こんなの見たことがない! 札幌「白石本通墓地」にロケット型の墓があった


【札幌市】札幌市白石区には、それはそれは大変珍しい墓を見られる墓地があるという。なんでも、ロケットの形をしているらしい。それ以外にも、墓地敷地内では他の墓地ではあまり見かけない独特の風景が見られるという。ということでやってきたのは「白石本通墓地」[地図]。裏手はJR函館本線・貨物ターミナルの線路が広がるという場所に位置する。

ロケット型の土管の墓

同墓地・北側の敷地のほぼ中央には、赤レンガで囲まれた小さな一角があり、その中にロケット型をした大小6つの墓がある(中央には台座のみのものもある)。周囲の墓よりもはるかに小さく、何も知らなければ通り過ぎてしまいそうな存在ではある(冬は雪に埋もれてしまう)が、これらは土管型の焼き物の墓標であり、粘土を素焼きし上薬をかけて茶色く焼き上げたもの。よく見ると側面に戒名、死亡年月日などが彫りこまれている。明治39年、大正7年、大正9年、大正11年、昭和3年、などと彫りこまれており、よくよく見ると色合いも微妙に異なるのがわかる。


札幌市白石区の白石歴しるべは、かつてこの墓地には、土管型の墓のほかに角柱型の墓も散見されたが、次第に石材の墓にかわっていき、現存するのはこの土管型数個になってしまったと記録している。これらは、明治時代に愛知県からこの地にやって来た鈴木レンガ工場の瓦職人・野田荒吉氏が、家族や知人のために自分の技術を生かして作ったのだという。かつて窯業が盛んだった白石を象徴するかのような墓標といえるだろう。


歴史を紐解くと、実はこの墓地は当初、許可なく作った墓地であった。明治5年(1872年)当時、白石村(当時)にはすでに白石中央墓地が設置されていたが、村東部の住民からはもっと近い場所にも墓地がほしいと要望していた。しかし、開拓使開墾役所は「1村に1か所」という規定ゆえに許可されなかった。それで住民は無許可でこの地を墓地とした。当然正式な記録はないのだが、非公式の書類から、遅くとも明治13年(1880年)頃にはあったのではないかとされる。なお、明治35年(1902年)4月には正式に許可を受け、現在に至っている。無許可とはいえ歴史ある墓地なのだ。

円状に植えられた木々の謎


この敷地内には、もうひとつ変わり種がある。それは芝生中央に植樹された円状の木々群である。20本近くの木々が円状に植えられており、中に入るとさらに木々が数本植えられている。GoogleMapで確認しても、その円状の木々ははっきりと確認することが可能だ。




他にも鳥居がある墓や、南側に仕切られて使用されるキリスト教墓地(1932年~)と十字架の墓標群もある。地元札幌の人でも知らないことが多い墓地なので、ちょっと変わったディープな場所に行ってみたい方は是非。