2018年は、北海道にとって命名150年という記念すべき年でした。さまざまなセレモニーやイベントが開催され、北海道は大いに盛り上がり、その熱は道外にも広がりを見せたほどです。
そんな2018年の終わりに、ひとつのニュースが飛び込んできました。道が、札幌市厚別区の道立自然公園野幌森林公園にある北海道百年記念塔を解体する方針を固めたというのです。新たな節目を刻んだ年に、過去の節目を刻んだモニュメントがひとつ、姿を消すことになりました。改めて百年記念塔とはどういうものだったのか、振り返ってみましょう。
北海道が発展していくシンボルとして
▼夏、正面から臨む百年記念塔
1869(明治2)年、新政府は北辺のこの地を「北海道」と命名し、開拓使を置きました。それから100年後の1968(昭和43)年、「開拓の先人に対する慰霊と顕彰、そして栄光の北海道の新世紀を築く道民の意欲のシンボル」として巨碑を建設することになりました。これが百年記念塔のはじまりです。
▼冬、正面から臨む百年記念塔
塔の設計は、全国から寄せられた299点の中から、北海道出身の井口健さんの作品が最優秀作品として選ばれました。実施設計も井口さんの所属する建築事務所が請け負うことになり、井口さん自身が現場に常駐して指導に当たったといいます。こうして1968(昭和43)年11月に着工した百年記念塔は、1970(昭和45)年7月に完工、同年9月2日に落成式が盛大に行われました。
▼基底部は大地に根を下ろすイメージ
耐候性鋼板張の塔身は過酷な風雪と闘う鎧を、裾野に広がる基底部は大地にしっかり根を下ろす原始の大樹を思わせます。また、鋭く尖って天を指す先端は、輝く未来の創造に向かって生長しようとする道民の姿を象徴しています。井口さん自身、設計を振り返って「北海道発展に対する道民の決意とフロンティア魂の無限性と生命力を表現したいと願った」と語っています。
▼展望台からは石狩平野も見えたという
1971(昭和46)年からは一般公開され、25階(100m)の高さがあるうちの8階(23.5m)には無料で入ることのできる展望室がありました。展望室からは、天気が良ければ江別市や石狩平野まで見渡せたといい、地域のシンボルとして道民に親しまれてきました。
進む老朽化に悩んだ末の決断
▼現在、周囲には立入禁止の看板が
長きにわたり愛されてきた百年記念塔も、建設されてから50年近い年月が過ぎました。塔の老朽化は否応なく進み、2014(平成26)年には錆片が落下するなどして、塔への立ち入りが禁止されました。2018(平成30)年に発生した台風21号でも、長さ約2mの金属片が落下し、老朽化は深刻な事態となっていったのです。
▼遠目にも外壁の鋼板が古びているのが分かる
塔の老朽化を進めたのは錆で、錆の原因は主に雨水の塔内部への侵入でした。雨水の侵入を完全に防ぐことやこれ以上の排水対策は塔の構造上困難で、道は保存すべきか解体すべきか、決断を迫られました。
▼近くで見ると錆は酷い状態に(写真提供:北海道)
当然のことながら、地元住民の中からは「残してほしい」という声も飛び出しました。しかし、今後50年間の維持費が約29億円にも上ること、そして老朽化の進展を完全に防ぐことは困難との結論から、2018(平成30)年12月、解体する方針が正式に道から発表されました。
▼腐食して穴が開いた部分も(写真提供:北海道)
ちなみに道の試算では、解体にかかる経費は約4億円なのだそう。解体の時期は未定ということですが、奇しくも北海道命名150年という記念すべき年の最後に、百年記念塔を解体するという方針が示されたことが、流れる年月の重みをより一層感じさせます。
▼塔の内部でも床割れが確認されている(写真提供:北海道)
百年記念塔はなくなりますが、塔が建っていた事実、そして地元民をはじめ北海道民に親しまれ、愛されていたという事実は変わりません。何より、天に向かってすっくと伸びる凜々しい姿は、多くの人の記憶に残り続けるはず。
塔の跡地には、新たなモニュメントを設置することとし、記念塔にあるレリーフや解体材の有効活用を検討することも発表されています。新しい時代のシンボルとして、百年記念塔のように長く愛されていくことを願ってやみません。
所在地:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌53-2