札幌の道路地図をじっくり見ていると、月寒公園から月寒中央駅あたり、環状通と白石藻岩通の間ぐらいに「アンパン道路」という一風変わった名称の道路があることに気づきます。
「国道○○線」「道道□□線」や、地域名が付いた名称の道路はよく聞きますが、「アンパン」とはどういうことなのでしょう。調べてみるとその道路は、札幌の歴史と深く関わっていたのでした。
道路の開通に至った経緯とは
まずは「つきさっぷ郷土資料館」にお邪魔しました。1985(昭和60)年に開館した「つきさっぷ郷土資料館」には、農耕・林業、生活、旧軍隊、古文書など約4千点の資料が展示されています。
アンパン道路について詳しく教えてくださったのは館長の秋元靖巳さんです。
▼つきさっぷ郷土資料館の秋元靖巳館長
1910(明治43)年に、豊平町(現在の豊平区、清田区、南区が含まれているそうです)の一部が札幌区に編入されることになり、豊平にあった役場が月寒に移転されることになりました。
その当時、平岸から月寒を直線で結ぶ道路がなかったため、平岸の住民はかなり遠回りしないと役場に行けないという状況に。住民は連絡道路の建設を要望しましたが、財政難のため工事費用がでないという問題に直面しました。
そこで、その当時駐留していた陸軍第7師団歩兵第25連隊の連隊長にお願いしたところ、なんと無料奉仕で手伝ってくれることになったのです。
▼つきさっぷ郷土資料館に展示されているアンパン道路の地図
地元の有志も参加し、1911(明治43)年に月寒中央通六丁目地先と平岸二条十四丁目地先を結ぶ道路が完成したのです。約2.6kmの距離を、わずか半年の短期間で道路ができあがったというから驚きです。
▼アンパン道路の平岸側の端(地下鉄南北線南平岸駅そば平岸小学校前)
▼アンパン道路の月寒側の端(地下鉄東豊線月寒中央駅1番出口前)
アンパン道路と言われるようになった経緯
工事の際、何かお礼はできないかと、思いついたのがアンパンです。その当時、近辺にはアンパンを作るお店が7軒ありました。その7軒でアンパンを作り、兵隊さん1人に1日5個のアンパンを配布しました。それが、この道路の名称がアンパン道路と呼ばれるようになった経緯なのです。
▼アンパン道路の途中には記念碑や看板が
当時あった7軒のお店のうち1軒だけが残って今も商売を続けています。それが株式会社ほんまの「月寒あんぱん」です。
▼あんぱんを作っている当時の写真(写真提供:月寒あんぱん本舗)
現社長の本間幹英さんにお聞きすると「その当時あった7軒は、第二次世界大戦中にみな休業せざるを得なくなりました。戦後、再開できたのはうちだけだったのです。その時、地区独特のものだったので月寒あんぱんと言われるようになりました」と教えてくださいました。
▼株式会社ほんまの取締役社長本間幹英さん
アンパン道路だなんて、ユニークな名前だなあとはじめた取材でしたが、そこには昔の人々の感謝の気持ちや心の交流があったのでした。アンパン道路は総距離約2.6km、月寒あんぱんを食べながらゆっくり散歩してみるのもいいかもしれません。
▼つきさっぷ郷土資料館に飾られている当時の写真
▼上記の写真と同じような場所で撮ってみた写真
▼つきさっぷ郷土資料館に飾られている当時の写真
▼上記の写真と同じような場所で撮ってみた写真
所在地:札幌市豊平区月寒東2条2丁目3番地9号
電話:011-854-6430
開館期間:4月~12月第一週まで(冬期休館)
開館日時:毎週水曜日・土曜日 10時~16時
所在地:札幌市豊平区月寒中央通8-1-10 月寒中央ビル 1F
電話:011-851-0817
営業時間:9時~19時
定休日:1月1日、2日、3日