芦別の歴史を見守り100年―田園地帯にポツリたたずむ『旧干場家レンガ倉庫』


【芦別市】 下富良野線(滝川~富良野間、現:根室本線)が開通して100年の節目を迎えた2013年。沿線ではもう一つ、100年の節目を迎えたものがある。それが『旧干場家レンガ倉庫』という歴史的建造物である。鉄道が開通した年に完成したということは、大正2年、つまり1913年に建築されたことになる。

このレンガ倉庫、芦別市民なら知っている人もいると思うが、国道沿いではなく平行して走る道道224号線沿いにあることもあり、一般的にはその存在はほぼ知られていない。それでも、芦別郊外の田園地帯にポツンとたたずんでいる姿は、小さいながら力強く感じられ、100年間も風雪に耐えてきたと自負しているかのよう。

木骨建築と洋風レンガ積が合体した寒冷地仕様の建物


旧干場家レンガ倉庫は1913年に建築された。この建物の魅力はズバリその建築法にある。芦別市教育委員会の資料は、『日本の伝統的土蔵建築法である木骨構造と、寒冷積雪地に適した洋風レンガ積技法が融合した』と解説する。内部は木造であるが、外壁は積雪に耐えられるようレンガ造りになっているというわけだ。

『レンガは長手積のみで構成し、軒蛇腹には還元釉レンガを用いた櫛形状の持送りを配置するなど、細部にわたり抑制された中にも質の高い装飾を施している』ともある。長手積とは長めのレンガ・長手をジグザグに積み上げる方法。軒蛇腹という建物の軒の突出部に装飾が施されていることも注目できる。

建物本体は二階建て。内部は5.46m×4.55mサイズで、建築面積は24.8m2で延床面積は49.6m2(うち1階は33m2)。入口には、玄関フードのような下屋(4.61m×1.61m、面積7.42m2)が付属する。建物自体は大きなものではないが、実用性と頑丈さを兼ね備えた建物である。

建築者は干場伊五郎、米俵を収納する倉庫として使われた

▼建物正面。▼右:現在も残る干場氏の鉄道荷物箱

建築者は干場伊五郎氏(1877-1954)。干場氏は18歳で芦別に入植し農業を行っていたというが、20歳で結核にかかったこともあり、常磐地区初の呉服店を開業、菓子店なども経営し成功し、周辺の農地を買収し大地主になった。その農地を貸し付け、小作料である米俵を保管しておいたのが、このレンガ倉庫だったというわけである。建築当時彼は36歳だった。

戦後になると、農地改革で所有する土地はわずかになったため、干場家の納屋として利用されてきた。2000年5月15日には親族である干場文子さんが市へ寄贈し、市が改修工事を実施、同月29日には道内でも数少ない20世紀初頭の貴重な歴史的建造物であるとし、芦別市文化財に指定された。現在は夏期に限って一般開放されている。

芦別市常磐地区は芦別市中心部に比べると小さな集落であるが、芦別の中でも歴史ある場所であることがわかる。芦別の歴史を見続けてきたレンガ倉庫を見つけに行っていただきたい。

芦別市指定文化財『旧干場家レンガ倉庫』
所在地:芦別市常磐町334-4
開館:4月中旬~11月末日、9:00~17:00
入場無料

芦別教育発祥の地でもある
実はこの地は「班渓簡易教育所跡」でもある。1894年に歌志内の安楽寺が同教育所を開設したのがはじまり。16坪の草小屋で寺子屋式教育が開始されたという。1896年までに校舎が建てられ、1899年に公立に。1907年に班渓尋常小学校として現在の常磐小学校の場所に移転した。19世紀末にこの地に芦別初の教育が始まったということで、芦別教育発祥の地と呼ばれている。