日本一のシェアを誇るオブラート製造の雄!倶知安町の伊井化学工業

日本一を誇るものは北海道に数多くあれど、これも日本一であることはあまり知られていません。それがオブラート。粉薬を飲むときに重宝する半透明のアレです。実は国内にはオブラート製造工場が5社しかなく、そのうち道内唯一の工場が倶知安町にあります。その生産量はもちろん道内一で、国内でもトップシェアを誇ります。
※全国のオブラート製造工場:伊井化学工業(北海道)、国光オブラート(静岡県)、旭光(愛知県)、瀧川オブラート(同)、新潟オブラート(新潟県)

昔からでんぷん製造が盛んだった羊蹄山麓

倶知安産馬鈴薯「蝦夷錦」は、明治末期に倶知安に移住した柳原寅蔵が生み出した「柳原いも」が始まりです。倶知安馬鈴薯は、昭和初期は道外移出が道内一でした。

馬鈴薯生産が盛んであったことから、この地域では1915年からでんぷん製造が盛んになっていきました。1916年時点で、久保澱粉製造(1909年)、糸川製粉所(1914年)、小笠原水車(1915年)、西岡水車(1915年)、卯尾水車(1915年)、坂上水車(1915年)、富永澱粉所(1915年)が操業しており、ピーク時の1919年には50工場あったとされます。1933年、羊蹄山麓には203のでんぷん工場が軒を連ねました。

こうした背景から、でんぷんを活用した製薬工場、片栗粉製造工場、ブドウ糖製造工場が倶知安町に続々と誕生しました。伊井化学工業もその一つです。

伊井オブラート製造としてスタートした伊井化学工業

伊井化学工業株式会社は1942年4月8日、当時倶知安駅前で大きな農産物仲介商を経営していた伊井億右衛門が設立しました。設立時はオブラート製造を主としていたこともあり、社名は北海道オブラート製造株式会社であり、1949年10月に伊井オブラート株式会社に改名、のちにオブラート以外の製造も多くなってきたこともあり、1960年11月に現在の社名に変更しています。

設立翌年の1943年8月3日にオブラート工場を現在地に建設。さっそく馬鈴薯でんぷんを原料としたでんぷん飴や菓子包袋用オブラートの製造を行い、1944年2月から薬用オブラートの製造を開始しました。「伊井オブラート」のブランド名はこの当時から続く歴史あるものです。1951年2月にはキャラメル用オブラート製造も始め、1993年3月1日には粉薬をスムーズに飲みやすくする薬包用袋オブラート「フクロオブラート」を開発、新発売しました。

オブラートのほかには、製造工程がオブラートと似ているポリエチレン製造も開始。1969年にポリエチレン原料樹脂を購入し、ポリエチレンフィルムやポリエチレン袋の製造にも着手しています。

同社は戦後の1958年、道内18のオブラート工場を相次いで買収し、道内唯一のオブラート工場となりました。事業拡大に伴い工場の増改築も頻繁に行ってきました。1960年5月にポリエチレン袋製造を開始するにあたり製袋加工工場を新設、1964年6月にはポリエチレン印刷工場を新設、1965年4月には粉末オブラート製造設備を新設、1969年12月には工場を改築。その後も1973年までに三度の工事が完成しています。伊井化学の羊蹄作業所は1991年4月にスタートし、心身障がい児童の教育訓練機関として機能しました。

北海道産オブラートはこうして作られる

近年は第一製造部をオブラート部門とし、第二製造部をポリエチレン部門として製造を行ってきました。オブラート製造工程は、ボイラー、製造、仕上げ、詰加工、粉末、出荷までを行います。原材料は化工でんぷんやほかの原料を使うのではなく、北海道産馬鈴薯でんぷんにこだわり、とりわけ、ようてい農協羊蹄澱粉工場製のでんぷんが好んで使われています。製造方法は、

(1) 攪拌タンク:まず原料の馬鈴薯でんぷんに40度の温水を加えてかきまぜながら食用油を加える
(2) 糊状桶:100度の熱蒸気を注ぎ糊状にする
(3) 回転式蒸気乾燥機:その原料液をかけ流し95度で蒸気乾燥させ原紙とする
(4) 製品化:袋オブラート製袋、薬包用オブラート打抜、菓子包オブラートロール巻、粉末オブラートなど、用途ごとに裁断・パッケージし出荷

このようにして作られたオブラートは月6tを生産。うち、薬用円型オブラートが全生産量の90%を占めています(100枚詰め換算で25万個を出荷)。

全国的に見ても同業者は他に4社しかなく、同社の市場占有率は40%と日本一の生産量を誇ってきました。北海道産馬鈴薯でんぷんにこだわり作られた北海道産の製品「伊井オブラート」。まさに北海道が誇る製品の一つです。

※2017年6月19日付:新潟オブラートは現在閉業中のため、現在は全国で4社が操業中です。