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歴史

  • 2020/11/16

静内市街を一望できる新ひだか町「真歌公園」の楽しみ方

日高管内最大の人口を誇る新ひだか町静内。その街を高台から一望できるビューポイントがあります。それが「真歌公園の展望台です。静内の街並み、眼下を流れる静内川、そして太平洋を独り占め。日高管内でも指折りの眺望スポットです。真歌公園には他にも見どころがたくさん。その楽しみ方を紹介します。

  • 2020/11/13

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに

芦別市街から南に車で約8分。国道452号の炭山川に架かる橋の上から、ディーゼル機関車と貨車が乗った赤い鉄道橋梁が見えます。これは、三井鉱山の石炭を運ぶことを目的に敷設された専用鉄道線の「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」。日本遺産のストーリー「炭鉄港」を構成する炭鉱遺産の一つで、同路線を代表する遺産の一つです。

  • 2020/11/02

日本最北の礼文空港は今どうなっているのか?

北方領土を除く国内において、日本最北にある空港はどこかご存知ですか? 稚内市の稚内空港? 利尻島の利尻空港? それとも・・・・・・? 正解は、礼文島にある礼文空港です。でも、礼文空港への路線はあるんでしたっけ? そう、実は約17年もの長い期間、礼文空港は休止中なのです。約40年前に誕生した礼文空港は、どのような歴史をたどってきたのでしょうか。

  • 2020/09/25

檜山北部(今金・せたな)の自然と特産品と歴史を感じる旅に出よう!

車で札幌から約3時間半、函館から約2時間。檜山北部の今金町、せたな町は、水質日本一に輝いた後志利別川、道南最高峰の狩場山など豊かな自然に抱かれたエリアです。この地で育まれた特産品を生かしたグルメ・スイーツを味わうことができるほか、古代から近現代に至るまでの歴史を感じる地域でもあります。今回は、そんな檜山北部2町をクローズアップ。両町のゆるキャラ「いまルン」(今金町)、「セターナちゃん」(せたな町)に出演協力いただきながら、地域の魅力をご紹介します。

  • 2020/08/13

北海道の恐竜・化石のマップを道庁が制作ー知事「恐竜にロマン感じて」

北海道は、北海道内の恐竜や古生物の化石を収めた「ほっかいどう恐竜・化石マップ」制作すると発表しました。鈴木直道北海道知事は、「多くの子ども達にも、恐竜にロマンを感じていただき、想像の翼を大きく広げ、夢を持って、未来に向け力強く歩みを進めてほしい」と本プロジェクトの目的・意義について語っています。

  • 2020/08/05

さっぽろ羊ヶ丘展望台の楽しみ方完全ガイド

札幌市を代表する観光名所といえば「さっぽろ羊ヶ丘展望台」を挙げる人も多いでしょう。日本離れした丘陵の風景、そこで草をはむ羊たち、そして札幌の歴史を語るにふさわしいクラーク像。そもそもこの羊ケ丘エリアは1900年代初頭、牧場として開拓されたことに始まります。

  • 2020/05/25

開拓使のシンボルはなぜ五稜星になったの?知られざる北辰旗の歴史

サッポロビール博物館、札幌開拓使麦酒醸造所、札幌市時計台、北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)、豊平館、清華亭、北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園の博物館本館。明治初期に建築されたいくつかの歴史的建造物には決まって、あるマークが刻まれています。それが「★」のマークです。

  • 2020/05/13

角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

空知管内南部に位置する栗山町は、オオムラサキの北東限の地、老舗メーカー小林酒造、日本一のきびだんごの谷田製菓のまちとして知られています。そんな栗山町は、町制施行の前は「角田村」と呼ばれていました。なぜ角田村から栗山町に改称されたのでしょうか。その歴史をたどると、角田vs栗山の村民を巻き込んだ対立構造があったのでした。

  • 2020/04/29

あの文豪「夏目漱石」が岩内町に住んでいた?戸籍が示す意外な関係性

坊ちゃんと旧千円札で有名な作家・夏目漱石(1867-1916)。明治時代から大正時代にかけて活躍した日本を代表する文豪です。出身地は江戸(東京)で、北海道にゆかりのある人物です。でも、彼自身はそのゆかりの地を訪れたことはないそうです。いったい、どういうこと? 後志管内岩内町にその記録があるので、行ってみました。

  • 2020/04/22

狩太町はなぜニセコ町になったのか―全国2番目のカタカナ町名誕生の経緯

観光リゾート地として国内外から人気の高い後志管内ニセコ町。「スキーとニセコ連峰」として北海道遺産に選ばれたスキーリゾートを有する場所です。一方で、羊蹄山周辺の支笏洞爺国立公園、ニセコアンヌプリ周辺のニセコ積丹小樽海岸国定公園、清流日本一に選ばれた尻別川の流れる場所として、自然豊かな地としても知られています。そんなニセコ町はかつて、「狩太町」(かりぶと)と呼ばれていました。なぜ「ニセコ町」に改名したのでしょうか。それは、国定公園指定の頃にまでさかのぼります。

  • 2019/11/11

国鉄「万字線」(志文-万字炭山)廃止34年の今を訪ねて

大正時代から昭和初期にかけて、資源などを輸送するために全道に鉄道網が整備されました。しかし昭和中期に入ると事態は一転。産業構造の変化や自家用車の普及などにより鉄道は一気に衰退します。多額の赤字を抱えた国鉄は、合理化・再建をすすめ、多くのローカル線が廃止されました。かつての鉄路はどうなっているのか。志文駅から万字炭山駅までを結んでいた「万字線」の足跡を訪ねました。