北海道三大名橋をご存じ?豊平橋(札幌)旭橋(旭川)幣舞橋(釧路)

北海道には数々の「三大○○」が存在しています。今回はその中からひとつ、橋に関する名所です。俗に「北海道三大名橋」と呼ばれます。それは、札幌市の豊平橋(とよひらばし)、旭川市の旭橋(あさひばし)、釧路市の幣舞橋(ぬさまいばし)です。

「北海道三大名橋」選定当時の橋の形を残しているのは旭橋のみ。その他は時代の流れに伴って架け替えが行われてしまいました。では、それぞれの名橋の歴史と現在の姿を見ていきましょう。

1.札幌市豊平橋―今では普通の橋に

札幌市中心部から程近い豊平川に架けられている橋。札幌―苫小牧―室蘭間の幹線道路(国道36号)の橋であり、交通量がとても多い橋として知られています。札幌で最初に住んだ和人は、この橋のあたりの両岸に住んだとされています。

架けても架けても流された歴史

1871年(明治4年)、開拓使によって豊平川に架けられた初代橋は、板橋という木造の橋でした。しかし不安定で、いくら架けても流されました。そのたびに架けかえていたので、誕生直後は毎年のように竣工していました。

そこで1876年(明治9年)、ライマンの提案で新しい橋を建設。アメリカのお雇い外国人ホルトが設計に携わり、洋式の木造の橋が完成したのです。これが、国内初の洋式木造トラス道路橋です。

しかし、それもすぐに洪水で壊滅。1787年(明治10年)ホイラーによって橋が架けられましたが、また不安定な時期になりました。1898年(明治31年)、いよいよ北海道初となる道路鉄橋を北海道庁技師 岡崎文吉の設計で完成させたものの、結局洪水の被害にあいました。1910年に岡崎設計の橋が崩落してから1923年までの間、木造の仮橋でなんとかやり過ごしました。

このように、豊平川を渡すメイン橋の歴史は悪戦苦闘だったのです。トータルで20~30回ほど架け替えがあったとされています。

ようやく豊平橋が完成

二代目鉄橋の豊平橋(札幌市中央図書館所蔵)

1924年(大正13年)、永久橋の構想が持ち上がった結果、札幌市と豊平町(当時)を結ぶ二代目鉄橋が完成しました。道路法と北海道道路令の施行により、この橋を渡る道路が地方費札幌―浦河線となったためです。

広井勇が指導し、山口敬助と高橋勝衛が設計に携わった豊平橋は、国内二例目となるブレースト・リブ・タイド・アーチ(3連アーチ型)を採用。橋脚は御影石で美装するなど、当時の最新技術を駆使して作られた画期的な橋でした。

豊平橋の中央は軌道が走っていた(札幌市中央図書館所蔵)

スペックは、全長120.7メートル、幅18.29メートルでした。また、中央の5.5メートル幅には、札幌電気軌道(現在の札幌市電)豊平線が1971年まで走っていました。その両側には木塊舗装の車道(3.7メートル)とアスファルト舗装の歩道2.7メートルがありました。橋の両端には重厚なオベリスクが建っていました。美観を意識して造られたことから、北海道三大名橋のひとつに選ばれることになりました。

豊平橋のスペックを示す当時の資料(札幌市中央図書館所蔵)

架け替えられた北海道三大名橋

しかし、1日3万台の交通量ゆえに、渋滞が深刻化。1961年(昭和36年)の調査で強度補強の必要性が明らかになったこともあり、他の多くの橋と同様、架け替えすることになります。

現在の豊平橋(国道36号)

1966年(昭和41年)10月、現在の三代目鉄橋「豊平橋」(全長132.2メートル・幅27メートル、車道14メートル、市電軌道5.14メートル、歩道7.86メートル)が完成します。二代目と比べると、そんなにおしゃれな姿はしておらず、ごくごく一般的な形の橋になってしまいましたが、二代目で使われた御影石が使われています。

2.旭川市旭橋―頑強な橋

石狩川に架かる旭橋

旭川市は無数の河川が合流する街であるため、橋の数は半端なく、その数は700超とも言われます。その中でもシンボル的な橋となっているのが、石狩川に架かる旭橋。旭川市の南の市街地と北の住宅街とを結ぶ国道40号の重要な橋であり、土木学会選奨土木遺産、北海道遺産、旭川八景の一つに選ばれています。

