「悲別駅」に「悲別ロマン座」―上砂川町と歌志内市に「悲別」がある理由

北海道悲別町。そんな町は存在せず、これまでも存在したことはありません。しかし、空知管内上砂川町や歌志内市を訪ねると、「悲別駅」「悲別ロマン座」といった名を見かけます。

「悲別」とは、かつて放送されたテレビドラマ『昨日、悲別で』のこと。ここ、上砂川町や歌志内市を中心に撮影が行われ、その名が今も残されているというわけです。いったいどんなドラマだったのでしょうか。そして今も残るロケ地とは。

▼悲別の名があちこちに

ドラマ『昨日、悲別で』とは

『昨日、悲別(かなしべつ)で』が放送されたのは1984年。倉本聰が脚本を手がけ、全13話で完結しました。

舞台は、北海道の歌志内市と上砂川町を架空の炭鉱町とした悲別町。ドラマでは、「アイヌ語で『ケナシベツ』とか『カナウシベツ』を由来にした地名らしい」と説明が入っていました。そんな”砂川から南に入った炭鉱町”を舞台に、ミュージカルダンサーを夢見る若者たちの青春群像劇です。

▼ドラマの舞台となった上砂川町市街の現在の様子

▼歌志内市街地の眺望

主人公は中込竜一(愛称:リュウ)という青年。地元で見たダンスミュージカルに影響を受け、上京しダンスレッスンに励みますが、うまくいかない。あるとき、故郷が同じ女性、小沼ゆかり(愛称:おっぱい)と再会。彼女は自ら体を売ることで生計を立てていましたが、大スキャンダルに巻き込まれ、傷ついた彼女は故郷に逃げ帰ります。リュウや地元の仲間たちは、おっぱいとともに交流を深めていく、というのが大枠のストーリーです。

このドラマは最高視聴率12%(第4話)だったものの人気を呼び、約3年前(1981年)に放送を開始した『北の国から』(最高視聴率21%)の人気も相まって北海道好きを増やす結果となり、ロケ地巡りをする人たちが歌志内市や上砂川町を訪れました。

ロケ地の中には、おっぱいの住んでいたペンケ沢の炭鉱住宅、炭鉱町、炭鉱跡、砂川市の砂川駅も登場しますが、いまも残っていて二大ロケ地となっているのが、悲別駅と悲別ロマン座です。

▼二大ロケ地の位置関係

悲別ロマン座(歌志内市)

傾斜の緩やかな大きな三角屋根が特徴の建物。1953年8月、歌志内市(当時は歌志内町)にオープンした住友上歌志内炭礦会館「旧上歌会館(きゅうかみうたかいかん)」は、炭鉱職員のための映画館・舞台として建てられました。

若き設計家が夢と情熱をもって作り上げた会館は370人を収容でき、炭鉱が1971年に閉山するまで炭鉱従業員と家族の憩いの場として、映画上映、舞台公演、有名歌手を呼んでの歌謡ショーが連日行われていました。

閉山後は使われずに放置されていましたが、1977年に映画『幸福の黄色いハンカチ』のロケ地となり、1984年のドラマ『昨日、悲別で』では主人公のリョウがダンスを踊る「悲別ロマン座」として登場。

これを受けて市民有志による保存運動が展開され、施設の一部を改修したのち、1987年10月の「悲別ロマン座復活祭」を機に開放。2001年に閉鎖されるも、「悲別ロマン座保存会」管理のもと2008年9月13日に復活しました。

倉本聰さんはドラマの中で「ふるさとは、やさしく温かいところ」と語っていますが、その象徴がここ「悲別ロマン座」と名付けられた施設なのです。建物前の看板にはこう記されています。

昨日悲別で
少年が生まれ
今日悲別で
少女と出逢った
明日悲別に
小さな灯がともる

現在はカフェとして、ロマン座カレーなどの軽食、コーヒー、アイスを提供しています。また、映写室には往時に使われていた映写機が残されています。5~10月の10時~17時、不定休で営業。

悲別駅(旧上砂川駅)

もう一つのロケ地は、実際にあった上砂川駅です。1918年11月、函館本線の砂川駅から上砂川駅付近まで開業した三井鉱山砂川炭礦専用線が前身。1926年8月に国鉄函館本線上砂川支線(7.3km)となって終端駅「上砂川駅」が開業しました。

もともと炭礦運搬を目的として敷設された鉄路であったため、炭礦に続く専用線や貨物列車専用線など側線が幾つもありました。しかし、三井砂川炭礦が1987年に閉山すると、最終的には単式ホーム1面1線になりました。閉山後は人口減が進み、1994年5月16日、上砂川支線が廃止されました。

▼1976年当時の上砂川駅周辺(国土地理院航空写真より)

▼上砂川支線跡と現在の駅舎跡の位置関係

廃止後、駅舎は向きを変えた上で、砂川方向に移設されました。駅舎は木造平屋建て。雪が落ちやすく屋根は二段式傾斜を採用しています。駅舎には「上砂川駅」と「悲別駅」の表示が。ここが1984年のドラマ『昨日、悲別で』のロケ地として使われた証です。しかし、その3年前の映画『駅 STATION』でもロケ地として使われていたことはあまり知られていません。

線路は上砂川市街のメイン通りにほぼ平行に走っていたのと、上砂川駅が緩やかなカーブを描いていたので、現役時代のホームもこの向きではありませんでした(ドラマ中でそのカーブが確認できる)。再現されたホームの駅名標には「上砂川駅」としてのものと「悲別駅」のものが掲げられています。

また駅跡には、ヨ8000形車掌車(ヨ8055)とスユニ60形客車(スユニ60 218)が静態保存されています。

▼2両の車両が保存されている

駅舎内はドラマ『昨日、悲別で』のロケの写真などをメモリアル展示。

ドラマ公開から10年後に廃線となった時の時刻表もそのまま残されています。それによると、1日に6往復のみの運行で、7時台の次が14時台というダイヤでした。

上砂川駅時刻表

(上砂川駅着)
06:29、07:25、14:38、16:38、18:38、20:38

(砂川行)
06:41 接続:札幌行6:57、旭川行7:00
07:33 接続:L特急札幌行7:56、札幌行8:04、旭川7:49
14:54 接続:L特急室蘭行15:10、小樽行15:43、L特急旭川行15:19、旭川行15:52
16:54 接続:L特急室蘭行17:10、小樽行17:29、L特急旭川行17:19、旭川行17:46
18:54 接続:L特急室蘭行19:10、札幌行19:49、L特急旭川行19:19、滝川行19:09
20:46 接続:小樽行21:47、旭川行21:02

運賃表も掲げられていますが、上砂川支線にあった東鶉駅、鶉駅、下鶉駅まではいずれも180円、砂川駅までは190円でした。

地元では観光資源として売り出しており、上砂川町の悲別駅を題材とした『悲別~かなしべつ~』を歌う川野夏美さんを応援しています。

以上、「悲別」を30年以上経った今に伝える二大ロケ地でした。いまドラマを見ることは難しいですが、単行本は入手可能。かつてドラマを見ていた世代の皆さんは、ロケ地訪問をして懐かしんでみてはいかが?