能な駅で、構内踏切付きの2面2線の駅だった名残です。現在の単式ホームは旧上り1番線です。駅舎南側には貨物用の切り欠きホームの側線がありました。

1986年に簡易委託化し、後に完全無人駅となりました。1989年には現在の木造駅舎に改築され、売店が設置されていた時代もあります。駅舎向かって右手に、別棟のトイレと電話ボックスが配置されています。

日高門別駅(ひだかもんべつえき)(日高町)

日高門別駅舎
日高門別駅周辺図

51.3km地点。島式ホーム1面2線で、列車交換可能な4駅のうちの一つです。日高門別川河口にある日高門別市街地の中心駅で、1924年9月6日の日高拓殖鉄道延伸に伴って途中駅「門別駅」として開業しました。日高門別駅に改称されたのは1925年2月10日。早くも1977年に簡易委託化し、後に運転要員を含め無人駅となりました。

現在のかわいらしい駅舎は1990年に改築されたもので、2010年の簡易委託終了までキヨスクが営業していました。トイレが付いているほか、町の観光や特産品の紹介スペースがあります。駅前広場にロータリーと駐車場、馬の像を配した時計モニュメント、遊具を配置したミニ公園があります。

駅へは国道側からではなく、南側からアクセスすることになりますが、地元住民は駅のホームの前後の踏切りのない部分を自由に歩いて行き来していました。島式ホームへは駅舎からいったん様似方まで進み、構内踏切を利用してホームへ行き来できました。ホームは駅舎側が上り1番線、逆側が下り2番線です。1番線の苫小牧方には側線が1線あります。

豊郷駅(とよさとえき)(日高町)

豊郷駅舎
豊郷駅周辺図

56.3km地点。1面1線のホームを有する、日高拓殖鉄道の波恵駅(はええき)として1924年9月6日に開業。字名改正により現在の名称に改称したのは1944年4月1日のことでした。1960年には業務委託化し、1977年には無人化しています。

有人駅時代の駅舎は取り壊され、窓ガラスを大きく配した待合スペースだけの駅舎に改築されています。隣の清畠駅ではトイレとなっているスペースは利用できなくなっています。駅前はすぐ目の前を国道が走っており、短い駅前通りとの十字路には信号機が設置されています。

清畠駅(きよはたえき)(日高町)

清畠駅舎
清畠駅周辺図

61.1km地点。隣の豊郷駅と同様、1924年9月6日に日高拓殖鉄道延伸時に開業。当初は慶能舞駅(けのまいえき)でしたが、1944年4月1日に字名改正により現在の名称に改称されました。1977年に無人化しました。

現在は1面1線ですが、かつては側線が1線ありました。有人駅時代の駅舎は取り壊され、隣の豊郷駅と同じ型の待合スペースだけがある駅舎に改築されています。ホーム側にドアを有するトイレが付属しています。ホームの目の前は海岸線です。駅前はロータリーで広場のようになっており、そのすぐ先を国道が走っています。

厚賀駅(あつがえき)(日高町)

厚賀駅舎
厚賀駅周辺図

65.6km地点。厚賀市街地の中心駅で、1924年9月6日に日高拓殖鉄道が延伸された際に終着駅として開業。厚別と賀張の境に位置してたことから両方の頭文字をとって命名しました。1926年12月7日には静内駅まで延伸され中間駅になりました。1977年に運転要員を除き無人化。1989年に駅舎を改築しました。

国道から離れた厚賀市街のメイン道路からほど近い場所にあり、駅前ロータリー、自転車置き場、トイレが併設されています。有人時代の駅舎は取り壊され、アーチ状が美しい木造駅舎に改築されました。かつては駅舎内で売店も営業していたと言います。ホームは1面1線ですが、かつては構内踏切付き2面2線と駅裏の木工場のための貨物用側線を有し、列車交換可能な駅でした。駅舎側が上り1番線で、現在残っているホームは旧1番線のものです。

大狩部駅(おおかりべえき)(新冠町)

