かつて上川地方は旭川周辺だけだった? 巨大化する上川

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 上川支庁、現在は上川総合振興局になりましたが、この地域がかつて、発足当初は旭川周辺だけだった……というのは意外と知られていない事実。だんだん範囲を広げ、上川地方勢力拡大中(?)ともいえます。

 上川支庁が発足したのは、1897年11月のこと。それまで道内は国がおかれ、石狩国、天塩国、十勝国などに分かれていました。当時は上川のエリアはほとんどが石狩国、北は天塩国、占冠は胆振国の管轄になっていました。旭川周辺は石狩国でした。

 1897年の支庁設置により、上川支庁が発足。まだこの当時、現在の旭川市および周辺の上川盆地を中心としたエリアとして発足しました。北は比布、南は美瑛まででした。

 その後、めまぐるしく周辺地域を吸収していきます。1899年には南部の空知郡、現在の富良野市を中心とする富良野盆地のエリアを空知支庁から、さらに同年、増毛支庁から上川郡を移管編入し、現在の名寄市までを上川支庁管轄としました。

 それにとどまらず、1901年4月には中川町までを所管とし、1906年には室蘭支庁だった占冠村を上川に編入。これにより、それ以降長く続く上川支庁の原形ができあがりました。

 南北に勢力を拡大した上川に対し、増毛支庁は内陸部を失い、日本海側だけ南北に長くなりました。富良野地域の編入により、空知支庁も南北に細長くなる結果になりました。

 逆にいえば、名寄や士別はかつて増毛支庁(留萌)の管轄だったこと、富良野は空知支庁の管轄だったこと、占冠は室蘭支庁(胆振)の範囲だったということも分かります。

 そして記憶に新しい2010年4月の支庁再編に伴い、空知の幌加内町を上川に編入し、さらに面積を広げることになったわけです。かつては空知支庁の半分にも満たない面積だった上川支庁は、いまや空知地方をしのぐ道内3番目の面積を誇ります。道内でこれだけ急拡大した支庁の例は他にないようです。