魚肉のすり身。いまや誰もが知っているこの食品は、世界でも生産されており、諸外国でも共通語「SURIMI」と呼ばれています。ということはつまり日本で開発された食品ということです。網走市がその”出身地”です。
網走で開発された冷凍すり身
冷凍すり身というのは、鮮魚の魚肉を皮・骨と分離し洗浄、脱水した後、変性抑制剤として砂糖、ソルビット、リン酸塩を入れて凍らせたものです。原料はスケソウダラ、ホッケなど。これをもとに、ちくわ、蒲鉾(地元網走では西日本の影響で天ぷらと呼ぶ)などの水産練り製品が製造されます。
すり身が誕生したのは1960年。網走の北海道立水産試験場が開発しました。オホーツク・北洋で多く漁獲される白身魚のスケソウダラ資源を有効活用しようと、新たな製品を開発することになりました。こうして生まれたのが「無塩冷凍すり身」でした。
1965年までに水分・弾力などを調整し、生産時の技術も確立されました。1963年に北海道が冷凍すり身技術の特許を取得しました。
当時、即席めんに匹敵する発明品といわれ、水産練り製品の原材料「すり身」が高く評価されるようになりました。すり身は国内外に影響を与え、各地でこれを原料とした製品が多く作られるようになりました。
すり身生産のピークと減少
1965年に商用加工船ですり身を生産する洋上すり身が本格的に生産されるようになり、飛躍的に生産量が急増しました。開発年1960年の生産量は250tでしたが、1976年にピークを迎え45万tになりました。1966年にはすり身工場が市内に12工場設置されていました。
しかし、1977年に200海里水域が設けられると、漁獲が制限され、洋上すり身生産が困難になりました。現在は10万t程度の国内生産量で、一方で約30万tといわれる輸入品すり身が台頭しています。
とはいえ、スケソウダラやホッケといった白身魚を大量に処理するのに、冷凍すり身しか方法がなく、生産量は少なくなっているとはいえ、今後も国内で生産されていくことでしょう。
現在の網走とすり身
現在、網走市には「全国すり身協会」本部・技術研究所が立地しています。また、市内に5つのかまぼこ生産工場があり、天ぷらかまぼこを味わうことができます。一度試してみては。
網走ではさつま揚げ、油で揚げたかまぼこを「天ぷら」と称します。これは西日本の影響が強いといわれています。愛媛県から来た人が、長天という「天ぷら」を生産し販売したことから、網走では「天ぷら」は揚げかまぼこも意味します。
網走のかまぼこ「流氷の詩(かまぼこ)10個入り」です。一個一個手作りで焼き上げております。「量より美味しさにこだわりたい」と量産はしておりません。