旭川の市街地からほど近い場所に、嵐山と呼ばれる小高く深い森があります。嵐山には展望台もあり、そこから見下ろす景色は格別です。
しかし、嵐山といえば多くの人の頭に浮かぶのは、京都の嵐山ではないでしょうか。どうして遠く離れた北海道は旭川で、その場所が嵐山と呼ばれるようになったのか。そして展望台が作られた経緯とは。展望台から眺められる絶景と共に、紹介していきましょう。
どうして北海道の地名に「嵐山」?
▼石狩川を臨む、展望台から南東を見た風景
嵐山の森林は原生林ではなく、かつては先住民のアイヌの人たちの生活の場でした。その時代には、嵐山から近文山一帯を「チノミシリ」(私たち・お祈りをする・山)と呼び、尊崇していたようです。
▼イオンモールも小さく見える、展望台から東の風景
嵐山という名称は、1888(明治21)年について書かれた資料ではじめて見られます。その年の9月4日、陸軍参謀本部長陸軍中将小沢武雄が「頂上からの風光の美しいことは西京の嵐山に伯仲」として、嵐山と呼んだことがはじまりだったということです。
▼田園風景が広がる、展望台から北東の風景
命名について勘違いされがちなのが、旭川市内から見る遠景が京都の嵐山に似ているから、という説。そうではなく、標高253mの頂上から見下ろす石狩川や大雪山の風景が、京都嵐山の頂上から見下ろす鴨川や比叡山の風景に似ているから、という説が正しいようです。
ちなみに嵐山一帯は旭川営林局所管の国有林地区でしたが、1957(昭和32)年に市に無償貸与され、1965(昭和40)年に風致公園として開園しました。現在の嵐山公園センターが開設したのは、2006(平成18)年のことです。
▼現在の展望台の姿
そんな嵐山に展望台が作られたことに関しては、資料によると1952(昭和27)年頃に当時の旭川営林署長が見晴台を呼称したと記され、1957(昭和32)年の秋頃には嵐山頂上に東屋が建ったことが記されています。1966(昭和41)年に鉄筋コンクリートの展望台が完成し、2004(平成16)年に現在の展望台へと建て替えられました。
嵐山展望台の見どころ、そして注意点とは
嵐山展望台へ車で訪れることができるのは、4月下旬頃から11月中旬頃までの、雪のない時期に限ります。冬期間の除雪を行っていないので、車での通行ができなくなるのです。
▼駐車場から展望台へと続く遊歩道
駐車場から展望台までは、約500mほど。遊歩道がきちんと整備されていて、普段着で訪れても問題ありません。
ただし、展望台を含め外灯が一切ないため、日の短い時期の午後などに訪れる場合は、懐中電灯を準備しておくと安心です。もちろん、夜景を見に行く際にも懐中電灯は必須です。
▼市街地の灯りで夜空も明るく
展望台から見下ろす旭市街地の夜景は、なかなかロマンチック。外灯がなくてもわざわざ訪れる価値ありです。
▼展望台から見た星空
また、見上げれば満天の星が輝いています。都会にいては、なかなか見ることのできない夜空です。
▼酒井広治の嵐山歌碑
展望台右手には、福井県に生まれ幼い頃に旭川へと移住した歌人・酒井広治の歌碑があります。そこから少し下った場所には広場もあり、小学校や幼稚園の遠足でよく利用されています。
▼旭川市民の憩いの広場
また、麓の公園センターから散策路が整備されているので、春から秋にかけてはハイキング気分で、冬はスノーシューで散策することも可能です。所要時間は約30分程度。機会があれば、四季折々の嵐山の風景に触れてみてはいかがでしょう。
嵐山公園内には「アイヌ文化の森 伝承のコタン」や「北邦野草園」などもあり、展望台の帰りに立ち寄るのもおすすめです。嵐山の豊かな自然への理解が、一層深まることでしょう。