メロンといえば「夕張メロン」。夕張市といえば「夕張メロン」。つま
り、メロンといえば夕張の夕張メロンですね。全国的に名の通っている、
有名ブランドです。
夕張市でも、メロン城や、メロンドーム、いたるところにメロンマーク、
などなど、メロンがセールスポイントとして定着しています。でも、もと
もと夕張市は「炭鉱の町」でした。こんな山奥の狭い町で、なぜメロン栽
培が主流となっていったのでしょうか。
狭い土地だからさ……!
夕張市に行った方ならおわかりでしょう。市街地は、渓谷のように狭い
谷間に細長く形成されています。まわりは山ばかり。炭鉱で育った町なの
で、当然といえば当然でした。畑作をメインにというわけにはいかなかっ
たわけです。
狭い面積で高い収益の特産品を作ることが提案され、いろいろな作物を
導入していくのですが、最終的に残ったもの、それがメロンでした。昭和
35年には「夕張メロン組合」が設立され、事実上の出発点となりました。
実際、北海道は昼夜間の寒暖差が大きいという気候特性ゆえにメロンの
栽培に適しているのですが、特に夕張には、水はけが良い火山灰の土壌と
いう好条件も付いています。
かつて夕張メロンは嫌われメロンだった!?
まずは、夕張メロンの品種改良が必要でした。いくつかの試験を繰り返
し、ついにできたのが「夕張キング」。アールス・フェボリットとスパイ
シー・カンタロープの交配で誕生したものです。
全道産園芸作物共進会では最優秀に選ばれ、高い評価を受けた夕張キン
グでしたが、問題はなかなか受け入れてもらえなかったことです。当時の
メロンは果肉も緑色が普通でした。赤色の果肉なんて見たことがない人が
大勢だったのです。かぼちゃメロンと酷評されたりもしました。
それでも粘り強く普及への努力を続けて、ようやく評価・値段とも高く
なっていきました。今ではご存知のように、赤肉メロン=夕張メロンとい
うようなイメージが出来上がっていますね。
また、店頭における日数が短かいため、道内での流通に限られていまし
たが、昭和45年頃になると飛行機による輸送が可能になり、首都圏進出も
果たしています。
「夕張メロン」は、JA夕張市の登録商標です!
夕張メロンブランドを守るために、JA夕張市では厳しい管理を続けてい
ます。F1品種、つまり一代雑種なので、メロンの中にある種をまいても夕
張メロンは育ちません。
均等な高品質を維持するために、原種をJAで一元管理しているそうです。
それを組合員に販売するわけです。さらには、厳しい品質検査と選定(特秀
・秀・優・良の4等級ランク付け)、ラベル・シールの統一もしています。
また「夕張メロン」は登録商標です。JA夕張市が保有しています。他に
まがい品が出ないように、夕張メロンという高品質なブランド確立のため
に、こうした努力がなされているのです。
じゃ、今年もみんなで「夕張メロン」を召し上がりましょう。甘味が強い、とにかくあま~い夕張メロン。気温の差が大きいからこそできた甘味が魅力ですね。そして柔らかくジューシーなんです。よだれもんですよ、ほんとに。