鷹栖橋を経て初代旭橋へ

その歴史は、1882年(明治25年)にさかのぼります。現在の位置に石狩川を渡る橋が作られたのが最初です。鷹栖村近文原野に入植した埼玉団体の有志が材木を伐採し、請負師と二人の土工の協力を得て仮橋(長さ90メートル、幅1.8メートル)を架けたのです(渡船と兼用)。

1894年(明治27年)には、北海道庁により欄干を設けた木造橋「鷹栖橋」(長さ104メートル、幅5.5メートル)が架けられました(4年後に流出するも架けかえた)。

その10年後の1904年(明治37年)、北海道庁技師山岡三郎の設計により、アメリカ製シュベードラートラスの橋が竣工(全長153メートル、幅11メートル)。道内で二番目の鋼鉄製道路橋です。当時として最新鋭の橋で、当時の旭川町長の案と第7師団大迫尚敏中将の書により「旭橋」の名が掲げられました。これが、初代旭橋(3代目)です。

2代目旭橋は大型で優美な橋へ

3連の橋脚を持つ旭橋

しかし、やがて交通量増加に伴って架替えの必要に迫られました。第7師団があることから戦車が通ることも考慮されました。1932年(昭和7年)11月3日、約3年がかりで現在の旭橋に架替えられました。実に4代目となり、当時としては破格の103万円をかけて建築されました。

ちょっと狭くなる旭橋

「旭川のシンボルに」と考えて設計されたデザインで、鋼鉄製ブレースト・リブ・バランスド・カンチレバー・タイドアーチとなりました。主径間(中央部)だけアーチ型とし、側径間はアーチではなくカンチバレーを採用しているのが、札幌豊平橋との違いです。全長224.82メートル、幅18.3メートル(上流側と下流側に歩道が各3.1メートル)。道内で初めて鋼鉄橋梁に溶接が行われたとされています。

かつて橋門構中央に旭日章が掲げられていた

戦時下では軍都を象徴して旭日章が橋門構に掲げられたほか、橋の鉄が軍に供出されたこともあります。竣工当時は、旭川駅前と一線六号間とを結ぶ「旭川市街軌道」の路面電車も走っていましたが、1956年(昭和31年)の廃止に伴って撤廃されました。1983年(昭和58年)には、老朽化により置き換えられてしまったかつての照明灯などが復元されました。

アーチ・カンチバレーの鋼鉄部分が車道と歩道を分離する

旭橋の見た目は、重厚感がありながらも、曲線が美しい橋。ロッキングカラムやタイといった特殊な技術が施されています。橋の色も時代とともに変わり、1932年はフェイサイド・グリーン、1998年以降はオリーブ・グリーンとなっています。橋からは放水が行われることがあります。

旭橋の塗色の変遷
1932年:フェイサイド・グリーン
1942年:グリーン・グレー
1949年:コバルトグリーン・ペール
1958年:シルバー
1966年:ペール・オレンジ
1976年:ディープ・グリーン
1986年:ターコイズ・グリーン
1998年:オリーブ・グリーン

北海道遺産に選定されている

現在の旭橋は、先ほど書いたように1932年完成のもので、90年近い歴史を持つ橋です。国道40号は片側2車線ですが、旭橋の部分だけ片側1.5車線のようになっており、橋の部分だけちょっと狭い思いをしています。

毎年2月には、この橋のたもとの石狩川河畔で旭川冬まつりが行われており、雪像とのコラボレーションを楽しむことができます。

動画で見る旭橋(2010年)

3.釧路市幣舞橋―幻想的なロマンチックブリッジ

最初は有料の私設「愛北橋」だった

初めて架けられたのは1889年(明治22年)という道内でも古い橋のひとつです。釧路郡長の提案で地元の愛北物産会社が「愛北橋」(あいほくばし)を架けました(全長216メートル、幅3.6メートル)。当時、北海道で最も長い木の橋であり、通行料を取る有料橋でしたが、9年後の1898年(明治31年)に老朽化で倒壊してしまうのでした。

1900年(明治33年)、国費で木製橋が完成します(全長203メートル、幅4.2メートル)。これが、初代幣舞橋です。地名にちなんで命名されました。石川啄木が真冬の釧路へやってきた際に、倒壊直前の橋を渡ったことで知られています。