大狩部駅 苫小牧方
大狩部駅周辺図

71.1km地点。1958年7月15日に1面1線の無人駅として開業しました。一部列車は通過します。駅は海沿いに位置し、階段を下りホームに立つと塀と海しか見えません。駅舎はありませんが、扉がないコンクリート造りの簡易的な待合スペース、仮設便所が設置されています。テレビドラマのロケ地として使われたことがあります。

国道の坂道の下に位置しており、国道側から入る砂利道も設けられていますが、基本的には国道の下をくりぬいた歩行者用トンネルを利用します。トンネル入口には、大狩部地区の民家が数軒並んでいます。当駅周辺は海岸に沿って線路が敷かれており、2015年から続く不通の要因となった路盤流出・レール変形等の被害は、当駅の前後で確認することができます。

節婦駅(せっぷえき)(新冠町)

節婦駅舎
節婦駅周辺図

73.1km地点。1926年12月7日に日高拓殖鉄道延伸時に開業。駅は1977年に無人化しました。1面1線ですが、もともと島式ホーム1面2線であり、列車交換が可能な駅でした。1987年に貨車を活用した駅舎と仮設便所となりましたが、駅周辺が整備された現在は、トイレと待合スペースを有するこじんまりとした三角屋根の駅舎となっています。また、駅舎側のホームにくっつけるように駅舎が配置されています。節婦市街地の中心駅であり、周辺には民家が並びます。

新冠駅(にいかっぷえき)(新冠町)

新冠駅舎
新冠駅周辺図

77.2km地点。新冠町中心駅。日高拓殖鉄道延伸開業した1926年12月7日に、新冠町に改称する前の自治体名にちなみ「高江駅」として開業しました。現在の駅名に改称されたのは1948年8月1日です。1984年に簡易委託化し、のちに完全無人化しました。

1面1線ですが、かつては島式ホーム1面1線で、列車交換が可能な駅でした。現在は点字ブロックも配置された新たなホームが使用されています。有人時代の駅舎は取り壊され、1999年12月17日に苫小牧方に場所を変える形で改築。バリアフリー設計の「出会いと憩いのセンタ」と名付けられたシンメトリー型の大型駅舎で、駅舎内には待合スペースだけではなく、町の特産品や観光の紹介スペース、トイレが設けられています。

駅前は広いロータリーと駐車スペースとなっており、旧駅舎があった様似方は現在踏切が新設され、その向こうにレ・コード館(道の駅)を見ることができます。新冠町市街地にあるだけあり、周辺は交通量も多く人の姿も確認できます。

静内駅(しずないえき)(新ひだか町)

静内駅舎
静内駅周辺図

82.1km地点。列車交換可能な4駅のうちの一つです。1926年12月7日に日高拓殖鉄道が延伸開業した際に終着駅として開業しました。国鉄日高線になった後、1933年3月10日にはさらに日高三石駅まで延伸され、中間駅になりました。1938年から1959年までは静内機関区、1959年から8年間は日高本線と富川線を管理する日高線管理所(廃止後は静内連区)が置かれていました。

現在、日高管内最大のまちである新ひだか町静内地区の中心駅で、社員配置駅、自動券売機設置駅、みどりの窓口設置駅、苫小牧駅を除く日高本線で唯一改札業務を行う有人駅として営業しています。日高本線の全駅(苫小牧駅を除く)は当駅管理であり、日高本線の列車運行管理も行うなど、重要駅として扱われています。

駅構造は、駅舎側付属の片側ホームと島式ホームによる相対式ホーム2面2線で、構内踏切で移動可能です。かつて2面3線と側線2線、貨物用ホーム引き込み線2線、機関庫など多数の線が構内にあったほか、苫小牧方には製材工場である池内ベニヤ静内工場への専用線が分岐していました。1978年10月には道内6カ所目、日高本線唯一のコンテナ基地(コンテナヤード=1,300平方メートル舗装)が完成しました。

木造平屋建て駅舎は2001年2月3日、延べ床面積205平方メートルの沿線最大(苫小牧駅を除く)の駅舎に改築。観光情報センター「ぽっぽ」、土産店、駅弁も取り扱う立ち食いそば・うどんの西谷弁当店(駅・食堂部にしや)が入っています。駅前ロータリーには路線バスや高速バスが乗り入れています。駅の横には静内警察署駅前交番、駐車場があります。

