狩太町はなぜニセコ町になったのか―全国2番目のカタカナ町名誕生の経緯

観光リゾート地として国内外から人気の高い後志管内ニセコ町。「スキーとニセコ連峰」として北海道遺産に選ばれたスキーリゾートを有する場所です。一方で、羊蹄山周辺の支笏洞爺国立公園、ニセコアンヌプリ周辺のニセコ積丹小樽海岸国定公園、清流日本一に選ばれた尻別川の流れる場所として、自然豊かな地としても知られています。

そんなニセコ町はかつて、「狩太町」(かりぶと)と呼ばれていました。なぜ「ニセコ町」に改名したのでしょうか。それは、国定公園指定の頃にまでさかのぼります。

そもそも狩太(かりぶと)とは?

▼羊蹄山を望む

ニセコ町の区域は、「狩太村」として発足しました。もともと、隣接する真狩村(まっかりむら)に属する真狩村字真狩別太でした。1901年(明治34年)、真狩村から分村し独立。「真狩別太」から「狩太」をとって「狩太村」と称しました。狩太村は1950年(昭和25年)に町制施行しました。

1910年(明治43年)には現在の倶知安町の区域から仁勢古安(ニセコ、曽我)を併合し「ニセコアン」に改称、1937年(昭和12年)に字地番改正で字ニセコが誕生しました。

ちなみに「真狩別太」はアイヌ語「マク・カリ・ベツ・プトゥ」(マッカリベツ川の川口)に漢字をあてたもので、真狩別川と尻別川が合流するところを意味しています。

▼スキーリゾートの一つ、ニセコひらふ

駅名を改正しようとしたら町名改正にまで発展

町名改正の動きは、1936年(昭和11年)9月と1964年(昭和39年)の2度ありました。戦前のほうは実現しませんでしたが、戦後のほうは実現しました。

まず、1963年(昭和38年)7月24日、ニセコアンヌプリを中心とするニセコ道立公園、小樽、積丹半島までの広範囲なエリアが「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に指定されて観光客が増加してから、町名改正の声が出はじめました。「ニセコ地区が国定公園に指定されたが、ニセコの玄関がどこかわからないとの苦情が来ている。ニセコの玄関口として狩太駅の駅名をニセコ駅に改称してはどうか」との意見が出たのです。

▼現在のニセコ駅はかつて狩太駅だった

こうした意見は、1964年(昭和39年)2月以降、狩太町議会でも論議されるまでに至りますが、すんなり改名できたわけではありません。当時の町長は「ニセコ連峰は狩太町だけではなく、隣接する倶知安町なども関係するから」との理由で、慎重な姿勢を崩しませんでした。

もう一つ、駅名改正実現を難しくする要素がありました。町が当時の国鉄道総局に駅名改正の伺いを立てたのですが、前例がない「カタカナの駅名はなじまない」と難色を示されたのです。5月には、札幌鉄道管理局長に狩太駅の駅名を改正することについて陳情しますが、当時の国鉄は、駅名には所在地名をつける方針であり、手続き上困難であることが判明します。

それでも、駅名改正を実現させようとする動きは勢いを増し、「駅名改正が無理なら先に町名を改正してしまおう」という動きに変わっていきました。

そして、全国2例目のカタカナ町名誕生へ

1964年(昭和39年)4月24日、町議会議員協議会で町名と駅名を「狩太」から「ニセコ」に変更することが提案されて賛成を得たのに続き、6月に実施した町民アンケートでは賛成多数であったため、町名変更の条例を制定することになりました。

隣接する倶知安町の反対派との会合も進められ、京極、喜茂別、真狩、留寿都の4町村長が仲介役となって斡旋案を8月25日までに承諾。

こうして同年10月1日、国定公園ニセコアンヌプリを仰ぐ町として、行政上から見てもふさわしい名称「ニセコ町」に変更することが、ついに実現したのでした。これにより、滋賀県マキノ町(1955~2005年)に次ぐ、全国で2番目のカタカナ町名が誕生しました。

▼ニセコひらふの町並み

当時の町名改正を振り返って、ひとりの町民の声が2014年9月号の『広報ニセコ』に掲載されました。

「『斬新でいいね』という人もいれば、そのまま『狩太が重みがあっていいね』という人もいた。神社にしても名前が変わるわけじゃないし、それなりの重みがあったし、分村した時からずっとその名前できていて由緒があるわけだから。ただ、時代の変遷を見ると、外国人が観光客としてきたり、移住したり、ホテルができてスキー場にも人が来てひらけてきたので、『ニセコ』に改名してよかったと思う」

駅名変更はどうなったのか

▼ニセコ駅舎

一方、念願だった狩太駅のニセコ駅への改正は、それから3年半後の1968年(昭和43年)4月1日まで待たなければなりませんでした。(ちなみにこの駅は、1904年に「真狩駅」として開業し、1906年に「狩太駅」に改称。)

カタカナのみの駅名は前例がなく、国鉄(後のJR)としては全国で初めてのことでした。私鉄を含めると、1961年(昭和36年)富士急行のハイランド駅(当時)が全国初のカタカナのみの駅名で、ニセコ駅はそれに次ぐ駅となりました。

ニセコ町の改正は、国定公園指定に端を発し、駅名改正を目指す動きとなり、最終的に町名改正を実現させる動きにまで発展しました。旧国鉄が駅名変更に難色を示したことや、隣接町からの抗議で若干の摩擦はあったものの、それら障害を克服して町名および駅名改正の実現を獲得した珍しい例として、歴史に刻まれています。

参考文献:『ニセコ町百年史』