北海道根室・別海が東京の管轄だったってホント?明治初期の分領支配時代の真相

かつて北海道の一部が東京府に編入されたことがあるのをご存知でしょうか。それは、道東の端っこ、根室でした。どのようないきさつで、どのくらいの期間、東京に編入されたのでしょうか。時代は、明治初期の北海道分領支配時代にさかのぼります。

東京府に編入された根室国3郡とは

1870年(明治3年)、開拓使が管轄する北海道のうち、根室地方の一部区域を東京府(東京都はかつて府政施行でそう呼ばれていた)の行政下に編入するという決定が突然なされました。1870年(明治3年)6月の『公文抄録』には次のように記録されています。

「東京府建言北道海開拓ノ儀御許容相成 根室国花咲、根室、野付、右三郡東京府受持ト被仰付可然事」

北海道分領支配の地図

前年に設置されたばかりの11国86郡の区域に従い、根室国(ねむろのくに)のうち、根室郡、野付郡、花咲郡(色丹島を除く)の3郡を東京府の区域としたのです。この3郡は現在存在しなかったり、一部が編入されたりしているので、当時のエリアを厳密に示すことは難しいのですが、概ね次のとおりでした。

  • 根室郡:現在の根室市中心部や風蓮湖、風蓮湖に流れ込む河川流域(別海町の南部)を含む(現在存在しない郡)
  • 野付郡:野付半島、別海町北部、標津町と中標津町の各一部を含む
  • 花咲郡:根室半島先端部と半島南岸部を含む(現在存在しない郡)

いつ、なぜ東京府に編入されたのか

なぜこの根室の地が遠く離れた東京府の行政下に編入されることになったのでしょうか。当時は、江戸時代から明治時代に移り変わった直後であったことが関係しています。東京府では明治維新の戦乱の後、物価が高騰し、東京の産業が不振であったことから貧困者が急増していました。失業対策は急務でした。

一方、北海道は前年(1869年(明治2年))より、北海道開拓をすすめるために道外の諸藩による分領支配が始まっていました。東京府はこれに目をつけ、北海道内の要地3~4郡程度を編入し、貧困者の移入と物産融通をしてもらうべく、明治政府にかけあいました。

明治政府は開拓使に相談。すぐに許可が降り、その管轄地として開拓使直轄地であった根室国3郡を東京府に編入する決定を下したのでした。領有開始は1870年(明治3年)6月17日のことです。

これを受けて東京府は、さっそく職員を現地に派遣し、米・麦などの生活必需品を輸送しました。しかし問題が浮上しました。

「是レ東京ノ商人輩ガ根室ノ漁利豊富ナルヲ察シ、其利ヲ占メント欲シ、運動シテ遂ニ長官ヲ動ガシ、茲に至ラシメタルモノナリ」という記録が残されている通り、東京から来た商人たちが根室で経営を着手して、利益を独占しようとしたことが判明したのです。

東京府領有はわずか5ヶ月で中止

このとき、根室の開拓判官(現地開拓責任者)に任命されていた松本十郎は、未開の地で漁場の開発を行い、藤野家が独占していた漁場を、自由に活動できるよう希望者に開放する施策で成功を挙げていました。それまでの功績が水の泡です。

東京府編入にあたり松本十郎は帰還命令を受けていましたが、事の真相を知った今、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)開拓長官に職を賭して抗議しました。

上司である黒田清隆開拓次官は、松本十郎に対し問題解決を約束。東京府編入は中止され、10月9日、根室3郡は開拓使直轄地に復帰し、松本開拓判官の治世下に戻ったのです。

根室3郡が東京府の一部だった期間は、1870年(明治3年)6月17日~10月9日までのわずか約5ヶ月間だったことになります。いずれにしても、翌年1871年(明治4年)には北海道の分領支配時代が終了しましたので、遅くともその年までには解消されていたと考えられます。

参考文献:『北海道の歴史』『根室市史』『別海町史』

※本稿は2010年5月24日に公開した記事をバージョンアップしたものです。

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