日本最北の礼文空港は今どうなっているのか?

北方領土を除く国内において、日本最北にある空港はどこかご存知ですか? 稚内市の稚内空港? 利尻島の利尻空港? それとも・・・・・・? 正解は、礼文島にある礼文空港です。でも、礼文空港への路線はあるんでしたっけ? そう、実は約17年もの長い期間、礼文空港は休止中なのです。約40年前に誕生した礼文空港は、どのような歴史をたどってきたのでしょうか。

日本最北の礼文空港として1978年に開港

礼文空港位置図

礼文空港は、2つの角がある島北部のうち、北東部の金田ノ岬付近(礼文町船泊村幌泊)にある島唯一の空港です。北緯45度27分は、利尻島利尻富士町にある利尻空港の北緯45度14分、稚内市にある稚内空港の北緯45度24分よりも北に位置しており、日本最北の空港です。

地方管理空港の一つであり、北海道知事が設置管理、礼文町が受託管理をしています。敷地面積は11ヘクタール、標高27.3メートル。800メートル×25メートルの滑走路が一本と、小型プロペラ機2機を収容できるエプロン、および滑走路南側に一部二階建ての平屋建てターミナルビルがあるのみというシンプルな作りです。ターミナルビル左側には気象庁の礼文航空気象観測所が入居しています。駐車場は26台収容可能です。

礼文空港ターミナルビル遠景
礼文空港の滑走路とエプロン

離島は長年、本土への移動を、海の状況に左右されるフェリーに依存してきました。道内の離島では1962年8月に利尻島の利尻空港が、1974年9月に奥尻島の奥尻空港が開港しており、礼文島に礼文空港が開港したのは1978年6月1日のこと。道内の自治体のある離島3島では最後の開港でした。礼文島民にとっては悲願の空港誕生だったのです。(1977年には空港につながる道道926号礼文空港線も開通しています。)

お隣の利尻島の利尻空港は16年前に誕生していた

開港25年で唯一の定期便が廃止

礼文空港では1978年の開港に合わせて、日本近距離航空(後のエアーニッポン[ANK])が1日1往復の稚内―礼文線を季節運航開始。6年後の1984年3月には通年運航を開始しました。1994年には、稚内―礼文線を含む道内離島3路線をエアー北海道が継承。

横風にあおられることが多かったという礼文空港の滑走路

しかし強い横風による欠航が多かったこともあり、平均搭乗率が30%前後と利用低迷。2003年3月末の運航をもって唯一の定期便が廃止・撤退される事態となりました。離着陸に合わせて路線バスを運行していた宗谷バスも同時期に運転取りやめました。現在、礼文島南部の香深へのアクセスは徒歩10分の幌泊市街にある「空港下(くうこうしも)」停留所が最寄となっています。

そしてついに供用休止に

定期便がなくなった後も、供用中の空港として運用されていましたが、ほぼ閉鎖状態。緊急時のヘリコプター、個人所有の小型機といった年間約20回ほどの離着陸を除けば、ほとんど利用がない状態が続きました。

そして、定期便撤退から6年後の2009年4月9日。同日から2015年3月末まで供用休止となり、無人化されました。併設の気象施設も休止に。その後、2021年3月末まで供用休止が延長されて今に至っています。

礼文空港ターミナルビル正面入口

空港管理状況調書によると、ピーク時の1985年は約7,600人が利用していたとされていますが、休止前後の利用者数(乗降客数)は年別で次のような推移をたどりました。定期便廃止後も臨時便や緊急ヘリの離着陸などがあったことがわかります。

着陸数乗降客数備考
2001年3623,276
2002年3313,222
2003年135476定期便廃止
2004年250
2005年23487
2006年330
2007年110
2008年220
2009年70供用休止
礼文空港の年別着陸回数と乗降客数(国土交通省空港管理状況調書より)

国内では供用中の空港が休止した例はないとのことでしたが、礼文空港がその供用休止空港となってしまいました。供用休止以降も、救急搬送するヘリコプターが離着陸するためエプロンの一部を使用することがあり、その部分の維持管理が行われています。

礼文空港への案内標識
ひっそりとしている礼文空港

礼文空港を訪れると、ひっそりと静まり返り、誰もいないターミナルビルが寂しげに佇んでいます。中央正面出入口にはスロープと階段が設けられていて、中をのぞけば、すぐ向こうエプロンと滑走路、日本海を見ることができます。もう、ここから飛行機が飛び立つことはないのでしょうか。

海上交通しかなかった礼文島に悲願の空港が誕生したのが1978年。それから40年以上経過した今、島外とのアクセスにおいて再び海上交通に頼っています。