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道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!

  

市町村合併は道内でも繰り返されてきました。そんな合併の歴史の中で、道内では唯一、市同士が合併して、1つの市が消滅した事例があります。それはどこかご存知でしょうか。

結論から申しますと、亀田市と函館市です。函館市は2004年に亀田半島の4町村との合併を果たしましたが、それよりもっと以前に市同士が合併した記録があるのです。どのような市だったのか、どのようにして函館市に吸収されたのか、歴史を振り返ります。

五稜郭の北側を区域とした亀田

函館市は言うまでもなく、古くから栄えた函館山・函館港を抱える港町。一方で、亀田市は函館市の北に隣接。五稜郭そのものは函館市ですが、五稜郭の東と北をかすめ、五稜郭駅までを含む行政区になります。

亀田川の中流・上流域に位置し、五稜郭の北側から、北端は七飯町・鹿部町・旧南茅部町との境界線が集まる山間部までが区域でした。ざっくりと言えば、五稜郭の北側は亀田市だったのです。面積は92.07km2、周囲46km。

道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!

亀田市の歴史は、室町時代に亀田館、江戸時代、1604年に亀田番所が設置されたという記録が残っています。1902年4月1日、龜田郡龜田村、神山村、鍛冶村、桔梗村、石川村の5村をもって北海道二級町村制を施行し、龜田郡龜田村が発足しました。1900年代初頭(明治40年前後)の龜田村の中心地は五稜郭周辺でした。

龜田村はその後1919年4月1日に一級町村制施行。函館湾に一部面する区域でしたが、1949年4月1日になって函館隣接の字港町(0.968km2)を函館市に編入したことにより、内陸の町になりました。

宅地化が進み町制施行

その後は隣接する函館市の市街地拡大に伴って亀田地区も人口が増加していきました。1960年代に入ると村民は2万人を超え、渡島管内では函館市を除けば旧八雲町、旧上磯町、旧森町、松前町に次ぐ人口規模でした。

特に中心市街地を構成する字本町・富岡はもちろん、赤川通・昭和・中道・本通地区は農地転用によって住宅新築・転入ラッシュとなり、これら地区だけで村内の6割に当たる約1.2万人を有するまでになりました。

こうした人口増の背景も手伝って、1961年10月13日の臨時村議会で町制施行を満場一致で可決。自治制施行六十周年を機に、1962年1月1日に町制施行し「亀田町」になりました。住宅地拡大に伴って商業地も、五稜郭駅前や国道5号沿い中心から、赤川周辺にも広がりを見せるようになっていきます。

▼1948年は五稜郭駅と国道5号沿いにわずかに住宅街がある程度でほかは田園地帯。函館と隣接部分もまだ田園地帯が残る。右下に五稜郭(国土地理院航空写真より)
道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!

▼1963年には住宅地の波が函館市を超えて亀田の区域にまで到達。函館と境界付近、五稜郭の北側にも宅地造成されているのがわかる(国土地理院航空写真より)
道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!

過去に例を見ないほど驚異的な人口増加を見せ、わずか10年後に市制施行

町制施行後も人口増は加速。1964年5月の時点で毎月平均200人増を記録するなどして人口合計約2.5万人で、渡島管内の町村では旧上磯町と旧八雲町に次ぐ3位になりました。

道南で函館市に次ぐ人口になることは確実視されていて、同年9月末には管内町村で一位の人口に躍り出ました。1966年5月に3万人を突破。この頃は特に函館市からの転入が多く、転入者全体の3分の2が函館市からの転入という状況でした。

人口増が止まらないことから、当時、道内町村でトップの人口だった登別町を追い抜くことは確実でした。そして1969年11月、約4.6万人の人口を記録し、登別を抜いて道内町村トップに躍り出ることになりました。

1970年9月には5万人に到達。町制施行当時は約2万人だったのに10年間で2倍以上の約3.4万人増えて約5.5万人になり、国勢調査ベースでも5年間で75.7%増という驚異的人口増を見せたのです。

5万人を超えれば市制施行も実現可能です。しかも、当時は道内で14番目の人口です。当然、市制施行の流れとなり、町制施行からわずか10年後の1971年11月1日に市制施行し「亀田市」になりました。わずか10年前まで龜田村だった自治体が、合併によらずして短期間のうちに市に昇格するまでに急成長したのです。

国勢調査や住民基本台帳によると、町制施行間もない1965年には約2.9万人の人口でしたが、市制施行した1971年には5.5万人を数えるまでに急増していることがわかります。町制施行から2年後・編入直前の1973年10月31日の住民基本台帳では、66,552人という驚異的な人口増ぶりを記録しました。13年間で3倍以上です。

亀田の人口増の推移

道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!

