【基本編】北海道難読地名50選―これだけは押さえておこう!

北海道には、数多くの難読地名が存在します。特にアイヌ語に由来する地名は、アイヌ語の発音に近い漢字をあてているため、本来の漢字の読みとかけ離れた地名が生まれることもあります。

そんな数多くの難読地名の中から、今回は初心者向けに基本編。北海道の振興局名、市町村名となっている地名、主要な島名から、すんなりと読めない地名を50集めました。北海道ファンや北海道民なら、これだけは読めて当然! あなたはいくつ読めますか?

※あくまで基本編です。ある方にとっては簡単すぎるかもしれません。ご了承ください。動画で見たい方は下記をご視聴ください。

振興局名

胆振

北海道南西部の苫小牧市、室蘭市、登別市、洞爺湖などを含み、東はむかわ町、西は噴火湾の豊浦町に至る東西に長い行政区。開拓使設置後の11国時代は胆振国(いぶりのくに)、胆振支庁を経て現在の胆振総合振興局になっています。

「胆」は「きも」「タン」「トウ」とは読みますが、「い」とはなかなか読めません。「振」も「シン」「ふる」「ふれる」などに使われる漢字ですが、濁る「ぶり」で使うことはほぼありません。普通に読めば「タンシン」「トウシン」と読みがちですが、「いぶり」が正解です。

明治初年に松浦武四郎が北海道の11国名を決める際に、『日本書紀』の斉明天皇の時代の故事にある「胆振鉏(いぶりさえ、またはいぶりすき)」(いぶつ=苫小牧市勇払と思われる)を提案したことに由来しています。

読み:いぶり

胆振(いぶり)

後志

北海道西部の小樽市、羊蹄山、積丹半島などを含み、西側は島牧村に至るまでの行政区。開拓使時代は後志国(しりべしのくに)、後志支庁を経て現在の後志総合振興局になっています。

「後」は「ゴ」「コウ」「のち」「うしろ」「あと」「おくれる」などで使われます。「志」は「シ」として使われます。珍しい用例として「後方(しりえ)」で「しり」とも使われています。「後志」を普通に読めば「コウシ」となるのですが、「しり」に「べ」を加えて「し」を加えています。

松浦武四郎が国名選定にあたり、『日本書紀』の斉明天皇の時代の故事にある「後方羊蹄」つまり現在の羊蹄山の名前を推薦しました。この「後方(しりえ)の一文字と「志(し)」を合わせて「しりへし」としました。

読み:しりべし

後志(しりべし)

郡名

久遠

檜山管内にある久遠郡。旧・大成町の区域でしたが、2005年に北檜山町と瀬棚町と合併し「せたな町」が発足したことにより、瀬棚郡を飲み込む形で久遠郡の範囲が拡大しました。

「久」は「ク」「キュウ」、「遠」は「エン」「オン」「とおい」などと使われます。「キュウエン」と読みたくなりますが、実はそうではありません。「遠」を「どう」と読ませることはあまりないのですが、「久遠」の場合は「くどう」もしくは「くどお」と読ませます。

クドウ場所、『日本地誌提要』では「クトホ」にちなみます。アイヌ語に由来しますが、「クウントゥ」(仕掛け弓・ある・山崎)など諸説あります。

読み:くどお

久遠(くどお)

爾志

檜山管内にある爾志郡。かつて熊石町と乙部町の範囲を含み、現在は乙部町が含まれます。「爾」の漢字は「ジ」「ニ」「なんじ」「その」などと使われるので、読み方はそんなに難しくないかもしれません。ただ、日常的に使われない漢字であるため、最初は読み方に戸惑うかもしれません。

明治初期に郡名を決める際に、松浦武四郎は「西郡」を提案したのですが、その際になぜか難しい「爾志」をあてることとしました。それでアイヌ語由来ではない地名の一つとなっています。

読み:にし

爾志(にし)

市町村名

網走

オホーツク管内にある網走市、網走郡(網尻郡)。網走監獄で有名になった地名ですが、よくよく考えてみると「モウソウ」と読みたくなる漢字です。でも違います。「網」は「モウ」「あみ」とは読みますが、「あ」と読ませるのは「網代(あじろ)」など数例しかありません。「走」も送り仮名なしで「バシリ」と読ませます。

