日高町にある「チロロの巨石」をご存じでしょうか。草地に突如出現したような、不自然に横たわる巨大な石。大人が何人寄ってたかってもびくともしなさそうなその石は、どういう経緯でその場に存在することになったのでしょうか。いろいろ調べていくと、物語は40年以上も前に遡るのでした。
巨石を動かしたひとりの男のロマン
チロロの巨石を間近で見てみると、改めてその大きさに驚かされます。重さは実に180トン。日本一大きな結晶片岩として知られています。このチロロの巨石に深く関わった人物が、八紘学園初代理事長の栗林元次郎氏でした。
▼戦艦のようにもクジラのようにも見える
▼散策する在りし日の栗林元次郎氏(写真提供:八紘学園)
栗林氏は鉱石収集を趣味とし、日高山脈の鉱石を掘り出すために1972(昭和47)年頃から千栄地区に通いつめたといいます。1974(昭和49)年、ペンケユクトラシナイ浜から180トンに及ぶ日高石を掘り出します。言うまでもなく、後にチロロの巨石と呼ばれるようになる鉱石です。栗林氏はなんとか現在の位置まで運びましたが、そこから先へ進むことができませんでした。
▼角度によって見え方も随分異なる
というのも、公道を運搬するための許可が道警などから下りなかったのです。それでも何とか運搬できないものかと策を練っているうちに、1977(昭和52)年、栗林氏が亡くなってしまいました。同時に、計画も頓挫してしまったというわけです。
その後の巨石が歩んだ運命は
1984(昭和59)年、チロロの巨石は地元である日高町へ寄贈されました。寄贈後も、町の国道拡幅に伴う市街地再開発にあわせて、市街地へと移送する運搬計画が立てられました。しかし、町道に掛かる2カ所の橋梁が強度不足であったり、費用面での問題があったりで、断念したそうです。
▼現在は巨石に上るための梯子も
ちなみに巨石の占有敷地は民地のため、以前は栗林氏が借りていましたが、現在では日高町が借りているということです。また、巨石の清掃も、日高地域活性化協議会が行っているそうです。
▼巨石の上から見た風景
ちなみにチロロの意味については、諸説あります。そのうちの一説は、アイヌ語の古語のキロロアン(「おもしろい」「気持ちの良い」という意味)がなまってチロロになったというもの。さらにもう一説は、本来はチリリ(cirir チリ【リ】「チョロチョロ流れる」の意味)と発音していたというもの。さまざまな考察がなされていますが、確定した説はないということです。 ※【リ】は、小さいリ
栗林氏は、亡くなるまでずっと巨石のことを気にかけていたということです。チロロの巨石の前に佇むと、不思議とロマンを感じます。それはもしかすると、そうした栗林氏の思いがあったからなのかもしれません。
【動画】ドローン空撮で見るチロロの巨石(許可を得て撮影しています)
所在地:北海道沙流郡日高町千栄