明治~平成まで四代のトンネルが並ぶ場所が様似・日高耶馬渓にある!

【様似町】様似からえりもまでの海岸線は、アポイ岳の裾野が作り出す断崖絶壁の海岸線「日高耶馬渓」として知られる。それゆえ、古くから交通の難所であったという。そんな日高耶馬渓の海岸線に、明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代に作られた4つのトンネルが横一列に並ぶ場所が存在し、そのうち明治から昭和までの三代のトンネルは、入口を一度に見ることができる。

歴代のトンネルが並ぶ山中隧道

トンネルがあるのは、様似町中心部からえりも方面に海岸線を車で進むこと約10分。冬島地区と幌満地区の境界に位置する国道336号線の「山中トンネル」が今回の目的地の一つ。平成時代の2003年に開通した全長838mのトンネルだ。1799年に様似山道開削の現場監督だった中村小市郎にちなむ「小志郎トンネル」との愛称もある。

山中トンネルが完成したことで国道が現在のルートに変更されたが、2003年以前は海側を迂回する旧国道(現・町道)のルートだった。この旧国道にあるのが、昭和時代の1962年に竣工した「山中第二隧道」(全長57m) [地図]で、現在も車で通ることができる現役のトンネルだ。

そして、このトンネルの横に、大正時代と明治時代に築かれたトンネルを同時に見ることができる。旧国道の山中第二隧道のさらに海側に掘られたトンネルは、大正時代の1920年代に作られたトンネル。さらに、海側の小屋の影をよく見ると、さらに小さなトンネルも確認できるが、これは明治時代の1890年代に作られたトンネルという。

▼左から順に、明治・大正・昭和のトンネル。青い小屋の左側の窪みが明治。

明治時代のトンネル(1890年代~)
大正時代のトンネル(1920年代~)
昭和時代のトンネル(旧国道)(山中第二隧道:1962~)
平成時代のトンネル(現国道)(山中トンネル:2003~)

▼大正時代のトンネル

▼明治時代のトンネル

幌満側から見ると、海側から明治時代のミニトンネル、大正時代の小トンネル、昭和時代の現役トンネルの順に、一度に三代のトンネルを見ることができるのだ。そして、ここからは確認できないが、昭和時代のトンネルの裏には平成時代のトンネル(国道)が通っている。さらに時代をさかのぼれば、江戸時代はトンネルもなく、波打ち際を歩いて通っていたというので、五代にわたる歴史を感じられる場所といえるだろう。

様似の二大難所の一つだった

この海岸線は約6㎞区間は、断崖絶壁で波も高いことから、昔から通行が難しいといわれてきた。「北海道道路誌」によれば、様似の冬島~幌満間のテケレウシとチコシキリプは二大難所とされた。その一つが、チコシキリプ(アイヌ語:我々を捨てて走らせるもの)と呼ばれた、冬島と幌満の境界線にあたる当地だった。結局、山側を通る「様似山道」を整備するように江戸幕府に報告したが、それほどここは難所だったのだそう。明治時代にようやくトンネルが掘られたが、明治時代に町内に掘られた11か所のトンネルで、現在も残るのはここを含めて2か所。

▼冬島側から見るチコシキリプ

地質的には日高山脈の一部で、褐色の片麻岩(泥岩などが熱や圧力で変わったもの)で覆われているが、大正時代のトンネルの西側に出てみると、緑灰色の花こう岩類(マグマが冷え固まったもの)が、片麻岩に岩脈として貫入している様子が確認できる。様似町のアポイ岳ジオパークでは、ここを「大正トンネルの花こう岩類」として、様似町の見所の一つとして紹介している。

なお、この山中第二隧道のそばにある民家の裏には、年中水が枯れない「オホナイの滝(円館の滝)」がある。また、三つの歴代のトンネルの前の浜はかんらん岩の干し場でもあり、夏季には日高昆布が敷かれる。

日高耶馬渓の交通の難所に刻まれた歴代の「穴」は、当時往来した人々の苦労の跡でもある。これらトンネルの前に立ち、人々が当時どのように通っていたのか、想像してみるのもよいのでは。