【平取町】 岩の形を見つめていると、ある動物の姿に見えてくる―。そんな例は数多い。道内ではヒグマに見立てた奇岩も見られる。なかでも有名なのは、せたな町の海岸にある「親子熊岩」。しかし道内には他にも、ヒグマ親子の姿をした岩がある。それも海岸沿いではなく、ダム湖岸にあった。しかも、せたなの親子熊岩より一頭多いという。それが、平取町の「熊の姿岩」だ。
岩を登る、親熊+子熊+子熊
場所は、平取町の二風谷ダムの管理施設(写真)。その駐車場に車を止め、ダムを目指す。そこから対岸を見ると突起が幾つか突き出した斜面が見えてくる。案内板も設置されているのですぐわかるようになっている。よく見ると、岩の斜面を子熊二頭が登っていて、その後ろから親熊が見守りながら登っている、そんな光景に見える。
夏期は木々が生い茂ってしまうため、はっきりと識別することは難しいが、葉のない冬季に行き、姿岩後右方向から見ると、熊の姿にそっくりに見える。一番後ろの親熊に至っては、姿形や頭はもちろん、鼻・口・耳・後ろ足の裏まではっきりわかる。町は「これほどはっきりと熊に似た形の岩は道内には他にないだろう」としている。
狩りをする神から逃げていたら岩にされてしまった三頭の熊
周辺の二風谷地区は、アイヌの伝承・文化が色濃く残る場所だ。実はこの「熊の姿岩」もアイヌの伝説が残されており、「ウカエロシキ」と呼ばれてきた。「ウ」は「互い」、「カ」は「上」、「エ」は「そこに」、「ロシキ」は「立つ」という意味で、合わせると「熊がそこに立っている」という意味になる。「ペウレプオッカ(若い熊のいるところ)」とも呼ばれていたそうだ。
アイヌの伝説では、大昔、オキクルミカムイという神が弓矢を持って狩りに出かけたところから話は始まる。その道中、三頭の熊を見つけ早速矢を向けるが、熊たちは逃げていく。それも、追いかけても追いつかないほど早く逃げていった。これに怒った神は、三頭の熊が走っている姿のまま岩にしてしまったという。
そんなアイヌの物語が残る「熊の姿岩」は、2007年に「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」として重要文化的景観に選定されている。
かつてここに二風谷ダムはなく、二風谷湖も当然なかった。ダム誕生とともにアイヌの文化が消えたものもあるが、三頭の熊たちは水面に姿を映しながら、いまも二風谷の地で岩のままになっている。