元Whiteberry前田由紀が語る:解散10年の今だから言えること

かつて『夏祭り』が大ヒットし日本中を席巻した、北海道・北見発のガールズバンド「Whiteberry」。いまも同曲が夏の定番ソングとして定着していたり、いまでも彼女たちのCDを聞いているという根強いファンも多いようです。

そんなWhiteberryは、1994年の結成から20年、2004年の解散から10年を迎えます。今回はボーカルを務めた前田由紀さんに、解散後いまだから言えることを語ってもらいました。前半ではWhiteberry時代の10年を振り返り、後半では解散後から現在までのソロ活動を振り返ります。

プロフィール

前田由紀

前田由紀(まえだゆき)

1985年10月12日北見市生まれ、東京在住のシンガーソングライター。元Whiteberryボーカル。現在は東京を拠点にソロ活動をし、2013年夏以降は2人組女性バンド「ファッションパンクガール」としても活動する傍ら、「あなたの街に『夏祭り』を歌いに行きます」キャンペーンも展開中。

Whiteberry(ホワイトベリー)

1994年に北見市で結成された「ストロベリーキッズ」を前身とする5人組ガールズバンド。ボーカル前田由紀、ギター稲月彩、ベース長谷川ゆかり、キーボード水沢里美、ドラムス川村恵里加で構成される。1997年6月にテレビ番組『投稿!特ホウ王国』で紹介されたことをきっかけに、1999年8月4日にミニアルバム『after school』でメジャーデビュー。2000年8月にリリースされた『夏祭り』はオリコンシングルチャート最高3位を記録し、サマーソングの一つとして日本中に広く定着。同年の第51回NHK紅白歌合戦に初出場し同曲を歌い上げた。2004年3月31日に一部メンバーの卒業等を理由に解散。

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結成―原点は地元のお祭りでの演奏

前田由紀

―― 結成当時は「ストロベリーキッズ」という名前でした。最初はどのようなスタートだったのですか?

稲月彩(ギター)が一人でギターをやっていたんです。彼女は父親に教えてもらって子供ギターを弾いていたそうですが、『せっかくだからバンドを組みたい』という父親の意向で、彼女の母親がやってる子供服屋に『バンドメンバー募集』の貼り紙を出したのが始まりです。メンバーはいろいろ変わって、多くて6人だったこともあるようです。私は後から入って、Whiteberryの最終的なメンバー5人が固まりました。

―― 当時の活動を振り返って、子供ながらに覚えている思い出って何かありますか?

当時は「JUDY AND MARY」とかのカバーだけで、北見ぼんちまつりとか北見のお祭りで演奏してました。虫が飛んできたり、雨が降ってきてお客さん一人もいないとか、終わったら焼き鳥のおじさんが差し入れてくれたりしたのを覚えてます。小中学生でライブハウスには出られないので、週末に昼間のお祭りに出るという『お祭りバンド』でした。

当時は、お祭りに来ている家族とかが、歩きながら見ているという感じです。『あー小学生バンドだ』みたいな感じで見ていましたし、同世代の子が『わーすごい!同い年なのに楽器弾いている』というのは感じてました。同世代はみんな知っていたと思います。友達が見に来てくれたこともあります。

練習は、メンバーの父親の家が演奏できる喫茶店をやってて、週3回夜に集まってしていました。3人学校が一緒で、ほか2人は近い学校だったんですけど、学校終わった後にメンバーが集まって、練習して、ギターの子の母親が料理を作ってくれてて。家族よりも誰よりも一緒にいたメンバーでしたね。とにかく楽しかったです。

メジャーデビュー!とにかく楽しかった記憶しかない

前田由紀

―― メジャーデビューのきっかけは、とあるテレビ番組だったそうですね。

一般人が投稿するウッチャンナンチャンのテレビ番組『投稿!特ホウ王国』があったんですが、ギターの子の母親が『こんな田舎にガールズロックバンドいますよ』と投稿したのが採用されて、テレビに流れたんですよ。『普段は学校に行っているのに、夜になると変貌してバンドやってる』みたいな。

そのテレビをソニーレコードの人が見てくれてたようで、北見まで来て、私たちの親たちと話し合いをして決めたようです。子供だから難しいことはわからなかったのですが、テレビに出ることはわかってました。『わー、東京行けるんだ、やったー』という、修学旅行の雰囲気だったのを覚えてます。それが小学6年の時でした。