東静内駅(ひがししずないえき)(新ひだか町)

東静内駅舎
東静内駅周辺図

90.9km地点。1933年12月15日に静内駅-日高三石駅間延伸時に開業。1977年に無人化したのに伴い、駅舎は取り壊されました。1987年に貨車駅舎に、1994年に現在のコンクリート造りの駅舎に改築されました。駅舎は中央に屋根付きの通路があり、左手にトイレ、右手に広い待合スペースが設けられています。

ホームは1面1線ですが、かつては島式ホーム1面2線で列車交換が可能な駅でした。駅舎側の線路が撤去され、下り線だった線が現在使用されています。ロータリーの目の前を国道が走っており、脇には倉庫が建っています。なお、所在地は駅名にちなんで東静内という地名がつけられました。

春立駅(はるたちえき)(新ひだか町)

春立駅舎
春立駅周辺図

97.0km地点。「はるたて」「しゅんりつ」ではなく「はるたち」。1933年12月15日に静内駅―日高三石駅間延伸時に開業。1面1線のホームですが、かつては構内踏切付き、相対式ホーム2面2線に加えて苫小牧方で駅舎側に側線が分岐する、列車交換が可能な駅でした。現在は駅舎側の上り1番線だったホームが使用されています。1977年に簡易委託化し、のちに運転要員を含め完全無人化しました。1987年に貨車駅舎に改築し、2000年に現在の待合スペースを有する木造駅舎に新築。コンクリート造りのトイレは向かって左手に建っています。

日高東別駅(ひだかとうべつえき)(新ひだか町)

日高東別駅 苫小牧方
日高東別駅周辺図

99.4km地点。「ひだかひがしべつ」ではなく「ひだかとうべつ」。1958年7月15日に無人の中間駅として開業。日高本線は春立駅から先は、海を離れて内陸に入ります。当駅は、緩やかなカーブに1面1線のホームが設置されています。コンクリート造りのドアのない待合所、その横に小さなトイレが置かれています。周辺は大きな集落地がなく、ホームの目の前も農地で静か。道道から駅への入り口もわかりにくい場所にあります。

日高三石駅(ひだかみついしえき)(新ひだか町)

日高三石駅舎
日高三石駅周辺図

105.8km地点。新ひだか町三石市街地の中心駅で、1933年12月15日に静内駅から延伸されたときに終着駅として開業しました。1935年10月24日には浦河駅まで延伸されたことにより中間駅になりました。

ホームは1面1線ですが、かつては構内踏切付き、相対式2面2線で列車交換が可能な駅でした。また駅舎側ホームには切り欠きの貨物ホームと引き込み線が設けられていました。現在は上り1番線だったホームを使用しており、旧下り2番線のホームもわずかに残されています。

1984年に簡易委託化し後に完全無人駅となりました。1987年に2両の貨車駅舎になるも、1993年に「ふれあいサテライト三石」と呼ぶ、割と大きめの木造駅舎に改築されました。駅舎内にはトイレと待合スペースが設けられており、かつてはキオスクも営業していました。国道沿いに位置しており、駅前には広い駐車場があります。

蓬栄駅(ほうえいえき)(新ひだか町)

蓬栄駅
蓬栄駅周辺図

109.8km地点。1958年7月15日に無人の中間駅として開業。日高三石駅を出ると、三石川左岸を通って再び内陸を走ります。当駅は1面1線のホームがあり、様似方のホーム出入り口に小さな待合所と、道路沿いなのにドアがないトイレがあります。道路とホームの間には駐輪用設備が置かれています。道路沿いにありますが、ホームの目の前も周辺ものどかな農地です。駅から徒歩10分ほどのところには伝説を残す蓬莱岩があり、日本一大きなしめ縄が設けられる「みついし蓬莱山まつり」が毎年開催されているため、イベント期間中は利用客も多くなったようです。

本桐駅(ほんきりえき)(新ひだか町)

