日高本線(鵡川―様似間)が2021年に廃止。その理由と鉄路の歴史

苫小牧駅と様似駅を結ぶJR日高本線のうち、鵡川駅―様似駅間が、高波による土砂流出の影響で不通になって約6年。結局、同区間は復旧することなく、2021年中に廃止されることが固まりました。廃止予定日は2021年11月1日、または条件次第では繰り上げて4月1日(追記:4月1日付の廃止が決定しました)。100kmを超える「本線」と名のつく鉄路は、その大部分を失うことになります。

本稿では、日高本線廃止区間が廃止される理由と、前身を含めて100年以上の歴史を持つ鉄路開業の経緯を振り返ります。(トップ写真:終着駅「様似駅」に停車する車両。2014年9月撮影)

被災相次ぎ、2015年から不通状態

大狩部駅付近の被災状況(2020年10月撮影)

JR北海道が「単独では維持困難」として廃止を求めている赤字路線は5区間あり、そのうち廃止されたのは、2区間のみです。(※人数は、2017年の1kmあたりの1日平均乗客数。)

廃止済み

  • 石勝線夕張支線・新夕張駅―夕張駅間(16.1km・69人)2019年4月1日廃止
  • 札沼線・北海道医療大学駅―新十津川駅間(47.6km・57人)2020年5月7日廃止

廃止提案

  • 根室本線・富良野駅―新得駅間(81.7km・92人)
  • 留萌本線・深川駅―留萌駅間(50.1km・157人)
  • 日高本線・鵡川駅―様似駅間(116km・119人)
日高本線廃止区間マップ

残る3区間のうち、最も長い区間なのが日高本線です。特に日高本線は、2015年1月、低気圧に伴う高波で厚賀駅―大狩部駅間にて土砂流出が発生。以降、鵡川駅―様似駅間が不通状態となりました。1月27日~2月28日に、静内駅―様似駅間で一時的に運転再開したものの、さらなる被害拡大で車両回送も不可能になり運転取りやめとなりました。

その後も度重なる被災を受けた日高本線は、護岸工事に多額の費用を要するため復旧の見込みが立たず、ついには2016年12月21日、JR北海道は鵡川駅―様似駅間の復旧を断念すると発表しました。

日高本線の近年の被災状況

  • 2015年1月8日:厚賀駅―大狩部駅間、低気圧の高波で土砂流出
  • 2015年2月28日:厚賀駅―大狩部駅間、土砂流出が進行
  • 2015年9月12日:豊郷駅―清畠駅間・厚賀駅―大狩部駅間で路盤流出
  • 2016年7月30日:本桐駅―荻伏駅間、豪雨で路盤流出
  • 2016年8月23日:鵡川駅―汐見駅間、台風9号で通信ケーブル断線。清畠駅―厚賀駅間、路盤崩落
  • 2016年8月31日:豊郷駅―清畠駅間、台風10号で橋梁流失、通信ケーブル損傷。新冠駅―静内駅間で護岸倒壊
  • 2018年9月6日:富川駅―日高門別間、北海道胆振東部地震で橋梁のひび割れなどを確認

※日高本線は雨に弱く、過去にも災害の影響を受けてきた路線。1955年、1958年、1970年、1973年、1981年、1995年、2003年、2006年には台風等大雨の影響で被災し一時不通。1973年の土砂崩れでは急行や貨物列車が脱線する大事故が発生している。1982年と2003年には地震により運休。1982年には浦河沖地震で陥没等の被害が生じ、復旧まで半年近くかかっている。

大狩部駅前後の被災状況(2020年10月撮影)。この付近は崖崩れも多く急行「えりも」脱線事故も起きている
大狩部駅前後の被災状況(2020年10月撮影)

2020年10月、JR北海道と沿線7町(日高町、平取町、新冠町、新ひだか町、浦河町、様似町、えりも町)は度重なる存廃議論を重ねた結果、鵡川駅―様似駅間を2021年4月1日に廃止し、代替バス運行を開始することで最終合意。同月27日、JR北海道は国土交通大臣に鉄道事業廃止届を提出し、廃止が事実上確定しました。

