日本初のコンクリート製防波堤がある小樽


手宮公園から見る北防波堤

小樽市小樽湾には日本で初めてコンクリートを使って築いた本格防波堤があり、今でも使われています。小樽湾の外洋防波堤は北防波堤、島防波堤(915m)、南防波堤(912m)から構成されています。総延長は約3.5km。うち北防波堤は第1期工事で長さ1289m(第2期工事延長419m)、幅7.3m、水深14.4m。この北防波堤は国内や世界からも注目されています。

小樽運河と小樽港北防波堤の関係

防波堤というのは、港湾部において外洋からの波を最小限に抑えるため のもの。小樽の港は昔、防波堤がありませんでした。それで、大型船の 積み荷を艀で運搬して岸で積み下ろしをするための運河が発達しました。 これが現在「小樽運河」と呼ばれるようになった運河です。

しかし一方で、石狩湾からの波が荒れることがあり、沖合に停泊してい る大型船に近づいて積み下ろしをすることが難しいということがありま した。船が沈むこともあったのです。

そして、明治時代の小樽港は、空知で産出した石炭などを鉄道で運んで きて全国に船で輸送していました。札幌近くの港であり、海の玄関口とし ての役割がありましたし、いずれ世界の玄関口としても通用するようにし たいとの願いもありました。そうした理由から、近代的な強固な防波堤作 りが急務とされていました。

北防波堤作り(第1期工事)

北防波堤の建設を担当したのは広井勇という土木技術者・札幌農学校 土木工学科教授でした。当時はコンクリートの構築物が国内にはほぼ皆無 に等しく、横浜港や佐世保港に設置されたコンクリートは亀裂が生じるなど もろいものでした。

そういう背景があって、国産のコンクリート開発から始めなければなり ませんでした。外国のものを転用するのではなく、寒い雪のある北海道に 適したコンクリートを開発しようとしました。試行錯誤の末、北海道の 火山灰を混ぜたセメントは強度が増すことを発見。

それに加えて、外洋の波圧を計算して、コンクリートブロックを71度34分 に傾けた「斜塊ブロック」(スローピングブロックシステム)を組み込むこと にしました。ブロック1つは約20tです。これはスリランカ・コロンボ港 で採用していた世界最先端の工法でした。

こうした開発を進め、1897年に北防波堤の建設・第1期工事がスタート しました。完成したのは着工から11年後の1908年。長さは1289m。現在は 堤防付け根(手宮)付近の一部が埋め立てられています。

手宮公園から見る北防波堤(手前)と島防波堤・南防波堤(奥)

北防波堤作り(第2期工事)

第2期工事は1908年から1921年にかけてで、今度は伊藤長右衛門が指揮し ました。この2期工事では南防波堤と島防波堤の新築と北防波堤の延伸工事 (419m)が行われました。島防波堤と北防波堤延伸部はほぼ同じ構造で、 それまでのブロック積み上げ工法ではなく、最新技術のケーソン工法を採用 しています。

そして政府により国際貿易港に指定されました。こうして外国貿易の拠点 となった小樽は、市街地に大手銀行支店が軒を連ね、「北のウォール街」が 生まれることになったわけです。

北防波堤は100年の荒波に耐え、今も現役です。しかし、老朽化もあり、 2005年に平成の大改修工事が始まりました。それでも2000年に土木遺産に 指定、2001年に北海道遺産に選定されています。