北海道に県も府もあった? 函館県・札幌県・根室県のお話

北海道三県一局時代

 その三県とは「札幌県」「函館県」「根室県」。札幌、函館はわかるとしてなぜ根室が?ということですが、当時は根室が千島とのつながりにおいて重要な役割を果たしていて道東で最も重要な都市でした(釧路にあっというまに抜かれてしまいましたが)。それで札幌、函館、根室は当時北海道開拓三大拠点とされていました。

 その3都市を県庁とし明治15年(1882年)2月8日に三県が設置されることになりました。「函館県」は現在の渡島・檜山両支庁を主な範囲として北は後志支庁の南部の島牧郡・寿都郡・磯谷郡まで、「札幌県」は現在の石狩・空知・上川・日高・胆振・留萌・宗谷・十勝と後志の一部が範囲、「根室県」は現在の根室・釧路・網走・十勝の足寄郡・千島が領土となりました。

 こうしてみると、北海道をちょうど縦に三等分したような感じですね。それまで北海道開拓使が設置されていて、その10ヵ年計画が終了したことに伴って、本州のように県制にしたのです。開拓史を廃止して置県したのでこれを「廃使置県」といいます。

(※翌年には農商務省北海道事業管理局が設置され、北海道全体を主に管轄することになりました。これらをまとめて「3県1局時代」と呼びます)

 でもこの三県時代、あっという間に終わっちゃったのです。4年後の明治19年1月29日、三県一局の統治では不合理として廃止、北海道庁が設置され現代にいたるわけです。だから三県時代の歴史を感じるものもそんなに残っていません。ちなみに県を廃止して北海道庁を設置したのでこれを「廃県置庁」といいます。

実は府もあった北海道!

 三県設置の前は北海道開拓使が置かれていましたが、その前にはなんと「府」という行政区があったのです。それは「箱館府」と呼ばれており、明治元年(1868年)4月に明治新政府によって開設された箱館裁判所が改称されたものでした(もとは箱館奉行所が前身)。

 最初は京都府と箱館府だけでしたが、後に大阪・長崎・江戸・新潟・神奈川・奈良・甲斐と合計9の開港場を中心とした都市を「府」としました。この名称を今も受け継いでいるのは大阪・京都だけです。

 もちろん箱館府知事という役職も存在していて、北海道を統治する政庁とし、明治2年7月には「箱館県」となりました。その後北海道開拓使時代、三県一局時代、北海道庁時代へと行政が変わっていくわけです。

箱館奉行所略年表
[明治1.4]箱館裁判所に
[明治1.閏4]箱館府に
[明治2.7]箱館県に改称
[明治2.9]開拓使へ

北海道の一部が青森に属していたことがあった?

 今でさえ北海道は北海道で都道府県のひとつをなしていますが、青森県に所属していた地域がありました。それは旧松前藩の松前付近のエリアで、松前藩改称後の館藩知事を経て、廃藩置県で館県(たてけん)として県となり、明治4年9月に青森の弘前県に併合になりました。その後弘前県は青森県と改称され、明治5年9月には4郡(爾志郡・檜山郡・津軽郡・福島郡)が北海道に戻され、函館支庁所属となりました。


松前藩略年表
[明治2.6]館藩に
[明治4.7]館県に
[明治4.9]弘前県に編入
[明治4.9]弘前県は青森県へ改称
[明治5.9]うち旧館県4郡函館支庁へ編入

 つまり、北海道に「館県」「弘前県」「青森県」「札幌県」「函館県」「根室県」「箱館府(県)」という行政区があったことがわかります。

行政変遷を地図で見る

北海道の行政の変遷を簡単に地図にまとめて見ました。

15世紀三守護体制・和人地拡大・江戸時代松前藩

開拓使設置・11国時代

3県時代・北海道庁

郡役所を19支庁へ14支庁へ

行政変遷を年表で見る

北海道の行政の変遷を年表にまとめてみました。江戸時代の松前藩、江戸幕府直轄、開拓使、3県設置、北海道庁、支庁設置など短い歴史ながら、めまぐるしく変わってきました。