廃止予定日は、2021年11月1日付けとしていますが、繰り上げが認められれば4月1日付けの廃止となります。いずれの場合も、廃止日の前日が最終運行日となります。

鵡川駅の様似方の最初の踏切には枕木を積み重ねて簡易的な車止めとしている。鵡川大踏切(2016年5月撮影)
不通区間の踏切の遮断器は早々に取り外された。鵡川大踏切(2016年5月撮影)
冬季間は除雪されず積雪のままに。門別佐妻線踏切(2018年2月撮影)
海岸の砂が流入している駅も。東町駅(2020年10月撮影)
JR北海道バスが列車代行バスを運行している(静内駅にて)
日高線列車代行バスのバス停が駅の近くに設置されている
鵡川駅から代行バスの時刻表に変わる

日高管内は鉄路ゼロに。日高本線は日本最短のJR本線に

日高本線は苫小牧駅を起点とし、胆振管内の3市町(苫小牧市、厚真町、むかわ町)、日高管内の5町(日高町、新冠町、新ひだか町、浦河町、様似町)を経て、終着の様似駅に至るまで146.5km区間の路線です。旅客駅は29駅(および貨物駅としてJR貨物苫小牧貨物駅)、全線単線・非電化区間であり、太平洋岸沿いの海や昆布干し、馬の牧場地帯を進む風光明媚な路線です。

馬産地「日高」ならではの光景が続く
日高昆布の産地
太平洋の潮風を受ける

今回廃止となるのは、2015年から不通が続いている鵡川駅―様似駅間の116km区間。苫小牧駅、勇払駅、浜厚真駅、浜田浦駅、鵡川駅の5駅を除く24駅が廃止対象となり、廃止後の終着駅は鵡川駅になります。

【動画】交換施設の関係で終着駅となる鵡川駅。2面2線だが、不通後は2番線しか使われていない

146.5kmのうち大半の116kmが廃止されることで、日高本線は8割が失われ、30.5kmしかない状態になります。現在国内のJRの本線と名乗る鉄道区間で最短は留萌本線(深川駅―留萌駅間)の50.1km。日高本線はこれよりも短くなるため、日本最短のJR本線となります。

廃止により、日高管内の鉄路はゼロになります。道内の振興局別で鉄路がなくなるのは、江差線(木古内駅―江差駅間)廃止により鉄路ゼロとなった檜山振興局(2014年5月)に続き2例目です。

100kmを超える長大区間が廃止されるのは、道内では2006年4月に廃止された北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線(池田駅―北見駅間、140km)以来。JR北海道としては、1995年9月に廃止された深名線(深川駅―名寄駅間、121.8km)以来となります。また、自然災害で不通になった鉄路が復旧することなく廃止になるのは、JR北海道管内で初めてとなります。

「日高本線」誕生ヒストリー

青と白の塗装が特徴だった日高本線の気動車

日高に鉄道を敷設する調査は、1893年(明治26年)・1908年(明治41年)に行われましたが、いずれも実現しませんでした。しかし、その後に民間の専用鉄道が苫小牧に近いエリアで敷設されたことが、現在の日高本線の原型となっています。

三井物産専用鉄道(後の苫小牧軽便鉄道)が佐瑠太まで開業

日高本線の始まりとなったのは、1909年(明治42年)6月に三井物産が苫小牧―鵡川間の海岸線に沿って専用馬車鉄道を敷設したことに端を発します。目的は、沙流川や鵡川上流で伐採した木材を下流に運び、苫小牧まで運搬するためでした。三井系の王子製紙も苫小牧に製紙工場を建設することになったため木材運搬の需要が生まれ、共同運搬することになりました。

その後、馬車軌道を蒸気機関車に変更し、1911年(明治44年)12月に佐瑠太(現在の富川)まで延伸。これにより日高管内に初めての鉄道が敷かれることなります。1912年(大正元年)になると、王子製紙が三井物産専用鉄道(王子専用専用鉄道「浜線」)の権利を譲り受け、1913年(大正2年)10月1日に苫小牧軽便鉄道 苫小牧駅―佐瑠太駅(現在の富川駅)間(全長40.4km)を開業。当時の駅は、勇払駅、厚真駅(後の浜厚真駅)、鵡川駅、鵡川貨物駅、佐瑠太駅でした。