大正時代~1950年代

1913年 0.7万人
1934年 0.9万人
1945年 1.7万人
1948年 1.9万人
1949年 1.3万人(港町一部函館市へ編入のため)
1955年 1.5万人

人口増時代(1960年~)

1960年 1.9万人
1961年 2.0万人
1962年 2.1万人(町制施行)
1963年 2.4万人
1964年 2.6万人
1965年 2.9万人
1966年 3.0万人
1967年 3.5万人
1968年 3.9万人
1969年 4.6万人(登別を抜いて道内町村で人口一位)
1970年 5.0万人
1971年 5.5万人(市制施行)
1972年 6.0万人
1973年 6.7万人(函館市へ編入合併)

函館市へ編入し消滅。日本で二番目に短命の市に

この亀田市時代はわずか2年で終わりました。1973年12月1日、亀田市を函館市が編入合併したことにより、市新設による一時消滅を除けば道内で初めて、編入による市 消滅が記録されることになりました。亀田市が存在したのは2年1ヶ月、日数にして761日でした。これは、日本の市として二番目に短い存在期間として記録されることになりました。

旧亀田市役所は函館市役所亀田支所に変更。合併後は市境界線の撤廃により、人口移動が加速し、函館の街の人の流れが変わるようになっていきました。

現在は亀田市と函館市の境界線がはっきり分からないほど市街地が続いている状況です。土地に限界がある海沿いの町・函館の市街地拡大は内陸部に広まるしかなく、隣接した亀田地区が工場進出地またベッドタウンとして発展し、市制施行するのは時間の問題であったともいえます。

▼1977年、編入合併された後の亀田地区では、五稜郭周辺はすっかり住宅地に囲まれ、産業道路を超えて宅地化が進んでいるのがわかる(国土地理院航空写真より)
道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!

▼1988年では山裾の方まで住宅地が拡大している(国土地理院航空写真より)

道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!

亀田市と函館市の合併構想の理由

なぜ亀田市は自立の道を歩まず、函館市と合併したのでしょうか。

そもそも、函館と亀田はひとつという認識があったことから、龜田村との合併構想は昭和前期時代からあり、そのころの函館市長は龜田村や上磯町(現在の北斗市)との合併を前提とした都市計画構想を計画していました。つまり、函館市の強い働きかけがあったというわけです。1938年には龜田村との合併協議があったと記録されています。

その後も合併協議が中断しながらも進められ、第一弾として、函館湾に面する港町地区の編入が決定しました。五稜郭駅の裏手から有川埠頭までの区域で、現在フェリーターミナルのある辺りです。有川埠頭が函館市となったことで、港湾整備が進められることになりました。

町制施行後数年たって、自ら「合併町長」を名乗る合併推進派の町長が当選。広報誌の中で「函館と亀田とは歴史的にも地理的にも全く一つであり、無理に二つに分けているのであります。(中略)函館との一体化は、亀田町民の生活をよくし、道南の振興に役立つものと信じております」と書くなど、合併問題は亀田町時代から懸案事項でした。

こうした背景もあって函館市との合併話が加速。1973年6月29日に「函館市亀田市合併協議会」設置を可決、8月までに協議事項について合意に至りました。9月7日に市議会で合併議案が可決され、11月7日に「亀田市を廃し、その区域を函館市に編入する」ことが自治省から告示されました。

そして12月1日、ついに30万都市・函館が誕生。それと同時に、二級町村制を施行して龜田村が誕生してから71年の歴史を持つ「亀田市」は地図から消えました。

時代は進み、2006年2月1日には、お隣の上磯町と大野町が合併して道南で2つ目の市、北斗市が誕生しています。道南では、函館市、亀田市、北斗市という3つの市があったことになるのです。

亀田市の年表

1899年 龜田村の一部を函館区に編入
1902年 龜田村、神山村、鍛冶村、桔梗村、石川村をもって二級町村制の龜田郡龜田村とする
1911年 五稜郭駅開業
1919年 一級町村制
1935年 国勢調査で1万人
1949年 港町一部を函館市に編入
1962年 亀田町に町制施行
1965年 国勢調査で2.8万人
1967年 合併推進派の町長当選
1970年 国勢調査で5万人
1971年 亀田市に市制施行
1973年 住民基本台帳で6.6万人、両市議会合併議案可決、函館市に編入合併し30万都市誕生

参考文献:「函館市史 亀田市編」
この記事は2014年に掲載した記事を再編成したものです。

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