北海道を代表するお土産という時代がありながら、いまやそのブームも下火となった木彫り熊。しかし近年、その木彫り熊に光を当て、芸術作品として国内外に発信しようとする人々がいます。
札幌国際芸術祭(SIAF【サイアフ】)2017(2017年8月6日(日)~10月1日(日)開催)の「北海道の三至宝『北海道の木彫り熊~山里稔コレクションを中心に』」に228体もの木彫り熊を出品展示する日本屈指のコレクター・山里稔さんはその一人。山里さんに木彫り熊の歴史や木彫り熊に対する思いを聞きました。
▼造形作家・木彫り熊コレクター 山里稔さん
売れなくなった木彫り熊
そもそも木彫り熊は八雲町発祥とされます。1921年にスイスから木彫り熊の民芸品が持ち込まれ、北海道各地でも作られるようになっていきました。
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木彫り熊が北海道のお土産として売れた全盛期は戦後の昭和30年代。手作りゆえに価格が高かったもののよく売れ、土産としてのほか、開店祝い、退職記念のために皆でお金を出し合って贈物としても使われていました。売れて売れて大変だったため分業化が始まり、機械化・量産化に転じ、結果として価格は据え置きながら粗雑な商品が大量に出回り、木彫り熊が売れなくなってしまいました。
北海道土産の定番はその後、コロポックル、キタキツネ、フクロウなどのグッズ、そしてグルメ・スイーツに変遷していくことになります。木彫り熊人気は衰退してしまったのです。
各家庭に置かれていた木彫り熊も世代が代わると簡単に捨てられたり、時には薪ストーブで燃やされたりすることもあったと言います。こうした世代による価値観の違いが、木彫り熊が消えていった最大の要因です。かつて何万円もしたものが数百円、数千円で売買され、評価されない時代が続きました。
木彫り熊に再び光を当てて
そんな木彫り熊に光を当てたのが山里さんです。2010年頃から木彫り熊の収集をはじめ、いまでは460体ほどをコレクションしています。しかし、近年まで一部のコレクター、リサイクルショップ、骨董屋くらいでしか出回っていなかったため、収集は簡単ではありませんでした。それでインターネットを中心に、造形作家・ランドスケープデザイナーとして養われた目でセレクトし集めていきました。
2014年には、木彫り熊に関心を持ってもらおうと自身のコレクションをまとめた写真集『北海道 木彫り熊の考察』を出版。出版記念に木彫り熊の展示会を催したところ、驚くことが起きました。これまで恥ずかしくて言えなかったけれども……とコレクターが次々と名乗りを上げ、木彫り熊に対する思い出を語る場になったのです。まるで旧知の友のように――。
山里さんのこうした活動によって、近年では木彫り熊に対する世間の認識も変わってきました。
世界に誇れるクオリティ
「改めて手作りの木彫り熊を視てみると、熊のことを良く知っている昔の彫師たちは、木塊に命を宿すかのように彫り、その熊達は多様に語りかけてきます。木彫り熊を見たらさりげなく対話してほしいと」と山里さんは話します。
例えば、アイヌ民族である松井梅太郎氏に代表される最初期の旭川産木彫り熊は、技術ではない何かが伝わってくるようで、穢れがなく価値が高いと力説します。その後の木彫り熊からは、生活をかけて制作した緊張感が伝わってくるといいます。
手作りの木彫り熊は、同じものは世の中に一つとして存在しません。一刀彫とされる木彫りの技術は一朝一夕で身に着けられるものではなく、造形作家の山里さんでもかなわないそう。これだけクオリティの高い木彫り熊は世界的に見ても類はなく、その文化的価値は高いといえます。
山里さんの愛、そして熱心な活動を通して、再び評価されつつある木彫り熊。将来的には木彫り熊が世界に誇る文化財として認められることを山里さんは切望しています。
220体超の木彫り熊コレクションが大集結!
札幌国際芸術祭2017(2017年8月6日(日)~10月1日(日)開催)では「北海道の三至宝」の一つとして「北海道の木彫り熊~山里稔コレクションを中心に」を札幌市資料館で開催します(展示期間は開催期間と同じ)。お土産ブームが下火となった木彫り熊にアートの視点から光を当てる展示です。
展示会場に集うのは、山里さんのコレクションのほか、一般公募する約30体、コレクター提供による数体。ぜひ時間をとって、木彫り熊一体一体と向き合ってみてはいかがでしょうか。
(取材協力:上遠野敏、山里稔)