日高拓殖鉄道が静内まで延伸

大正初期は、当時の終着駅である佐瑠太駅から浦河まで定期便の客馬車が運行されていました。静内や浦河までの鉄道延長は悲願でもありましたが、沙流川など河川が多く橋梁建設費が高騰。王子製紙が資金協力して着工し、1924年(大正13年)9月6日に佐瑠太駅―厚賀駅間21.1kmが先行開業しました。当初の駅は、門別駅(後の日高門別駅)、波恵駅(後の豊郷駅)、慶能舞駅(後の清畠駅)、厚賀駅でした。

1926年(大正15年)12月7日に、厚賀駅―静内駅間16.4kmが延伸開業。節婦駅、高江駅(後の新冠駅)、静内駅が開業しました。免許では浦河駅までの延伸が可能でしたが、1927年(昭和2年)8月1日、苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道を一括買収し国有化したことで、苫小牧駅―静内駅間が国鉄「日高線」となりました。静内から浦河までは、日高自動車合名会社が運行するバスに頼っている状況でした。

国鉄「日高線」が様似まで延伸開業

苫小牧駅―静内駅間は国が買収したものの、レール幅を統一するために工事が行われました。それと同時に静内駅より先の延伸工事にも着手しました。1933年(昭和8年)12月15日、静内駅―日高三石駅間(23.7km)が延伸開業。東静内駅、春立駅、日高三石駅が設けられました。2年後の1935年(昭和10年)10月24日、日高三石駅―浦河駅間(24.5km)が延伸開業。本桐駅、荻伏駅、浦河駅が設けられました。

待望の鉄道完成により、当時人口約12,000人を擁した浦河町では開通祝賀会が行われ、初日だけで乗車119人、降車120人、貨物発送は18トンを記録しました。なお開通当時、浦河駅には苫小牧駅直通の5往復の運転がありました。

浦河駅開業当時の静内駅以遠の列車時刻表(1935年10月24日ダイヤ改正)

上り

  • 30混 静内0500→苫小牧0738
  • 32混 浦河0610→日高三石0708→静内0815→苫小牧1107
  • 34混 浦河0850→日高三石0955→静内1057→苫小牧1354
  • 36混 浦河1150→日高三石1250→静内1354→苫小牧1657
  • 38混 浦河1620→日高三石1718→静内1819→苫小牧2106
  • 40混 浦河2030→日高三石2130→静内2225

下り

  • 31混 静内0610→日高三石0707→浦河0800
  • 33混 苫小牧0510→静内0816→日高三石0916→浦河1011
  • 35混 苫小牧0840→静内1148→日高三石1248→浦河1342
  • 37混 苫小牧1215→静内1516→日高三石1611→浦河1707
  • 39混 苫小牧1520→静内1823→日高三石1920→浦河2015
  • 41混 苫小牧1825→静内2118(11/15~5/31は苫小牧1925→静内2010)
日高本線の終着駅、様似駅(2014年9月撮影)

当初計画ではここまででしたが、1933年(昭和8年)の帝国議会により様似までに延長されました。こうして1937年(昭和12年)8月10日、浦河駅―様似駅間(16.2km)が延伸開業。日高幌別駅、鵜苫駅、西様似駅、様似駅が設けられ、10年かけて日高本線全線が完成しました。苫小牧市では、全線開通を祝って豪華な祝賀会が開催されました。これにより、海上輸送から鉄道輸送へと変化していきました。

計画ではこの先、十勝の広尾線(帯広駅―広尾駅間)とをえりも町を経由して接続すること(日勝鉄道:日勝えりも海岸鉄道)とされていました。しかしそれは実現することなく、十勝側の広尾線は1987年(昭和62年)2月2日に廃止されており、今回の日高本線の部分廃止に伴って、完全に潰えることとなりました。

