昭和の時代、帯広には「カニ族」と呼ばれる旅人たちがいました。彼らが宿泊するのが、大型テントの無料施設「カニの家」。
なぜ彼らがカニ族と呼ばれるようになったのか、そして、カニの家とは? 取材を進めていくうちに見えてきたのは、昭和の古き良き人情と、いつの時代も変わらない若い人たちの無鉄砲な情熱でした。(写真提供:昭和ナツカシ館)
若い旅人たちが無料で宿泊できる場所
まず、カニ族についてご説明しましょう。昭和40年代、低予算で北海道を旅して回る若い人たちの姿がありました。今で言うところのバックパッカーです。
現在のリュックは縦長が主流ですが、当時は横幅の広いものが主流。荷物で大きく膨れ上がったリュックを背負い、さらには周囲の人の邪魔にならないように列車の通路などを横歩きに移動する姿がカニに似ているということで、いつの頃からかカニ族と呼ばれるようになりました。
▼当時のカニ族について語る、参納弘義さん
当時のことを懐かしそうに話してくれたのは、帯広で「昭和ナツカシ館」館長を務める参納弘義さんです。
「お金のないカニ族が帯広にもたくさん訪れてね、安いユースホステルに泊まろうにも満杯だし、仕方なく野宿する若者が少なからずいたんです。なんとかしてあげたくて、市と協力して、無料の宿泊施設として帯広駅そばにテントを張ったのがはじまりでした」(参納さん)
▼カニ族の兄貴的存在だった頃の参納さん(写真提供:昭和ナツカシ館)
最初にテントを張ったのは、1971(昭和46)年のことでした。畳十枚ほどのテントに、ひと夏で合計300名ほどのカニ族が泊まっていったといいます。次の年にはテントは二張になり、年毎に利用者も増えていきました。そしてその無料宿泊施設は、いつからか「カニの家」と呼ばれるようになったのです。
▼自らテントを張るカニ族たち(写真提供:昭和ナツカシ館)
日本全国から集まるカニ族は、日本全国に北海道の文化を広めていきました。たとえば、広尾線の愛国駅と幸福駅の「愛国から幸福ゆき」切符を見つけたことが大学のサークル内で口コミで広がったり、若者向けの雑誌で紹介されたりしました。
また、六花亭のホワイトチョコレートも、カニ族が地元に持ち帰って口コミで広まったもののひとつです。
▼バイクで旅する人も増えてきた頃(写真提供:昭和ナツカシ館)
1980年代になると、バイクに乗って北海道を一周するライダーたちが多くなりました。彼らは「ミツバチ族」と呼ばれ、やはりカニの家に宿泊していきました。
「3ヶ月ほどの期間で、約3,000人もの宿泊客が訪れたこともあります。せっかく来てくれても、満員で泊まれない人も出てきたりしてね」(参納さん)
1988年には、テントはとうとう三張に。参納さんを中心とするボランティアに支えられ、カニの家はいつも若い旅人たちの味方であり続けたのです。
カニの家の「今」は、果たして?
現在、カニの家はどうなっているのでしょうか。昭和の時代だけの、古き良き思い出になってしまったのでしょうか。
▼かつての看板
ご安心ください、無料宿泊施設として、ちゃんと今でも残っています。しかも場所を変えて、立派な建物に生まれ変わりました。
▼現在のカニの家
帯広駅から車で約20分、現在のカニの家は2001年に新設された、シャワー付きログハウス風の建物です。
▼1階フロア
キッチンもあり、オール電化で、バーベキューハウスも完備、女性専用エリアもあり。至れり尽くせりの宿泊施設で、もちろん、無料で利用できます。
▼2階フロア
ちなみに開設しているのは6月はじめ頃から10月はじめ頃までの、約4ヶ月。毎年、1,000人以上の宿泊客が訪れています。
▼元カニ族の本間辰郎さん
では、かつてのカニ族たちは、今ではどうしているのでしょうか。
以前、北海道ファンマガジンで紹介した、帯広で食堂「結YUI」を営む本間辰郎さんも、カニ族だったひとりです。本間さんがお金のない若者のために「ゴチメシ」というシステムを実施しているというのも、以前の記事で紹介しました。まさに、カニの家の精神。かつてカニ族を支えた地元の人情は、しっかりと受け継がれているのです。
読者の声
先日、貴北海道ファンマガジンを見つけ「カニの家」の文字を見つ
所在地:帯広市大正町東1線 大正ふれあい広場内
問い合わせ先:0155-65-4169(帯広市商工観光部観光課)
取材協力
所在地:北海道帯広市西13条南12丁目1-5
電話:0155-24-9070
所在地:北海道帯広市西1条南8丁目20-1広小路商店街
電話:070-5668-3389(本間辰郎)