―― デビュー後の生活は学校との両立もあってかなりハードだったんでしょうね。

とにかく忙しかったですね。金曜日まで学校通って、金・土・日は東京、この生活を毎週でしたから。今となってはあまり覚えていないですが、疲れていたけど楽しかった記憶だけ残ってます。北見に帰ってくると普通の学生に戻るんで、意外とみんな普通でした。昔からストロベリーキッズとしてやってきていたので、その延長という感じでやってました。

―― 曲作りについても聞きたいんですが、いま全曲を振り返って、思い入れのある曲はありますか?

「JUDY AND MARY」の恩田さんがプロデュースしてくれたのですが、そのときにはじめて私たちで作詞を考えました。メンバー5人でそれぞれ書いて、最終的にまとめてくれるという流れです。自分たちがそのままの言葉で書いていたので等身大です。今となっては子供っぽいといわれるかもしれないですが、当時のままの歌詞を書いていました。

「桜並木道」(5th)は、みんなではじめて曲も作って出したシングルなんですけど、春の卒業みたいな感じで、5人で作った曲なのでお気に入りです。これは今でもたまに歌っています。一人で書いたものもあります。「あくび」(4th)「空の飛び方」(1st)「携帯中毒」(5th)「ちこくのうた」(2nd)「それだけなんだけど」(2ndAlbum)は私が一人で書いた曲です。特に「空の飛び方」は、中学1年の時に書いたんですけど、意外と反響があってうれしかったですね。

―― 地元での反響を感じることはありましたか?

忙しかったので、みんながCDを買って聞いてくれているのかすらわからないくらいでした。今になって、同い年の人がみんな聞いてくれていたことに気づいているという状況です。10年たっているのに、今でも聞いてくれたり、これからも頑張って、という反応を頂くことがあってびっくりすることがあります。ありがたいことに、『夏祭り』は今でもラジオなどでもかけてくれています。定着しているなと感じられるのは今でもうれしいです。当時はそれを聞く時間も余裕もなかったですからね。

再結成にはかなり前向きです

前田由紀

―― 解散を決意したのはなぜ?

ちょうど高校卒業の時期で、大学に行く人、東京に行きたい人、気持がバラバラで、それだったら、みんな好きなことやろうということで解散しました。

(北見での)ラストライブは、悲しかったけど晴れ晴れとしてて、『あーみんなこれで終わりだー」という感じで、感覚的には学校を卒業する感じでした。これから先のことしか見えなかったです。特に決まっていたわけではないですけど、でも先の希望もありました。私はずっと歌い続けていきたいと思っていて、とりあえず東京に行こうと考えてました。

―― いまほかのメンバーの近況は?一緒にやってたらよかったと思うことはありますか?

ほかのメンバーは全く音楽やってません。私一人だけ。
一緒にやってれば……とかは思いません。結婚している人もいるし、子供がいる人もいるし、みんな幸せになってよかったなと思って。あの時期にがーっと楽しいことをやったということであって、バンドを仕事するためにやってきたわけではないし、それぞれの道を行ったほうがみんならしい。それぞれの道に行ってよかったなと思います。もしまたやりたくなったら、『ちょっと一日だけでもライブしない?』と言えばできると思うんです。みんなわかりあった仲間ですし、そんな簡単には関係は崩れないんで。

―― ということは、Whiteberry再結成を考える?

ぜんぜん考えます、考えます。呼びかけたりしています。『来年やろうよ』とか。でも、なかなかメンバー5人で揃うのは難しくて……。一人でも欠けるのは嫌なんです。私はいつでもできますけど、ほかのメンバーは事情もあるし、いま3人は北海道、私含めて2人は東京と、場所も遠いので。

それでも前向きではあります。私はいつでも呼びかけてます。「再結成して」という声は、私が一番よく聞くんで。やるなら、北海道と東京でやりたいですね。最後(ラストライブ)が北見だったんで、始まりは北見でいいんじゃないかなと。東京にもファンがいるんで東京でもやりたいなと思います。楽しくないと意味がないんで、みんなで楽しんでやりたいです。

―― 解散10年、当時を振り返ってみて、いまだから思うことはありますか?