本桐駅舎
本桐駅周辺図

113.0km地点。「ほんぎり」ではなく「ほんきり」。列車交換可能な4駅のうちの一つで、この駅から先、様似駅まで列車交換駅はありません。一部屋根付き、島式ホーム1面2線の駅で、駅舎側は下り1番線、もう一方が上り2番線。それに加えて、様似方から分岐して駅舎側に伸びる側線があります。ホームへは苫小牧方にある構内踏切を利用します。ホームに立つと、緩やかなカーブを描いていることがわかります。

当駅は1935年10月24日、浦河駅まで延伸時に中間駅として開業。1986年に運転要員を含め完全無人化しました。駅裏の広大なスペースは営林署の施設があり、かつて貨物列車で木材の搬出も行われていました。

木造駅舎は有人駅時代から使われてきたもので、その名残が随所に見られます。現在は中央出入り口と向かって右手の待合スペースのみ使用されています。また、向かって右隣にコンクリート造りのトイレが設置されています。駅前は本桐市街地の住宅街が広がります。

荻伏駅(おぎふしえき)(浦河町)

荻伏駅舎
荻伏駅周辺図

120,2km地点。「おぎふせ」ではなく「おぎふし」。1935年10月24日、浦河駅まで延伸時に中間駅として開業。かつて相対式ホーム2面2線の駅で、列車交換が可能な駅でした。また、駅裏には副本線がありました。現在は下り2番線が撤去され、旧上り1番線のみの1面1線になっています。また駅裏は広々とした空き地が広がっています。

有人駅時代の駅舎は撤去され、有蓋緩急車を改造した貨車駅舎が待合スペースとして活用されています。正面出入口にアルミサッシの扉が手前と奥に設置され、そのほか、横からの出入りも可能です。2011年に簡易委託を廃止し完全無人化するまでは、一角に管理人室が設けられていました。美しい画が描かれていますが、これは浦河高校美術部の生徒によるもの。また、トイレが駅舎のはす向かいに設けられています。周辺は荻伏市街地であり、民家が密集しています。

なお、苫小牧方の新ひだか町と浦河町の境界には和寒別トンネル(104メートル)が掘削されました。鳧舞川、谷地川、和寒別川、キナチャウス川など多数の河川を渡る工事が必要でした。様似方には元浦川に鉄けたを建設し、絵笛トンネル(202メートル)、絵笛川を渡りました。

絵笛駅(えふええき)(浦河町)

絵笛駅 様似方
絵笛駅周辺図

125.1km地点。1958年7月15日に無人の中間駅として開業。地名は「えぶえ」と読むにもかかわらず、駅名は「えふえ」と読みます。美しい響きの駅名に調和して、周囲は絵笛川流域に馬の牧場が広がるのどかな地域です。駅前に民家が一軒あるだけで周辺に家がほとんどなく、駅への入口もわかりにくい場所にあります。ホームは1面1線。ホームから階段を使って斜面を降りる形で、2ドアあるコンクリート造りの待合所を利用できます。

絵笛駅から先は向別トンネル(203メートル)と向別川の橋梁を渡り、再び海岸付近に出て、浦河駅に至ります。

浦河駅(うらかわえき)(浦河町)

浦河駅舎
浦河駅周辺図

130.3km地点。1935年10月24日に日高三石駅から延伸時に終着駅として開業。1937年8月10日に様似駅まで延伸時に中間駅になりました。日高振興局所在地で、日高の行政の中心地、浦河町市街地に位置しており、みどりの窓口設置駅、社員配置駅として重要な駅の一つです。

歴史を感じる駅舎は、国道側(海側)とは反対側(山側)の道路沿いにあります。切り立った崖の下を通る旧国道(シベリア街道)沿いにあり、市街地の広がりが見込めないこの場所に駅舎を設けたようです。かつて駅裏は海岸線でしたが(防波堤が鉄道用地と国道の境界に残されている)、駅裏の埋め立てが進んだ現在、駅裏(海側)の国道沿いには浦河町役場、消防署など重要施設が並び、その奥には浦河港が控えています。

停車場は当時、道内初で本州でも珍しかった鉄筋コンクリート造り。駅舎は木造モルタル造りで、大阪近郊の駅の構造をそのまま反映した、当時としてはモダンなものでした。駅前にハイカラな街灯柱が建てられ、電灯の数は40を数えました。駅舎には電話ボックス、郵便ポスト、自動販売機が設置されています。

