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角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

  

空知管内南部に位置する栗山町は、オオムラサキの北東限の地老舗メーカー小林酒造、日本一のきびだんごの谷田製菓のまちとして知られています。

そんな栗山町は、町制施行の前は「角田村」と呼ばれていました。なぜ角田村から栗山町に改称されたのでしょうか。その歴史をたどると、角田vs栗山の村民を巻き込んだ対立構造があったのでした。

▼オオムラサキ北東限として知られる角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

▼老舗酒造「小林酒造」小林家
角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る 角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

角田村(かくたむら)の誕生

現在の栗山町の区域には、1888年(明治21年)3月、旧仙台藩士(角田藩士)角田石川家中の泉麟太郎(当時46歳)が夕張開墾起業組合(合資)を設立し、5月16日に7戸24人が阿野呂川左岸、いわゆる角田地区の阿野呂原野に入植しました。夕張郡を「第二の角田郷」にしようと意気込んでのことでした。

この組合は角田を中心に開墾。開田事業、岩見沢までの道路開削、二股炭礦開坑、奥地開発、栗山市街地区の商工振興などを行い、その2年後の1890年(明治23年)には62戸287人になるまで拡大し、岩見沢戸長役場に属する「角田村」と呼ぶようになりました。

▼牧歌的な農村が広がる栗山町郊外
角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

1900年(明治33年)になると、1,200戸、5,000人を突破したことに伴い、角田村戸長役場が設置。1902年(明治35年)4月1日には二級町村制で夕張郡角田村が発足、1907年(明治40年)4月1日には一級町村制に移行しました。

入植者の郷土が宮城県角田だったこと、「第二の角田郷」にしようとしたことから、自然と「角田村」になったのでした。

しかし、1892年(明治25年)8月1日に室蘭本線(室蘭―岩見沢間)が開通。翌年(明治26年)7月1日に栗山駅が新設されると、次第に鉄道駅を中心とする市街形成となっていき、角田市街よりも人口が増えていきました。

一方、角田市街にようやく「角田駅」ができたのは、それよりも30年以上後のこと。1926年(大正15年)10月14日に夕張鉄道が栗山駅で接続して新夕張駅(当時)までを開通させて途中駅として開業した時でした。

しかしそれでも、室蘭本線と夕張鉄道線の接続駅「栗山駅」の役割は大きく、栗山駅周辺の市街拡大はとまらないものとなっていました。

角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

町制施行の声が高まる

1939~1940年(昭和14~15年)ころになると、角田村の町制施行の声があがるようになりました。当時、人口は1万6000人を超えており、栗山市街を中心に会社や工場が創業して商工業が発展していたのです。しかし、当時は戦時下で町制施行は実現しませんでした。

終戦後の1947年(昭和22年)ころになると、再び町制施行の声が高まりました。この時既に人口は2万人を突破していて、道内では人口と人口密度ともに30位でした。空知管内でみれば、夕張市、岩見沢市、美唄町(当時)、三笠町(当時)、芦別町(当時)、歌志内町(当時)、赤平町(当時)、砂川町(当時)、滝川町(当時)、栗沢村(当時)に次ぐ人口を擁していました。

当時の町制施行の要件には、人口5000人以上を有すること、村の中心市街地を形成している区域内の戸数が700戸以上であること、村の中心市街地を形成している区域内の商工業その他都市的業態に従事する者とその世帯の数が区域内の全人口の6割以上であることなどがあげられていました。1947年(昭和22年)の臨時国勢調査では、人口20,721人、栗山市街戸数1,456戸で、その他の要件もクリアしていました。

しかし、すんなり町制施行とはいかず、1年以上も協議を重ねました。その理由は、町名問題があったからです。「角田町」にするか「栗山町」にするかという問題が勃発したのです。

「角田町」か「栗山町」か

▼JR栗山駅
角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

角田を中心とする農村部(開拓精神尊重派)と栗山市街周辺(商工業発展派)の対立感情は、この町名変更問題にあって頂点に達しました。

歴史を見れば、入植の時からずっと角田であり、長い歴史と伝統を有するというのが、角田地区の主張。一方、町制施行の要件に照らせば、いまや中心市街は栗山であるから、町名もふさわしいものにしたいというのが、栗山地区の主張でした。将来的には、役場所在地の問題にも関わってきます。

1949年(昭和24年)1月6日に開かれた臨時村議会では、町制施行に伴う町名の件が提出されるとあって、角田を中心とした村民が議事堂を取り巻く事態に発展。町制施行は全員一致で可決したものの、町名については決着が付きませんでした。

第二回臨時村議会(1月25日)でも多数の傍聴希望者が押しかけ、傍聴席定員50名のところ、数百名の村民が議事堂を取り囲む事態になりました。それでも合意できないため、ついに「角田町」「栗山町」の二案に絞って無記名投票で採決することにしました。その結果・・・・・・。

栗山町=15票
角田町=7票
白票=1票
合計=23票

2倍近い差をつけて、新町名は「栗山町」になることが決定し、町制施行とともに町名変更が知事に上申されることになりました。そして道議会の議決を受け、1949年4月1日、角田を栗山と名称変更したうえで町制施行。夕張郡栗山町になりました。

▼栗山市街(駅前)
角田村はなぜ栗山町になったのか―町制施行と同時に改称した理由に迫る

ちなみに、栗山町の「栗山」とは、北海道日本ハムファイターズ栗山監督にちなむものではありません。和名のように聞こえますが、実はアイヌ語の「ヤムニ・ウシ」、つまり「栗の木・多いところ」を意訳したものとされています。

栗山町開拓の地となった角田地区には、現在「泉記念館」があり、この地に入植した仙台藩士 泉麟太郎にまつわる資料が展示されています。

参考文献:『栗山町史』、泉記念館展示資料

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