あの歳でやれてよかったなと思います。普通は、音楽を職業にして音楽で食べていきたいという目標で、10代で高校を卒業して東京に出ていくじゃないですか。でも私たちはその逆で、その前に音楽で生活していて『売れたい』というのもない、その中でただ楽しく、まっすぐな歌詞を書いて、5人で楽しく演奏をするということに没頭できたので、すごくよかったなと。

学生なのに仕事をいっぱいして大変でしたけど、純真無垢で何も気にせず音楽をできたのは幸せだったなと思います。当時はそんな意識はなかったですけど、今思えば、ほかの人にはできない経験だったなと。紅白歌合戦出場も緊張しましたけど、その経験は貴重でした。いまでは私の財産です!宝物です!

解散後単身上京―作った曲は孤独な歌が多かった

前田由紀

―― Whiteberry解散後、北海道じゃなくて東京に行ったのはなぜでしょうか?

Whiteberry時代に東京に行きなれていたのもあったし、自分がバンド好きで、ほかのバンドをいろいろ見に行けるからです。東京に行ってからは、バイトがすごいしたかったので、とりあえずバイトしました。家の近くにガソリンスタンドがあってアルバイトを募集してたんでそこで。出だしはそこで、それからいろいろ経験しました。東京では大人の苦労があって、卒業後のほうが大変でした。何も知らなすぎて大変だったんです。

―― 音楽のほうはどうでしたか?

やっぱり歌が歌いたいなと思った時、曲がないと歌えないんで、じゃあ自分で曲を作ろうと思って、19歳くらいから作詞作曲を始めました。弾けないのにギターを一本持ってて、それでなんとか曲を作って、最初はバックバンドつけてオリジナルを歌い続けました。いろんな形を経て、今は一人でギター弾き語りという形になっています。

―― 当時はどういう歌を作って歌っていたんですか?

東京に出てきて、友達も知り合いもいなくて結構一人だったのですが、吐き出し口がなくて、それが結局、歌でした。最初はその時出たものをそのまま歌うというもので、暗い歌、というより孤独な歌が多かったです。だから、Whiteberryの曲とオリジナル曲とのギャップが激しいと思います。当時は大変なことが多くて、寂しい気持ちが大きかったです。

寂しさからの脱出―それは過去のファンの人たちのおかげ

前田由紀

―― 寂しい気持ちから脱出できたのはいつごろでしょうか?きっかけとかあったんでしょうか?

んー、実はここ最近です。
月日がたって、いろんな人に出会って、いろんな経験ができたからだと思います。一人で何ができるんだろうと自分で悩んで、脱出できなかったんです。でも、そこからやっと解放されて、すべてを受け入れて、自分で歌っていこうという気持ちにどんどん変わってきました。

―― 意外と辛い時期があったんですね。その時期を支えてくれた人はいますか?

歌っている仲間もいますけど、『Whiteberry当時聞いてました』という人とかですかね。過去のファンの人たちです。そういった人たちが底から引っ張り出してくれたのではないかと思います。最初、踏ん張っている時は何を言われてもうれしくなかったんです。『Whiteberryは解散しているし私にはどうにもできないよ』という気持ちだったんですが、それが、言われてもどんどんうれしいと思えるようになってきて、みんなに伝えていかないと、歌い手として頑張っていこう、と思えるようになりました。

また、たまにテレビのオファーがあっても、『一人で出るのも嫌だし、いまさら出ても』という気持ちもあって断ったりしてましたが、出てみようかなと思って出てみると、意外と反響があって、みんな喜んでくれるのがうれしくて、自分でもどんどん出て行こうと思い始めてきました。

どんな孤独の曲が生まれようとも、細々と10年間続けて今につながっているので、歌うことをやめなくてよかったと思っています。Whiteberryの曲を、今でも自信を持って、一人でも歌えるようになっているので、歌い続けてくるための作詞作曲だったんだなと、今になって思います。

最初、『Whiteberryの歌を歌って』と言われても、Whiteberry5人の歌という思いもあったので、『解散してるし、ギター弾けないし、なんで一人でやんなきゃいけないんですかー』と維持を張っていたところもありました。でも、ここ2年くらいで、Whiteberryの歌をまた歌えるようになりましたし、夏になると『夏祭り』を歌ってほしいという声をとても多くいただくので、みんなの前でまた『夏祭り』を歌おうと思い始めました。

あなたの街に『夏祭り』歌いに行きます!

