夕張に店を構えて約70年、ふるさとの味がここに!ラーメン「のんきや」

炭鉱、鉄道など、消えゆくものが多い夕張で、栄枯盛衰を見守っているラーメン店があります。本町1丁目にある「のんきや」は、たった5席ほどの小さな店ながら、顔見知りの常連さん、かつての夕張の住人、昔ながらの雰囲気を楽しみたい人など、さまざまな人が訪れています。故郷に帰った懐かしさを感じる「のんきや」で、素朴な味を楽しんできました。

70年近い歴史を持つ老舗ラーメン店

▼かつての賑わいを看板にのみ残す。現存する店は数件しかない

夕張市は古くから炭鉱で栄えた街です。1960年代には最盛期を迎えたものの、1970年代以降は、度重なる坑内火災や石油へのエネルギー転換により炭鉱が衰退。人口減少と共に街も寂れていきました。

ホテルシューパロの裏手には、かつての歓楽街の看板が残されているものの、営業しているのか疑わしい店が数件残るのみ。すでに崩れ果てた建物も多く、ノラネコだけが闊歩しています。

▼ノラネコの散歩道

梅ヶ枝横丁のはずれにある「のんきや」は、今も営業を続ける希少な店です。店を切り盛りしているのは3代目店主の安田洋子さんです。

ラーメン好きのネットなどの情報では1951年に、安田さんの父親が創業したと書かれていますが、「物心ついたころには店を開いていたので、正確なことは覚えていない」とのことでした。「自分の結婚式後の宴会で、新郎自ら料理を作っていた」というエピソードが残されているそうで、かなり料理に造詣が深かった男性であったことが伺えます。

名物女将が切り盛りする第2のふるさと

▼ネコが自由に出入りしていた古びた店舗

開店当時の「のんきや」はバラック長屋の一角にあり、かつては飲食店が3件連なっていたといいます。炭鉱マンに愛された店でしたが、しばらくして創業者が亡くなり、奥様である桑原ミツ子さんが店を継ぎました。夕張が寂れた後も、帰省などで戻った人たちが訪れ、桑原さんは「夕張の母」「夕張のおばあちゃん」と呼ばれ親しまれていました。

▼在りし日の桑原ミツ子さん

バラックの店は、長年の積雪に耐え切れず、カウンターに置かれたお冷が滑り出したり、ラーメンのつゆがこぼれるほど大きく傾いていました。5人も座れば満杯で、立ちあがると身長160cmくらいの人でも天井に頭が付いてしまうほどコンパクト。そのため「奥の客が帰った後は、中に詰めて入り口側を空ける」「客同士でお冷を配る」など、暗黙のルールが守られていました。

味わい深い店でしたが、道路拡張に伴い2004年12月に現在の店舗に建て替えられます。桑原さんは高齢ながらラーメン屋を続けようとしていましたが、しばらくして体調をくずして入院。そのまま帰らぬ人となり、長年続いた店は閉じられることになります。

父親の味を継いだ3代目

▼現在も「のんきや」の暖簾は引き継がれている

閉店後も「のんきや」の復活を望む声が大きくなり、2ヵ月後に長女の安田さんが暖簾を引き継ぎます。母親から味を引き継ぐことができなかったものの、「父親が作っていたのを覚えていた」と言い、創業当時の味が再現されています。

▼先代から気さくな人柄を継いでいる

一日に約20杯分のスープが作られ、それが売り切れると閉店します。埼玉に家族を置いて「単身赴任」しているため、そろそろ戻りたい気持ちもあるそうですが、多くの人が足を運ぶため、「辞めるにやめられない」と笑います。

▼麺をタンスの中に仕舞う旧店舗のスタイルを現在も踏襲している

▼塩ラーメン(税込600円)

メニューは「塩」と「しょう油」「かけラーメン」の3つのみ。「父親の時代は、塩ラーメンしか提供していなかった」と言います。これまでの歴史や、店の雰囲気、女将である安田さんの人柄がどんぶりに注がれて、のんきやのラーメンが完成していると感じました。

「のんきや」に行く際の注意事項

▼いつまでも大切にしたいお店

店舗の隣は他の方の住宅ですので、周辺への駐車はおやめください。現在は木曜日が定休日ですので、間違いないようお願いします。

また暖簾に書かれている電話番号は、現在使われていません。「尋ねてみたら、臨時休業だった」ということがあるかも知れませんが、日を改めて再訪するなど、のんきに構えてみてください。

のんきや
所在地:夕張市本町1丁目
電話:なし
営業時間:11時~16時(スープがなくなり次第)
定休日:木曜日