【帯広市】帯広市西部に広がる「帯広の森」。市民の憩いの場として知られる森の中に、2013年秋以降、一機の赤い飛行機がひっそりと展示されている。年代物のコンクリート壁に囲まれて置かれている赤い飛行機。ここはいったい何なのだろうか。
唯一確認されている「掩体壕」跡
実はここのコンクリートの塀は、第二次世界大戦中に建設された「掩体壕(えんたいごう)」という。戦闘機を敵から隠すための倉庫で、全国各地で確認されている戦争遺構だ。しかしなぜこの帯広の森に掩体壕があったのだろうか。
この帯広の森の東側には現在、陸上自衛隊帯広駐屯地が広がっており、十勝飛行場がある。1937年10月に旧日本陸軍・帯広第一飛行場として設置されたもので、滑走路を囲むように南東に掩体壕が幾つも建設された。それら掩体壕に戦闘機が一機格納されており、そこからそれぞれの戦闘機が張り巡らされた誘導路を通り滑走路から飛び立っていった。
1944年に旧日本陸軍が撮影した周辺の空撮写真が残っているが、それでも掩体壕が確認できる。小型の掩体壕は全部で46基、比較的大きな掩体壕は7基、合計53基あったとされる。小型のものは上空から見ると凸形をしており、出っ張った部分とは逆側から戦闘機が出入りしていた。当時は屋根も設けられていた。
現在、帯広の森で確認できるのは、滑走路東部、帯広の森球場の西10号線(栄通)を挟んで向かい側にあった掩体壕群のうち一つのみ。それ以外の掩体壕は取り壊されるなどして現存していない。唯一残されている掩体壕も、帯広の森が造成される前にこの地で農業を営んでいた土地所有者が、倉庫として利用するなどして取り壊すことがなかったため保存状態も良好。帯広市も、調査や整備を経て、2011年夏以降、一般公開している。そのおかげで、当時の掩体壕の姿を今でもはっきりとこの目で見ることができている。
掩体壕に赤い飛行機のオブジェを設置
唯一残されている掩体壕は、凸部の長辺を除き、全長31mほどのコンクリート壁で囲まれている。出入りした面は木々がなく広場のようになっているが、その周囲は既に木々で覆われてしまっている。誘導路がどのように滑走路まで続いていたのか、その面影も今やない。
2013年11月、そんな貴重な掩体壕の存在を広く知ってほしいとの思いで、一機の赤い飛行機が登場した。実物大として設計した飛行機は全長約9m、全幅約12mというサイズ。帯広の森ファイタープロジェクトのワークショップで、子供ら市民も参加して作り上げた木造戦闘機は、間伐材を使ったとは思えないほど立派な出来栄えとなっている。
▼帯広の森「掩体壕」
[地図]
観覧自由。飛行機に登らないでください