たった50段・2分で着くのにナゼ「日本一の坂」?! 室蘭の珍スポット

【室蘭市】室蘭にはちょっと変わった穴場的な珍スポットが存在する。今回紹介するのはその一つ「日本一の坂」だ。旧室蘭駅舎の近くにその坂はある。

日本一の坂を上ってみる

旧室蘭駅舎前にあるT字路交差点に、その坂への入り口はある。ふだんは車が止まっていたりするが、その間を通り右に曲がれば、人だけが通れる細い坂がある。まずそのわかりにくい場所を見つけるのが最初のステップとなる。下の入口は旧室蘭駅舎前の室蘭釣具、上の入口は室蘭中央通り・室蘭海岸郵便局近くの手押し信号機が目印となる。ちゃんと「日本一の坂」という看板も設置されている。

▼日本一の坂の下の入り口



何をもって日本一なのか、長さなのか勾配なのか。いずれにしても「日本一の坂」というからには相当な覚悟が必要なのかと思ってしまうが、たいしたことはない。実際に道道699号線から坂を上ってみると、二つの角を曲がればあっという間に坂の終着点である室蘭中央通りに着くので、唖然としてしまう。その時間、2分ほど。

途中に民家もあり生活感があふれているほか、猫も日向ぼっこしていたりする。しかも、途中は緩やかなスロープと階段、そして手すりが中央に設置されており、配慮が行き届いたとても親切な坂という印象。お年寄り含め地元住民もこの坂を使って、上の通りと下の通りを行き来している。

実際にはどれくらいの高低差なのだろうか。旧室蘭駅の道路を挟んで向かい広場裏手の高低差を見てイメージすると最も分かりやすい。ここには57段ほどの直線階段があるのだが、上がちょうど室蘭中央通りで、約54段+スロープで構成される「日本一の坂」の頂上とほぼ同じ高さになる。これはだいたい4階フロアの高さに相当する。

▼参考までに、旧室蘭駅向かいの高低差。二枚目は上から旧駅舎を見る

「日本一の坂」は、長さが日本一でもないし、勾配も日本一ではない。ではなぜ「日本一」なのだろうか。

そば店「福井庵日本一」が由来

古地図の中には「四号道」という表記もあるそうだが、坂自体はいつどのようにできたか不明という。一説では、北炭が1900年頃に海岸町一帯を埋め立てた際、上下の道をつなぐ坂が設けられたとしている。

ちょうどそのころ(※2011年の室蘭市広報誌によれば1903年)、「日本一の坂」入口にある室蘭釣具店の位置に一軒のそば店が開業した。当時の建物の名残はもうないが、その店名こそ「福井庵日本一」だったのだ。経営者は大沢運次郎、本名、三木竹松。もともと小樽の人だったが、室蘭に流れてきて、名を秘めて旧室蘭駅(1897年開業、1912年移転)の前にそば店を開業した。

この店、駅に近い一等地ということもあり、とても繁盛したという。しかし実は、この経営者は小樽で殺人を犯した人であり、妻が人殺しと口走ってしまったことと、別件で張り込み中の刑事が同店を訪れるようになったことから、殺人がばれたと思い自殺してしまう、という話も残されている。その坂の名前は、事件を風化させぬよう呼ばれるようになったとも考えられている。坂の名前は、何かが日本一なのではなく、日本一という名前のお店が由来だったのだ。

▼坂の上にある創成館跡地

坂の上にはかつて「創成館」という旅館もあり、1950年代まで一流旅館として栄えた。駅前に通じる小路だったこともあり、港湾労働者はもちろん、駅前に並ぶ市場に買い物に行く主婦などが多く通る生活の道だったそう。しかも急な坂だったようだ。しかしその後、室蘭駅は移転し、旧室蘭駅前も静かになり、坂の人通りもほとんどなくなってしまった。室蘭の「日本一の坂」。そんな歴史を感じ取りながら一度上り下りしてみては。

※参考:室蘭市、1977年10月市政だより、2011年11月広報誌