「青年よ大志を抱け」名言の地! 道内最古「国指定史跡旧島松駅逓所」


【北広島市】 皆さんは「駅逓」をご存じだろうか。現代に例えてわかりやすく言うなら「ホテル」と「道の駅」を合体させたものと言える。開拓時代の北海道では、道路を開削するのに伴い、このような宿泊施設が各地に設置されていった。

当時の構造を残す道内最古の駅逓施設は北広島市にある。それが「国指定史跡旧島松駅逓所」。ここは、クラーク博士が「青年よ大志を抱け」という名言を残した場所であるほか、寒地稲作発祥地であったり、道庁前のハス池にハスを株分けした発祥地でもあり、実は歴史的に重要な場所なのである。この建築物の歴史を中心に、旧島松駅逓所の管理人に話を聞いた。

旧島松駅逓所は現在の国道36号線開通に伴って設置された


まずは国指定史跡旧島松駅逓所。明治初期の1873年12月に、箱館(函館)~札幌間に開削された主要道路「札幌本道」開通に伴って、島松川の右岸に設置されたのが始まりである。この道路は現在の国道36号線にあたるが、開設当時は現在の旧島松駅逓所前の道路がそうだった。

当初の初代取扱人は勇払場所総支配人・山田文右衛門氏が、1875年からは山田安五郎氏が二代目取扱人となった。1877年には、1871年にこの地に入植した中山久蔵氏が請人となって鶴谷新次郎氏が三代目取扱人となったが、1884年8月以降は中山久蔵氏が正式な取扱人となって、1897年の廃止まで中山家が担当した。したがって、旧島松駅逓所はその大半が中山氏によって運営されたといっても過言ではない。

旧島松駅逓所は3つのエリアに大別される


旧島松駅逓所は木造平屋建て、全長約28m、建物面積は333.96m2。道路に並行して細長い構造をしており、道路側に通り庭(土間)があり、広縁(廊下)を介して各部屋に通じた。建物は大きく分けて三つのエリアからなっており、札幌方向から順に(1)中山家自宅、(2)客間(中座敷)、(3)行在所(上座敷)である。1881年作成と推定される中山家所蔵の平面図に基づくと次のようになっていた。



まずは札幌方向にある下手「中山久蔵自宅」。台所と居間など三つの六畳間、戸棚・流しなどを備える帳場からなる。現在は玄関前にある六畳間の一つは管理人常駐の受付窓、その裏手の居間は見学ルートとなっている。大広間には中山氏が受賞した数々の賞状や生活道具が展示されている。


それに続くのが客間である。駅逓所の役割の一つは宿泊施設なので、旅人などはここを利用した。部屋は4つ、六畳間1つ、八畳間2つ、九畳間1つであった。先述の中山家住宅エリアとこの客間は1873年から1880年にかけて建築されたとされている。






上座敷(千歳方向)にあるのが、1881年に増設された天皇行在所である。客間とは廊下で仕切られており、2つの部屋で構成された。明治天皇は食事休憩のため約2時間程度の滞在ですぐ千歳の宿所に向かうこととなったという。実際の使用時には、玄関口とは別に、行在所前にスロープを設けたという。明治末期の写真(建物内に展示)を見ると、駅逓所横に鳥居が設置されており、1881年の天皇巡幸以降神聖な場所として崇められていたことがわかる。現在この部屋の奥には天皇皇后のイラスト(写真ではない)と当時使われた「行在所」「御膳水」「御馬車置場」という看板が掲げられている。


これら三つのエリアにわかれているが、廊下の木の色も異なる。黒色をした廊下は建築当初の木材であるという。また、裏手の廊下には「中山」と彫られた跡も見つかっているので、見学の際には是非見つけていただきたい。今回特別に、通常入室禁止となっている各居室内にも入らせていただいたが、畳のヘリは客間と行在所とではまったく異なること、客間の扉の上の木製の柱には耳の大きな「ウサギ」の図柄が取り付けられていることなど、細部に当時の工夫が見て取れた。

なお、この建築物は1896年頃には規模が縮小され、その後若干の改修が行われた。現在の建物は、1881年当時の平面図を元に1984年から保存修理工事を行って現在地に完成したものである。1984年7月25日には歴史的に貴重な建物ということで、国指定史跡となった。指定敷地面積は建物を含む4,180.3m2で、ハス池や井戸などの付属施設が保存されている。

寒地水稲栽培発祥地でもある!


中山久蔵氏は植物の栽培に尽力した人物としても知られている。中でも寒冷地である北海道で稲作を成功させたとしてその名をはせている。彼は風呂の湯をくんで苗代を作ったり、島松川から引いた水をホースのようにくねらせた水路を使い太陽光で温めるなどの工夫を重ね、寒冷地でも米作りができるよう研究をした。そして1873年秋に一反当たり345kgの米を収穫することに成功した。

現在「寒地稲作発祥の地碑」のほか、それほど大きくはないが、その暖水路跡地と当時栽培していた赤毛稲の見本園が建物の裏手にある。稲の穂先のほうが赤く見えるので秋頃に確認していただきたい。また、旧島松駅逓所建物内では、1991年度産以降毎年保存している稲のサンプルをご覧いただける。現在道内で栽培されている稲は、ルーツをたどればこの種に行きつくとされる。まさに北海道水稲栽培発祥地といえる。




道庁前の池にも提供されたハス池がここにある!


史跡内にはハス池がある。中山久蔵氏がハスの栽培に成功したのは1878年。当初は現在よりも何倍も大きかったとされ、1889年に道庁前の池と千歳に株分けされた。その後ここ島松のハスは壊滅状態となったが、移植先である千歳から出戻りで当地のハスが復活したという。そのため現在は「復元栽培」と表記がされている。

クラーク博士が名言を残した場所でもある!

駅逓所設置の4年後の1877年4月16日、アメリカに帰国することになった札幌農学校教頭ウイリアム・スミス・クラークが、札幌農学校(現北海道大学・札幌市)を出発してこの駅逓所付近で学生や職員たちと別れることとなり、「Boys, be ambitious.(青年よ大志を抱け)」という名言を残して去って行ったと言われている。彼にとっては約9カ月の在任であった。現在これにちなみ、敷地内に「クラーク記念碑」が設置されている(1950年11月建立)が、クラーク像があるわけではないので注意が必要。


このように、かつて交通の要所だった旧島松駅逓所は、中山久蔵氏の栽培研究地でもあり、稲作を中心に現在の道内の農業にとりわけ大きな影響を残した発祥地といってもよい。旧島松駅逓所という建物はもちろん、このような歴史も垣間見れる国指定史跡敷地を是非ゆっくりと御観覧いただきたい。


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国指定史跡旧島松駅逓所
北広島市島松1番地
開館:4月28日~11月3日・10:00~17:00、月曜日と祝日の翌日は休館
駅逓所入場料:大人200円・小中学生100円
駐車場:道路向かいに無料約7台あり