なぜこんなところに?道内では珍しい養蚕民家が旭川郊外にあった

【旭川市】 旭川のイメージや観光地としてここをあげる人は相当少ないに違いない。旭川郊外・東旭川にある「養蚕民家」のことである。一日何人か訪れる程度の知られざる建物だが、旭川市指定文化財として無料公開されている。

北海道で養蚕業を行っているところは現在少ないが、明治末期から大正初期にかけてこの地域は道内屈指の養蚕地として知られていたという。この建物は明治時代に建築したもの。伝統的養蚕を目的とした民家は道内ではほとんど例がなく、貴重な存在として地元では知られている。

では今回はこの貴重な建物についてご紹介しよう。

養蚕民家のつくりは福島からやってきた?

▼養蚕民家の建築にあたった松浦繁松の六男・勘助(1957年撮影・74歳)。


先述の通り、この建物は明治時代の1910年に建築された。建築者は松浦繁松という人。故郷は福島県で、そこから東旭川の米飯地区(現在の米原・瑞穂地区)に入植した。この地区には明治31年以降、福島県から団体入植があり、開墾を行ったとされる。

なぜこの地で道内屈指の養蚕業が発展したのかというと、主に二つの要素が関係していた。(1)一つは、米飯地区には飼育に必要不可欠な野桑が多く繁茂していたことから、団体長・菊田熊之助が養蚕を奨励したから、(2)そして故郷・福島県で養蚕が盛んだったから。

そのような事情もあり、この地域では養蚕業が盛んになった。その繁栄の中で建築された建物がこの養蚕民家というわけ。故郷の福島で行われていた養蚕技術をいかして建築された。

建物は養蚕に適した構造に工夫されていた

蚕の飼育には採光・通風・保湿に注意が必要とされているため、養蚕民家は養蚕業に適した建物になっている。(1)風通しを良くするため部屋の仕切りはすべて引き戸、(2)室温管理のため大形の炉を設置し、(3)蚕棚を組んで積み上げるため建物内は2階まで吹き抜けになっている。

▼平面図

建物の屋根は「片あずま」と呼ばれる厚い茅葺き形式の重厚感あふれるたたずまい。入口から内部に入ると「土間」があり、一段上がったところに「茶の間」と中央に炉。続いて「中の間」「座敷」があり、奥に納戸、手前側に縁側がある。縁側には大きめの窓が付いているが、それ以外の壁面には窓はほとんどない。したがって建物内部は縁側を除いて暗がりだ。

▼土間と茶の間は広々とした空間

▼炉のある茶の間

▼明るい光が差し込む縁側


建築当初は、建物のすぐ背後まで原生林が迫っていたといい、さらに、建物裏に下屋が接していたが、こちらは積雪に耐えない構造のため間もなく取り壊されたという。本屋の建物自体は1973年3月19日に旭川市有形文化財に指定され、その後1990年まで残っていた。1990年度から1991年度に解体・復元作業、2007年度に茅の全面葺き替えなどの補修作業が行われ、現在の保存体制が整った。

現在は、建物内は夏期に限って無料公開しており自由に観覧可能、蚕棚、給桑台、蚕籠も展示されている。当時盛んだった養蚕業を今に伝える貴重な建物を見学して、旭川の意外な歴史を発見してみては。

▼蚕棚や給桑台など


旭川市指定文化財・養蚕民家
旭川市東旭川町瑞穂1576-1(旭川市街地から約35分、道道295号線で21世紀の森方面) [地図]
交通:旭川駅から旭川電気軌道40・41・46・47番で東旭川1-6下車後、43番に乗り換え、米飯9号下車
11/1-4/27と月曜日(祝日の場合翌日)と祝日の翌日が休館、9:30~16:30、無料