国内に残る唯一の国境標石が北海道にある!旧日露国境標石

 日本国は、まわりを海で囲まれ、陸の国境線はありません。国境線は海ですので、国境を示す標識などは特にありません。しかし、北海道には、国内で唯一、陸の国境線を示す国境標石が存在しています。

 北海道にあるといっても、資料館に所蔵されているだけですが、なぜ、北海道に国境線を示す標石があるのでしょうか。時代をさかのぼるとわかります。

旧日露国境標石

 かつて、日本には陸の国境がありました。そのひとつは樺太です。1905年のこと、日露戦争後のポーツマス講和条約にて、北緯50度に延長133kmにわたって直線に国境が引かれ、南樺太が日本領になりました。国境線の幅10mは森林が伐採されました。

 この国境線上には、天文測量による国境標石が4つ、4カ所におかれました。4つの標石はすべて日本製で、志賀重昴(しがしげたか)が意匠、日本の石工が刻んだとされます。素材は愛知県産とされる花崗岩です。

 サイズは高さは68cm、幅47cm、厚さ27cmです。南側には菊花章、および「大日本帝国・境界」(右から左に記す)表記、北側には双頭鷲章、ロシア語で「ロシア・1906境界」と刻まれていました。東側の薄い部分には「明治三十九年」、西側の幅の狭い部分には「ACTP Ⅱ」(天)と刻まれました。

 第1号標石は国境線東端に、第2号はポロナイ川右岸に、第4号は国境線西端に、第3号は第2号と第4号のほぼ中間に置かれました。ちなみに天文測量標石4基の間には、地上測量の中間標石17基・木標19基が設置されました。

北大総合博物館特別展より






旧道庁赤れんが樺太資料館展示より(第1号標石拓本など)

 標石4基うち1つの標石、第2号が残存しています。もともとロシア人がサハリンに保管しており、それを1997年に根室市歴史研究団体が取得しました。現在は根室市歴史と自然の資料館に所蔵されています(2009年12月~2010年5月までは北大総合博物館公開展示)。

 この旧日露国境標石第2号(正確には樺太日露国境第二天測標)は、国内で唯一残る陸の国境を示す標石です。第2号標石は1906年8月13日に着工し、1カ月後の同年9月16日に竣工しました。基礎は2.5m掘削し、基礎盤石を設置した後、コンクリートと土砂で交互に埋めました。