国鉄「日高線」は1943年、鵡川駅から分岐する富内線連絡線の開業により、国鉄「日高本線」に改称されました(1986年に全線廃止)。苫小牧駅との直通運転列車もありました。沿線で接続していた鉄道としては他に、富川駅から平取駅まで民間の沙流鉄道が運行されていました(1922年~1951年)。支線がなくなった今も「日高本線」と呼ばれています。

日高本線を走る列車の軌跡

優駿浪漫の日高塗色のキハ40気動車

日高本線では、1954年(昭和29年)に気動車(ディーゼルカー)運用を開始しました。気動車への置換えを完了した1957年(昭和32年)の時点で、気動車7往復、貨物列車3往復の運転であり、苫小牧駅―様似駅間が6時間40分から約4時間に大幅短縮されたといいます。

かつて急行列車も走った

現在、日高本線を特急や急行が走ることはありませんが、かつては定期優等列車が運転されていました。優等列車の先駆けは、1959年(昭和34年)6月に札幌駅―苫小牧駅―様似駅間で運転を開始した臨時準急「えりも」(後に定期列車に)。翌年1960年(昭和35年)4月には札幌駅―苫小牧駅―様似駅間を準急「日高」が運転開始しました。様似0524→札幌0942(4時間18分)、札幌1904→様似2334(4時間30分)で、札幌への日帰りが可能になりました。1966年(昭和41年)には格上げされた急行「えりも」が3往復運行されていました。(基本的な停車駅は札幌駅、新札幌駅、千歳駅、千歳空港駅、苫小牧駅、勇払駅、鵡川駅、富川駅、日高門別駅、厚賀駅、新冠駅、静内駅、日高三石駅、浦河駅、様似駅。)

しかし1972年(昭和47年)3月になると、急行「えりも」のうち1往復について静内駅―様似駅間を普通列車として運転し、2両編成とするなど斜陽化が進みます(1986年に静内駅以遠は全列車が普通列車に格下げ)。1986年(昭和61年)11月、急行「えりも」は廃止され、定期優等列車は日高本線から消えました。

日高本線の料金表

快速列車の運行

1993年(平成5年)3月には苫小牧駅―様似駅間を走る、休日運転の快速「アポイ」が誕生。停車駅は苫小牧駅、勇払駅、鵡川駅、富川駅、日高門別駅、厚賀駅、節婦駅、新冠駅、静内駅、日高三石駅、本桐駅、荻伏駅、浦河駅、東町駅、様似駅でした。1994年(平成6年)以降は静内発苫小牧行の上り1本のみの設定となり、1998年(平成10年)のダイヤ改正を機に快速「アポイ」は消滅しました。

それに代わって登場したのが、臨時快速(後に臨時普通列車)「優駿浪漫号」。札幌駅―様似駅間(当初は千歳駅―様似駅間)を1998年から2013年まで、桜の季節である5月限定で数日運転されていました(後に特急型気動車ニセコエクスプレス車両を使用)。また、鵡川駅―静内駅間では臨時列車「日高ポニー号」も運転されており、観光ガイドによる車内放送がありました。

不通になる前は、苫小牧駅―様似駅間の直通不通列車が下り5本・上り6本設定されていたほか、苫小牧駅―鵡川駅・静内駅間、静内駅―様似駅間の運転がありました。それとは別に、2001年12月から2015年に不通になるまでは、土曜休日に静内駅発苫小牧駅行きの普通列車「ホリデー日高」が運転されていました。

なお、貨物列車については貨物取扱駅がなくなったこともあり1984年(昭和59年)2月1日に全廃されており、現在は貨物列車の運転がありません。

様似駅に停車する気動車2両編成(2014年9月撮影)
様似駅に停車する気動車(2014年9月撮影)
様似駅に停車する気動車(2014年9月撮影)

廃止前なのにすでに不通状態で、橋げたや遮断機が外され、線路がさび付き草が生い茂る区間を巡ると、何とも言えない気持ちになります。次の記事では、日高本線廃止区間の全駅を訪ねてきたというテーマで、廃止前の各駅を紹介いたします。

参考文献:「苫小牧市史」「鵡川町史」「門別町史」「新冠町史」「静内町史」「三石町史」「浦河町史」「様似町史」