小説やドラマにもなった!新十津川町の特異な歴史を2つの記念館で学ぶ

北海道樺戸郡の北端にある新十津川町は、北海道開拓の歴史の中でも、少し異色の経歴を持つ町です。明治時代、奈良県吉野郡十津川村からの集団移住により分村し、拓かれたというのですが、どうしてそんなことになったのでしょうか。新十津川町にあるふたつの記念館を訪れて、歴史を紐解いてみることにしましょう。

新十津川町開拓記念館で新十津川町のルーツに迫る

▼新十津川町開拓記念館

なぜ奈良県の人々が、遠い北海道まで移住しなくてはならなかったのか。その答えは、1889(明治22)年に奈良県吉野郡十津川村を襲った豪雨にあります。水害で600以上もの住家が全半壊し、水田の50%、畑の20%が流失。村の4分の1が壊滅する大惨事でした。そこで人々は新天地を北海道に求め、トック原野を切り拓いて新しい十津川村をつくったのです。これが、北海道の新十津川町のはじまりです。

▼当時の移住民の決意が伺える誓約書

新十津川町開拓記念館には、当時の移住民たちによる誓約書のコピーが展示されています。そこには、千辛万苦に耐え、励まし合いながら開拓を成功させようと誓い合う、並々ならぬ決意が伺えます。

▼原始林が広がるトック原野と生きものたち

しかし、奈良県と北海道では自然環境も大きく異なります。移住民たちが入植したトック原野は当時、樹木が一面に生い茂る原始林で、ヒグマやキツネなどの動物たちが多く生息していました。そんな土地を開拓していくことが容易ではなかったことは、言うまでもないでしょう。

▼少しずつ発達していく新十津川

苦しい開拓生活でしたが、それでも移住民たちは、未来を担う子どもたちへの教育も忘れていなかったそうです。

▼1895(明治28)年には文武館を開校

1897(明治30)年以降になると、村を離れる人々もありましたが、その一方で北陸や四国から新たな移住民がやって来ました。母村との交流も再開され、時は過ぎ、1957(昭和32)年1月1日になって、現在の新十津川町へと名を改めたのです。奈良県から新天地を求めて北海道に辿り着いた時から、実に67年の年月が流れていました。

▼今でも新十津川町の町章と奈良の十津川村の村章は同じ(写真提供:新十津川町)

小説、そしてテレビドラマに! 新十津川物語記念館で物語の世界に浸る

▼新十津川物語記念館

そんな新十津川町の歴史に興味を持った人物がいました。奈良県出身で児童文学者の川村たかしです。幼い頃から十津川村の災害について聞かされていた川村は、いつかこの史実を物語にしたいと考えていました。1972(昭和47)年に取材をはじめ、その5年後、1977(昭和52)年にようやく第一巻を刊行します。

▼記念館には川村たかしコーナーも

川村たかし著『新十津川物語』第一巻はこちら(AMAZON)

全十巻を刊行し、完結したのは1988(昭和63)年でした。取材をはじめてから、川村は約17年という長きにわたってこの物語に取り組んだのです。そして、その2年後の1990(平成2)年には、NHKでテレビドラマ化されることが決定しました。

▼記念館では撮影時の様子も展示されている

ドラマは1991(平成3)年に明治編が、1992(平成4)年に大正編がそれぞれ全国放映され、主人公の少女フキの健気な姿に、多くの人が共感し、勇気づけられました。

▼新十津川物語の主人公、津田フキの像

その後、物語の精神を伝えていこうと建設されたのが、新十津川物語記念館です。開拓当時の文武館をイメージした建物で、NHKテレビドラマの写真パネルや、川村たかしの実際の原稿などが飾られ、物語の世界に一層のめり込むことができます。

▼38分のドラマダイジェスト版も放映

気候も文化も異なる奈良県から北海道へと移住することは、現在の私たちにとっても決してたやすいことではありません。それを明治時代に普通の村民たちがやり遂げ、しかも原野を開拓したという事実には、驚くばかりです。

新十津川町を訪れる機会があったら、今回ご紹介したふたつの記念館を訪れてみてはいかがでしょうか。彼らの強い志は、きっと今を生きる私たちの心をも揺さぶってくれるはずです。

新十津川町開拓記念館
所在地:北海道樺戸郡新十津川町字中央1番地1
電話:0125-76-2622
開館時間:10時~16時(金曜日のみ~13時)
休館日:毎週月・火曜日及び11月~4月
入館料:大人140円、小・中学生70円
新十津川物語記念館
所在地:北海道樺戸郡十津川町字総進188番地6
電話:0125-76-2995
開館時間:10時~16時
休館日:11月1日~4月28日
入館料:大人140円、小・中学生70円