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旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに

  

芦別市街から南に車で約8分。国道452号の炭山川に架かる橋の上から、ディーゼル機関車と貨車が乗った赤い鉄道橋梁が見えます。これは、三井鉱山の石炭を運ぶことを目的に敷設された専用鉄道線の「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」。日本遺産のストーリー「炭鉄港」を構成する炭鉱遺産の一つで、同路線を代表する遺産の一つです。

そもそも、三井芦別鉄道とは?

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
三井芦別鉄道路線図

三井芦別鉄道は、1939年(昭和14年)に三井鉱山株式会社が起業し芦別鉱業所を開設したのに伴い、石炭輸送を目的として翌1940年(昭和15年)11月25日に開業しました。開業当初は「三井鉱山芦別専用鉄道」の名で、下芦別駅(現在のJR芦別駅)から分岐して西芦別駅(後の三井芦別駅)までの4.1㎞区間でした。

当初は三井芦別炭鉱の石炭輸送のための、蒸気機関車による貨物列車の運転でしたが、2年後の1942年(昭和17年)5月には旅客列車の運転を始めます(社芦別駅開業)。戦後1945年(昭和20年)12月には芦別川上流の頼城地区に三井鉱山の第二坑が開発されたことに伴い、頼城駅までの5㎞区間が延伸開業しました。

1949年(昭和24年)1月には地方鉄道「三井鉱山芦別鉄道」と改められ、国鉄や私鉄との連絡運輸を開始。やがて、気動車による旅客輸送が始まりました。1950年(昭和25年)の乗降客数は、三井芦別駅、頼城駅ともに1日1,000人を超えていたと言います。

1950年代に入ると、旅客用の停留場が次々と開業。頼城駅のさらに奥に同駅構内扱いの玉川停留場を開設したことに伴って約800メートル延伸し、これが同路線の最終的な終着点となりました。

1960年(昭和35年)10月、三井鉱山は経営合理化のために鉄道部門を切り離し、三井芦別鉄道株式会社に移管されることになりました。ピーク時には1日20往復以上の旅客列車を運転し、芦別―頼城間を24分ほどで結んでいました。

しかし、その後は炭鉱合理化や閉山による人口流出、バス輸送の発達により1972年(昭和47年)5月末をもって気動車による旅客営業を廃止。約半世紀にわたって石炭輸送や沿線住民の足として活躍した鉄路は、1989年(平成元年)3月26日付で石炭貨物輸送も終了し、9.9㎞全線が廃止されました。

炭鉱は1992年(平成4年)9月に閉山となりました。廃止までに延べ3600万トン以上の石炭を運搬したとされています。

全12駅(5駅+7停留場)が存在した

  • 芦別駅(→芦別駅)
  • 社芦別駅(→高校通り停留場)
  • 山の手町停留場
  • 西芦別駅(→三井芦別駅)※開業時終着駅、交換駅
  • 入山停留場
  • 中の丘駅 ※交換駅
  • 幸町停留場
  • 緑泉駅 ※交換駅
  • 西町アパート前停留場
  • 芦の湯前停留場
  • 頼城駅 ※延伸時終着駅、交換駅
  • 玉川停留場(頼城駅構内扱い)※最終的な終着点

延伸時に建設された炭山川橋梁

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
国の登録有形文化財「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」の位置関係(車輛は含まない)

「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」は、第二坑開発で西芦別駅から頼城駅まで鉄路延伸されるに伴って、上流側の芦別川橋梁とともに建設されました。芦別と頼城のほぼ中間に位置します。工事は難工事だったそうで、日本人や朝鮮人の労働者を使役して建設を行ったと言います。

炭山川橋梁が完成したのは1945年(昭和20年)12月でした。鋼板桁上路6連で緩やかなカーブを描く赤い橋梁は、鉄筋コンクリート造りの円柱5本、および2連アーチからなっています。橋の長さは約94メートル、川床からの高さは32メートルあり、炭山川がかなり深い渓谷になっていることがわかります。

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
国道452号から見る橋梁

この橋は2009年(平成21年)1月22日に国の登録有形文化財となり、2019年(令和元年)5月には文化庁の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財の一つに認定されました。

橋の上にはディーゼル機関車DD501と石炭貨車セキ3820が、芦別方向を向いて静態保存されています(国の登録有形文化財ではない)。ディーゼル機関車は1964年(昭和39年)10月に富士重工業で製造されたもので、同年11月に同路線に初導入後、廃線時まで使用された50tディーゼル機関車(50DL形)です。3両が在籍していましたが、その最初の車両になります。赤い塗装に白い帯、前面の縦型に並んだ前照灯が特徴的です。

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
橋梁の上にはディーゼル機関車と石炭貨車が静態保存されている

1958年(昭和33年)1月には炭山川橋梁の芦別寄りに入山停留場が開設され、1972年(昭和47年)の旅客営業終了まで、地元の人たちに利用されていました。現在は国道452号が付け替えられて鉄道橋梁の東側を通っていますが、最盛期は西側にメイン道路(橋)が通り、芦別寄りのたもとに踏切が設けられていました。現在の道道115号芦別砂川線の一部はその名残です。

展望広場から間近に見学可能

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁と鉄道車両を見学するには、国道452号の炭山川橋から見るのが一般的です。橋梁まで少し距離がありますが、橋梁全体とその上に乗る車両を真横から見ることができます。西側を見ることになるので、午後よりは午前の方が良いでしょう。

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
国道452号の炭山川橋から。以前は向かって左側に配置されていたが現在は中央に配置されている

もっと間近で観察できる方法があります。それが道道115号芦別砂川線沿いにある展望広場です。通常、道道115号線は全面通行止めになっていますが、2019年から夏季の特定の期間に限って国道との交点から展望広場までの区間が通行可能になっています(2019年は7月10日~10月末まで、2020年は10月)。

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
期間限定で入ることができる展望広場
旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
展望広場の様子

この展望広場は、炭山川橋梁の芦別寄りのたもとにあり、橋梁と車両を真ん前から観察できるポイントです。駐車場もあり、フェンス越しに橋梁、レール、車両を間近に見ることができます。現場には、日本遺産「炭鉄港」構成文化財であることを示す説明看板、記帳ボックスが設置されています。橋の上は立入禁止です。

旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
展望広場から見る橋梁と車輛
旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
展望広場から見る車輛アップ
旧三井芦別鉄道炭山川橋梁―三井鉱山の石炭を運んだ名残がここに
紅葉に包まれた橋梁と車輛。以前はこの位置に配置されていた(空知総合振興局)

三井芦別鉄道は廃止後、芦別川橋梁やレール、駅、ホームを含めそのほとんどが撤去されてしまいました。その沿線の中でも炭山川橋梁は、今にも走り出しそうな勢いであり、往時の姿を今に伝えている貴重な炭鉱遺産といえるでしょう。

参考文献:『芦別市史』

筆者について

編集部

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