「蕎麦」という単語で、頭に映像を思い描いてみてください。浮かんだのは、茶色い「田舎蕎麦」ですか、それとも白っぽい「更科蕎麦」でしょうか。
実は、同じ質問を釧路市民にすると、多くの人が緑色の蕎麦を思い描くのです。確かに緑色の蕎麦というのもありますが、それが最初に浮かぶというのは、少し特異な感じがします。
なぜ、釧路の人は「蕎麦」=「緑色」なのか。その謎を解明すべく、釧路へと向かいました。
釧路の蕎麦はなぜ緑色なのか?
▼謎を解く鍵は、明治からの老舗にあり!?
緑色の蕎麦の秘密を求めて、訪れたのは「竹老園東家総本店」(以降東家)。釧路市の中心部から車で約10分ほどの場所にある、北海道で最古と言われているお蕎麦屋さんです。
「はじまりは、初代である伊藤文平が1874年(明治7年)に小樽ではじめた夜啼き蕎麦屋でした」
と教えてくれるのは、5代目店主の伊藤純司さん。小樽でスタートした夜啼き蕎麦屋は函館に移り、やがて1912年(明治45年)に現在の釧路に居を構えます。それにしても、なぜ緑色の蕎麦が誕生したのでしょう。
「発祥は、東京神田の『やぶそば』さんだと言われています。緑色というのは、新蕎麦の色。つまり蕎麦が緑色なら常に新蕎麦を食べている気分になれる、ということで、お客さんに出すようになったらしいですね」
定かではありませんが、と、伊藤さんは教えてくれました。
▼まるで翡翠のように美しい東家の蕎麦
なるほど、緑色をした蕎麦の由来は分かりました。しかし、新蕎麦でないとすれば、どうやってあの色を出しているのか、ますます謎は深まります。
「夜啼き蕎麦の時代から緑色の蕎麦を出していたそうです。当時はかなり試行錯誤していたらしいですね。かつては人工着色料を使っていたこともあったようですが、禁止された昭和40年代からはもちろん一切使用していません。現在は、クロレラの粉末で着色しているんですよ」(伊藤さん)
クロレラを入れても味が変わらないことから、現在はこの方法で落ち着いているそう。そして、東家で修業した職人さんたちが次々に釧路市内で独立し、緑色の蕎麦を出すお店が増えていきました。
これが、釧路では「蕎麦」=「緑色」とされている所以です。老舗だけに東家ゆかりの蕎麦屋が釧路市内に多く存在し、東家の暖簾をかけているところは緑色の蕎麦を出す確率が高い、というわけです。
▼「謎は解けましたか?」と、5代目店主の伊藤純司さん
贅沢な空間で味わう、絶品の更科蕎麦
▼東家の店内、果たして緑色の蕎麦のお味は?
緑色の蕎麦にまつわる秘密が明らかになったところで、やはり気になるのはそのお味。さっそくいただいてみると、つるつるとした喉ごしの良さに箸が進みます。
「うちの蕎麦は更科蕎麦。蕎麦の実の芯に近い部分だけを使用します。それが本来の更科蕎麦であり、東家のこだわりでもあるのです」(伊藤さん)
▼冷たい蕎麦の「もり」(税込700円)
1984年(昭和59年)には、皇太子殿下、美智子妃殿下もお召し上がりになったという東家の蕎麦。明治のはじめから受け継がれてきた味が、食べる毎にじんわりと沁みていきます。
それにしても、東家の敷地は広大で、立派な庭園が目を引きます。
▼まるで豪奢なお屋敷のような店舗
▼庭園には、大仏像や鹿の像までも
▼鴨が優雅に泳ぐ立派な池
蕎麦を食べた後は、ゆったりとした気分で散策したくなるようなこの庭園。
「実はここ、二代目の竹次郎が、隠居して過ごすための場所だったそうです。ところが蕎麦づくりが忘れられず、結局この場所で営業を開始することになりました」(伊藤さん)
竹次郎さんが隠居して過ごすという意味で、付いた名前が「竹老園」。それがそのまま店名になったというのですから、竹次郎さんはお茶目な一面を持った職人さんだったようです。
▼歴史の重みを感じさせる登録商標
夜啼き蕎麦として小樽ではじまったお蕎麦屋さんが、今や釧路の蕎麦を代表する老舗として、その伝統を脈々と受け継いでいます。釧路を訪れた際は、ぜひ緑色の蕎麦を堪能してください。広々とした庭園と相まって、悠久の思いに耽ってしまうかもしれませんよ。
※2022年7月13日:店舗情報・価格を更新しました。