日本五大家具産地の一つ「旭川家具」とは

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 北海道の豊富な森林資源を生かして、家具産業が盛んな地域があります。旭川市は「旭川家具」というブランドで知られる道内家具の一大産地です。今回は、五大家具産地の一つとして世界に誇る道内の家具文化を紹介します。

なぜ旭川で家具?

 道内有数の家具生産地は旭川を中心とした上川です。いつしか「旭川家具」 と名付けられた一大家具生産地は国内有数の規模にまで発展しました。 しかし、そもそもなぜ旭川で家具産業が発達したのでしょうか。

 大雪の山の山林にほど近い旭川は、明治時代から木材を使った産業が発展 してきました。1890年には木挽場が完成し、材木を生かした生産が細々と 始まりました。

 その後、旭川は軍都として栄えることになります。明治時代末期に旭川に 陸軍第七師団が設置され、鉄道が開通、軍人や鉄道マンを中心に人々が旭川 に移住して生活するようになっていきました。これが旭川という町が形成 された始まりです。

 人が集まれば商業も盛んになる。そんなわけで、職人も移住してきまし たが、そのひとつが家具職人たちでした。町の形成に伴って、官公庁舎、 学校等教育施設が必要とされ、椅子とテーブルを中心とした機能的な洋家具 が多く生産されていきました。

 もう一つの要因は、豊富で良質な森林資源が身近にあったということ。 上川盆地は、東に大雪山系の深い原生林があり、世界有数の良質な木材を 産する地でもあったわけです。こうした恵まれた環境も家具産業を支えました。 雪国なので天然乾燥ができず、木工芸に適さないとされてきましたが、 人工乾燥機が普及すると大量出荷が可能になりました。

旭川家具の発展

 旭川の家具生産がさらに発展していったのは大正時代。1913年に不作と なり大損害を被った道内。当時の行政機関・旭川区では、この緊急事態を 乗り切るため旭川に木工伝習所を開設、木工業の発展をすすめることに しました。

 旭川木工業がいったん低迷したのは戦時下と戦後。そこで、旭川木工祭り を実施して展示販売会を中心としたイベントを開催し、旭川家具を盛り上げ ようとしました(後に旭川家具産地展に改称)。

 1949年には旭川などの家具メーカーで構成する「旭川家具工業協同組合」 が設立されました。1955年に「旭川市立木工芸指導所」が開設され、家具製作 のデザイン研究をおこなうようになり、「工芸センター」として現在に至っています。

 その後は全国的にも、世界的にも知名度が上がるようになり、1990年7月以来 旭川を舞台に3年に一度「国際家具デザインフェア旭川(IFDA)」を開催して、 世界各地のデザイン家具が集結するようになっています。さらに、ドイツや イタリアの国際イベントにも出品して、世界的にも認められています。

旭川家具の特徴

 いまや道内産の家具の6割が旭川産です。かつて旭川市および東川町と 東神楽町あわせて300社ほどありましたが、現在は110社ほどの家具メーカー があります(協同組合加盟は30社)。旭川家具のピークは1991年度で440億円 でしたが、2006年度に160億円に落ち込み、依然厳しい状態です。

 旭川家具の特徴としては、良質な木材を生かした家具で、シンプルかつ 機能性を重視したデザインの家具です。大型で重厚なイメージがありましたが、 しかし、旭川家具の代表であるタンス販売数が減少してきたため、変わって きたようです。

 こうした厳しい状況ゆえに、2007年、協同組合は旭川家具憲章(旭川家具 づくりびと憲章)を制定、消費者ニーズにこたえる5つの宣言を行いました。

1 人が喜ぶものをつくります
2 木のいのちを無駄にしません
3 高品質なものを必要なぶんだけつくります
4 修理して使い続けられるようにします
5 次代の家具づくりびとを育てます