初代もやはり9年で倒壊してしまいました。2代目(1909年(明治42年)全長203メートル、幅4.5メートル)はさらに悲惨でわずか6年。3代目(1915年(大正4年)全長201メートル、幅7.2メートル)は9年のみの利用でした。

いずれも木造であり、釧路川の結氷や流氷の流入により、橋の寿命は短命となりがちでした。

ヨーロッパ風デザインの4代目が誕生

4代目幣舞橋の姿を残す当時の絵葉書(札幌市中央図書館所蔵)

1929年(昭和4年)、ようやく永久橋という名目で4年かけて竣工(埋め立てにより全長113メートル、幅18.3メートル、4車線+歩道)。この4代目で「北海道三大名橋」になりました。北海道で初めて鉄筋コンクリートを使用し、現在に近い橋の形になりました。

4代目は、アーチ型のデザインが施されたヨーロピアンスタイルで、大理石のオベリスクが橋の上に4基設置されていました。これに伴って、市街地が釧路川右岸の西幣舞に移りました。しかし、50年経って老朽化や交通渋滞緩和の目的で5代目が必要となりました。

現在の5代目幣舞橋

釧路川に架かる幣舞橋

1976年(昭和51年)完成の5代目が現在の幣舞橋(全長124メートル、幅33.8メートル、6車線+歩道)。北海道開発局が、市民の意見を求めながら設計した三径間連続鋼床板箱桁橋で、橋桁はアーチ型です。

幣舞橋は6車線と広い

4代目をリスペクトして、アーチ型や重厚なオベリスクを彷彿とさせるデザインとしたほか、国内で初めて橋の欄干に彫刻が置かれました。それは「四季の像」と呼ばれ、春夏秋冬それぞれのブロンズ像が合計4体置かれています。4つとも製作者が違います。

ブロンズ像が4体設置されている幣舞橋

幣舞橋は大変広く、片側三車線、歩道も広く取ってあります。釧路十景にも選ばれ、ライトアップされた幣舞橋は大変幻想的です。橋の西のたもとにはフィッシャーマンズワーフMOO/EGG、橋の東たもとにはロータリーが置かれ、そこが国道38号の終点、逆方向は釧路駅へのメインストリートとなっています。

幣舞橋とロータリー

ここの橋の全景は、よくテレビにも映し出されます。特に地震発生後の”津波”状況の際に、この橋と下を流れる旧釧路川(2001年以降釧路川)を放映します。釧路市市街地と武佐・春採のある東部地区を結ぶ重要な橋のひとつとなっています。

終わりに

1924年(大正13年)に札幌に豊平橋(2代目鉄橋)が、1929年(昭和4年)に釧路に幣舞橋(4代目)が、1932年(昭和7年)に旭川に旭橋(2代目)が、昭和初期に北海道三大名橋に選ばれました。いずれも当時の最高水準の技術を投入して造られ、永久橋として頑丈で重厚で美しいデザインが施されていました。

1966年に豊平橋が架け替えられたことによって当時の北海道三大名橋と呼べなくなりましたが、現在は旭橋だけが当時の姿をほぼそのまま残して現代に至っています。

技術が発達した現代は、さらにおしゃれで美しい橋が数多く建設されています。札幌市内では豊平川に架かるミュンヘン大橋が美しいと言われますし、江別市には美原大橋、新篠津村にはしのつ大橋が石狩川に架かります。室蘭市には室蘭湾に架かる東日本最大の吊橋「白鳥大橋」があります。十勝管内では帯広市と音更町を結ぶ十勝川に架かる十勝大橋。道東では赤い橋梁でおなじみの厚岸大橋。新旧さまざまな橋を渡ってみてください。

(※本稿は2008年3月13日に掲載した記事を再編集したものです。)


参考文献:『北海道の地名』(平凡社)『札幌市史』『新釧路市史』『旭川市史』『平成22年度 土木学会北海道支部 論文報告集 第67号―豊平橋の歴史にみる橋梁設計思想の変遷に関する一考察』『さっぽろ文庫 さっぽろの橋』(札幌市教育委員会1979年)『旭橋のあゆみ』(北海道開発局旭川開発建設部)『幣舞橋アラカルト』(北海道開発局釧路開発建設部)『ほっかいどうかいはつグラフ』(北海道開発局)