当駅はかつて、単式と島式の複合ホームで2面3線を有しており、列車交換が可能な駅でした。さらに、駅舎横の様似方に切り欠きの貨物ホームと引き込み線、駅裏側には貨物用1線と石炭荷卸し場への引き込み線などがありました。1986年11月1日に列車交換設備を廃止し、島式ホームの上り2番線と側線の3番線は撤去、現在は駅舎付属の1面1線のホーム(旧下り1番線)があるだけです。苫小牧方に分岐線路がわずかに残っていたり、様似方の線路が曲がっていたりするのは、交換駅時代の名残です。

浦河駅の特徴の一つは、開業時から使われているという跨線橋。日高本線唯一の存在です。現在は駅裏側(国道)と駅舎ホームとを結ぶ橋ですが、もともと島式ホームへ渡るための跨線橋でした。島式ホームが使用されなくなり国鉄は解体しようとしたものの、町民の保存の思いが叶い、1988年(昭和63年)10月に浦河町へ無償譲渡。島式ホームへの階段を廃止し、国道側にまで延長して連絡橋として使用しています。なお、1945年(昭和20年)7月15日の米軍による浦河空襲では弾痕が残る被害を受けたといいます。

浦河駅から先は浦河トンネル(326メートル)と架道橋を経て、海岸線を走り、いくつもの川を越えていきます。

東町駅(ひがしちょうえき)(浦河町)

東町駅待合所
東町駅周辺図

132.4km地点。道民の感覚なら「ひがしまち」と読みそうなところ「ひがしちょう」が正解。1977年9月1日に無人の仮乗降場として開業。1987年の民営化により駅に昇格しました。アイヌ語に由来しない浦河町東町地区からとって命名されています。高校、自動車学校、病院などへの足として利用されましたが、特に高校生は浦河駅からだと2.5㎞の距離があるため、駅の新設は町にとっても悲願でした。

海岸線に近い緩やかなカーブに、1面1線のホーム(2.5メートル×50メートル)が設けられています。待合所が設けられており、その階段の上に駅前駐車場スペースとトイレが設けられています。駅へのアクセスは、国道から狭い路地のような生活道路に入ってたどり着きます。廃止直前の時点で、苫小牧方のホームが一部崩壊しているほか、入り込んだ砂が線路を覆いつくしています。線路のすぐ横で昆布干しをしている光景は日高ならではでしょう。

日高幌別駅(ひだかほろべつえき)(浦河町)

日高幌別駅舎とトイレ
日高幌別駅周辺図

136.9km地点。1937年8月10日の延伸時に開業。1977年2月1日に無人化しました。国道沿いの西幌別市街地に位置し、トイレ・駐車場付きのドライブインのような複合施設「レストビレッジ シンザン」(レストラン、簡易郵便局、トイレが入る)の奥にひっそりと、1面1線のホームが設けられています。かつては島式ホーム1面2線と側線を有する、列車交換が可能な駅でした。日高幌別駅から先は日高幌別川を渡り鵜苫地区に入ります。

鵜苫駅(うとまえき)(様似町)

鵜苫駅舎
鵜苫駅周辺図

141.1km地点。1937年8月10日の延伸時に開業。1960年4月に業務委託化し、1977年2月1日に無人化しました。現在は1面1線ですが、かつて島式ホーム1面2線で列車交換が可能な駅でした。駅舎側の旧上り1番線は使用されなくなり、旧下り2番線が使われています。1987年に友人駅舎時代の駅舎が取り壊され、有蓋緩急車を活用した貨車駅舎が待合スペースとして利用されています。駅舎のイラストは様似中学校美術部の生徒がデザインしています。駅前には小さな広場ありますが、ほぼ国道沿いです。鵜苫市街地が国道沿いに広がる場所です。

鵜苫稲荷神社

なお、当駅の苫小牧方には、国道と線路の間の狭いスペースに鳥居が建ち、踏切のない線路を渡って斜面の階段を上っていく鵜苫稲荷神社があります。様似方は、海岸線をそれて内陸に入り、第一様似トンネル(125メートル)を通ります。

