東利尻町はなぜ利尻富士町になったのか―利尻島における町村変遷

道北・宗谷管内の島である利尻島。北海道の島で唯一、複数の自治体が存在することで知られます。方や「利尻町」で、方や「利尻富士町」。

利尻町は誕生時からこの名称のままですが、利尻富士町は東利尻村として誕生し、町制施行の後、1990年に現在の町名に改称しました。合併による名称変更を除けば、現時点で、道内で最も新しい市町村名変更の事例です。なぜこのような名称に変更するに至ったのでしょうか。

利尻郡の4町村が2つの町に

利尻郡は全域が利尻島であり、1869年(明治2年)に設置されて以来変わっていません。北海道二級町村制が施行された1902年(明治35年)4月、島内の6つの村が4つの村に再編されます。その結果、利尻島には仙法志村、沓形村、鬼脇村(鬼脇村と石崎村が合併)、鴛泊村(鴛泊村と本泊村が合併)が存在することになりました。

▼現在も旧4村の地名で区分けされることが多い

このうち、最も早く町制施行したのは沓形村で、1949年11月1日に沓形町に移行。しかしその後、いわゆる「昭和の大合併」の波に利尻島も飲まれることとなります。島内4町村は利尻郡町村合併促進協議会を設置して、「利尻郡1町構想」を目指し協議を試みますが、役場所在地の位置について意見の相違があり頓挫しました。

それでも、合併の気運は消えず、沓形町と仙法志村がまず合併に向けて動き出しました。それに追随する形で鴛泊村と鬼脇村の間でも、合併に向けて歩み寄りが見られるようになりました。

結果的に、1956年9月15日に沓形町と仙法志村が合併して「利尻町」が誕生。わずか半月遅れの同月30日には、鴛泊村と鬼脇村が合併して「東利尻村」が誕生しました。先に合併した前者が「利尻町」を名乗り、遅れた後者が「東」をつけざるを得なくなったのです。

東利尻村は、合併から3年後の1959年9月に町制施行を果たしました。

▼島の南西部を占める利尻町。その中心部である沓形市街を望む

▼利尻島の北東部を占める利尻富士町(旧東利尻町)。海の玄関口である鴛泊港

▼利尻町のカントリーサイン

▼利尻富士町のカントリーサイン

東利尻町、改め、利尻富士町へ

東利尻町は文字通り、利尻島の東側に位置していることに由来するわけですが、町民の間では30年以上もの間、しっくりしない感じを募らせていたといいます。そんな折、町名変更の声が上がりました。

変更を必要とする理由について、『利尻富士町史』は3点を挙げています。

  1. 過疎化と高齢化が進む中で町の活性化を促すためには、町のイメージを変えて、若者が夢と希望と誇りを持って定住できる町にしなければならない。
  2. 現在の町名は、単に利尻島の東側に位置しているというだけのことで、歴史や文化に由来のあるものではないため、利尻町と比較して全国的に知名度に欠けている。
  3. 水産物については「利尻」の銘柄(ブランド)のもとに全国にPRしている状況であるが、利尻島に東利尻町という町があることさえ知られていないため、本町産品であるにもかかわらず利尻町産品と間違われる事例が往々にしてある。

お隣の利尻町に負けることなく、町の知名度をアップさせて、水産・観光振興をはじめとして町の活性化につなげたいという思いが感じられます。

▼頂上は利尻町と利尻富士町の境界でもある利尻富士(利尻山)は町名にもなった

新町名の選定基準としては、「全国的にPRできる利尻島の『利尻』を冠し、末尾に強いインパクトを付与できる名詞を配した名称とすること」などを確認。検討を重ねた結果、「利尻富士町」を選定し、1990年9月30日に町名を変更しました。その理由について、先述の町史はこう記録しています。

  1. 古くから住民や登山愛好者などの間で、秀峰「利尻富士」と呼ばれて親しまれている利尻山の雄姿は、全国に誇るに値するものである。
  2. 日本百名山の一つに数えられている「利尻富士」を町名にする町があることで、その存在が全国に周知され、町のイメージアップにつながる。
  3. 利尻富士=「住民の心」「新鮮な水産物」「魅力ある観光」で町おこしに新風を期待することができる。

このような経緯で、全国に誇る日本百名山「利尻富士(利尻山)」にちなむ町名が採用されました。町名変更による登山客増加数は不明ですが、利尻富士の知名度アップに貢献したのは間違いありません。

参考文献:『利尻町史』『利尻富士町史』