前田由紀

―― それが今大々的に行っている「あなたの街に『夏祭り』歌いに行きます!」キャンペーンにつながると思うのですが、これについてどのような取り組みか教えていただけますか?

私は『夏祭り』をライブハウスで歌うこともあるけど、せっかくならお祭りで歌いたいなと思って始めました。町内会でやるような小さいイベントです。そういうのが頭の中にあって、どうやったらそこで歌えるんだろうかと思ってた時、イベントをやってる人と知り合って「『夏祭り』を歌いに行きます!」というのを広めることになりました。

お祭りで歌いたいとはずっと思ってました。ストロベリーキッズ時代はお祭りバンドでしたから。ライブハウスって決まった人しか来ません。でもお祭りって、子供、おばあちゃん、おじいちゃん、家族がいて、そういうお祭りの雰囲気で『夏祭り』を歌うということがやりたかったんです。この曲は小さい子供も知っている子がいたりしますので、そこで歌えたらみんな楽しいだろうと。みんな浴衣着て、世代関係なくみんなに聞いてほしかった。あの曲はそんな雰囲気に絶対合いますしね。あとは、『花火大会とかであの曲がかかっていると夏だなと感じる』と聞いていて、そういうところに私が歌いに行きたいなと思いました。みんなの記憶の中にその音楽があると思いますし、『夏祭り』に限ってはライブハウスでは絶対届かないなと思ったんで。

―― 今までキャンペーンでどこに行かれましたか?

青森南部まつりに行きました。あとは、関西地方のショッピングモール、テーマパークで歌うことが多いです。今までだいたい10か所くらいは行ってます。まだ始めたばかりなので、『夏のお祭り・花火大会でやりたい』というのをもっと広めていきたいなと思います。地元なんで、北海道からもオファーきたら行きたいです。

―― 今ではサポートしてくれる人たちもいるようですね。

当時ファンだった人が、カメラやってたり、メイクやってたりと、当時のファンが今すごい助けてくれています。音楽の仕事をしていてお誘いしてくれたり、困ってたら助けてくれたり、当時はステージ側とお客さん側だったけど、今は同じ土台に立ってその人たちに助けられているのはうれしいです。昔ファンクラブに入っていたとか、おっかけやってた人が、ホームページ作ってくれたり写真撮ってくれたりCD作ってくれたり、そういう出会いが不思議と多くて、本当に助けられています。

再結成したいし、道民のみなさんの目の届くところで歌えたらうれしい

前田由紀

―― 今後の目標をお聞かせください。

歌える場をどんどん広げていきたいです。北海道もそうですし。あとは、一日でも早く再結成したい。これは、個人的な目標です。私はいつでもしたいと思っています。またメンバーの演奏で歌いたいです、私は。

―― 最後に北海道民、故郷の北見の方々にメッセージをお願いします!

また北海道にも歌いに行きたいし、いつまでも北海道出身だという気持ちで輝いていたいですね。笑 みなさんの目の届くところで歌えたらうれしいなと思います。

取材後記

前田由紀

Whiteberryは、ちょうど2014年で、前身のストロベリーキッズ結成から20年、解散から10年という節目を迎えることになります。解散後の10年を振り返ると、様々な苦労があったとのこと。それでも地道に音楽活動を続け、周りの人たちやかつてのファンに支えられたからこそ、いま長く暗いトンネルを抜け出せていると語ってくれました。

彼女の原点はストロベリーキッズというお祭りバンド。小さいころに体感した、老若男女問わずみんなが楽しめるお祭りの雰囲気や楽しさがわかっているからこそ、今でもそこに価値を見出し、お祭りに名曲を歌いに行く活動をしているわけです。

撮影時は、落ち葉を頭に載せたりするお茶目な一面も見せてくれた前田さん。自然のまま、ありのまま、自由にやりたいことをやって楽しんでいる様子が印象的でした。前田さんの個人的目標であるWhiteberryの再結成、一日も早く実現してくれるといいですね。

前田由紀 公式サイト