西様似駅(にしさまにえき)(様似町)

西様似駅舎
西様似駅周辺図

143.6km地点。1937年8月10日の延伸時に開業。1面1線のホームですが、かつては島式ホーム1面2線で、列車交換が可能な駅でした。駅舎側の旧上り線は撤去され、旧下り線が使用されています。ホーム前後の線路が曲がっているのは交換駅の名残です。ホームには駅名標と別に周辺観光案内板があります。有人駅時代の駅舎は撤去され、車掌車を活用した貨車駅舎が待合スペースとして利用されています。この駅舎側面も鵜苫駅同様、様似中学校美術部によりイラストが描かれています。

駅前は空き地が広がる閑散とした場所で、駅と国道を結ぶ駅前通り沿いには様似西町の住宅が並びます。当駅の先は第二様似トンネル(205メートル)、架道橋、様似川の橋梁を経て、様似の中心部に向かいます。

様似駅(さまにえき)(様似町)

様似駅舎
様似駅周辺図

146.5km地点。1937年8月10日の延伸時に開業。様似町市街地の中心駅で、日高本線終着駅、簡易委託駅です。1面1線、側線を1本持つ駅で、車止めが2つ設けられています。旅客駅はここが終端ですが、1940年11月には北海電気興業(現在の日本電工)日高工場開設に伴って、当駅から先、専用線が300メートル敷設されました(1982年12月15日廃止)。また転車台も設置されていたことがあります。ホームには駅名標と別に周辺観光案内板があります。

木造駅舎の右側はスーパーでしたが、現在は観光案内所「みな様に」で、地元特産品の販売も行っています。かつては「鮭味弁当」「つぶ貝弁当」などの名物駅弁販売、立ち食いそばの営業も行われていました。2000年にキヨスクが営業終了しました。現在、駅舎左側は待合スペースとなっています。また翌朝始発列車のために乗務員宿泊スペースも設けられています。駅前ロータリーには、襟裳岬や十勝広尾への路線バスの停留所のほか、駐車場やトイレ棟もあります。

様似駅の車止めからホームと車輛を見る
通常運転時代の様似駅(2014年9月撮影)
通常運転時代の様似駅(2014年9月撮影)

かつて謎の臨時駅が2つ存在した?!

日高本線には、現在は存在しない臨時駅が2駅置かれていた時代がありました。その臨時駅とは「フイハップ浜駅」と「静内海水浴場駅」。海水浴客や潮干狩り客の乗降を目的として設置されました。どこにあった駅なのでしょうか。

フイハップ浜駅(日高町)

臨時のフイハップ浜駅が存在した

フイハップ浜駅は、1989年(平成元年)8月9日に汐見駅と富川駅の間(日高町)に開業した1面1線の無人の臨時駅です。国道からは離れた海岸沿いのフイハップ浜は、年数回の大潮が発生すると、潮干狩りや地引網のために人々がやってきました。その利用客のために夏から秋にかけて臨時で開設された駅です。しかし、わずか4年で幕を閉じます。1993年(平成5年)9月24日に廃止されました。

フイハップ浜が駅の向かい側に広がる

静内海水浴場駅(新ひだか町)

臨時の静内海水浴場駅は国道と海水浴場に挟まれた場所に置かれた

もう一つの静内海水浴場駅は、1991年(平成3年)7月20日に静内駅と東静内駅の間(新ひだか町)に開業した、ホームがない無人の臨時駅です。列車のドアに階段を取り付けて乗降させていました。この駅は目の前の海水浴場利用客のための臨時駅として、7・8月の土日(12日間)のみ営業しました。翌年1992年(平成4年)8月24日にはあっけなく廃止されていますので、わずか2シーズンで24日間しか営業しなかったことになります。

この記事では、2021年に廃止となる日高本線の24駅をすべてご紹介しました。廃止前ですが、すでにこれらの駅に列車が来ることはもうありません。日高本線が様似駅まで通っていたことの証として、ここに残します。

参考文献:「苫小牧市史」「鵡川町史」「門別町史」「新冠町史」「静内町史」「三石町史」「浦河町史」「様似町史」