地名は諸説あり、例えば古来の文献で「アハシリ」「アワシリ」「アパシリ」と表記されます。「アパシリ」はアイヌ語の「漏る・地」、または「網の浮に使う木・島」の意味とされます。霊鳥が網走湖で「チバシリ」と鳴いた鳴き声にちなみ後に「アハシリ」となったとの説があります。

読み:あばしり

網走(あばしり)

安平

胆振管内東部、早来町と追分町からなる安平町。「安」は「アン」「やすい」と使われる漢字ですが、「ア」と読むことは「安房(あわ)」など比較的数少ない用例があります。「安平」は普通に読めば「あんぺい」「やすひら」と読みたくなりますが、違います。

「安平」はアイヌ語の「アビラ」(光る崖)に由来するとされています。本来は河川名であったと思われます。

読み:あびら

安平(あびら)

厚岸

釧路管内東部にある厚岸郡厚岸町。牡蠣の街として知られます。「厚岸」の「厚」は「コウ」「あつい」、「岸」は「ガン」「きし」と読みます。したがって、普通に読めば「こうがん」「あつきし」などとなるでしょう。しかし違います。そもそも「厚」を「あっ」、「岸」を「けし」で「厚岸(あっけし)」と読ませるので、最初は読むのがなかなか難しいと言えるでしょう。

古い文献では「あつけし」「阿津気志」「厚気志」とみられます。アイヌ語に由来し、「アットゥシ」の原料となる「アッ」(オヒョウ)と結び付けた解釈が多く見られます。「アッケウシイ」つまり「オヒョウニレの樹皮・剥ぐ・いつもする・ところ」とする説があります。

読み:あっけし

厚岸(あっけし)

足寄

十勝管内北東部の足寄郡足寄町。「足」は「ソク」「あし」「たりる」「たす」などと使われ、「寄」は「キ」「よる」「よせる」と使われます。「足寄」を普通に読めば「ソクキ」「あしよる」「たしよせ」などとなるのでしょうが、違います。「足」は「あし」ですが、続く「寄」を「ょろ」と読ませ「あしょろ」となります。二文字で一つの読みが成立します。

古い文献では「アシヨロ」として河川名、山名、コタン名で記録されています。アイヌ語の「エソロペッ」つまり「沿って下る・川」に由来しているとされています。

読み:あしょろ

足寄(あしょろ)

平取

日高管内西部の内陸部にある沙流郡平取町。「平」は「ヘイ」「ビョウ」「たいら」「ひら」、「取」とは「シュ」「とる」と読みます。それで「平取」を普通に読めば「へいしゅ」「ひらとり」などになると思います。でも違います。濁点を付けた「びら」、送り仮名のない「とり」で「平取(びらとり)」と読ませます。

「平取」はアイヌ語の「ピラ・ウトル」つまり「崖の間」に由来します。古文書では「ビラトリ」のほか「ヒラトリ」「ヒラトマリ」「ヒラト」と記録されています。

読み:びらとり

平取(びらとり)

秩父別

空知管内北部にある雨竜郡秩父別町。あの有名な「秩父(ちちぶ)」を冠しているので「ちちぶべつ」と読んでしまいがちですが、違います。そもそも「秩父(ちちぶ)」の最初の1文字「ち」しかあってません。最後の「別」はそのまま「べつ」と読ませて、半濁音を含む「ちっぷべつ」となります。

秩父別は古い文献で「チツフシヘ」「チックシベツ原野」と記録されています。諸説ありますが、アイヌ語の「チクシペッ」つまり「通路のある川」にちなむとされています。

読み:ちっぷべつ

秩父別(ちっぷべつ)

枝幸

宗谷管内南東部に位置する枝幸郡枝幸町。「枝」は「シ」「えだ」と読み、「幸」は「コウ」「さいわい」「さち」「しあわせ」と読みます。「枝幸」をそのまま読めば「シコウ」「えださち」などとなるのですが、違います。「枝」をなぜか「え」と読み、「幸」をなぜか「さし」と読ませます。

「枝幸」は「エサシ」「エサウシ」「ヱサシ」「イサシ」などと古文書では記録されています。「枝幸」のほか、道南檜山の同名地名と同じ「江差」または「愛佐子」と漢字表記しているものもあります。アイヌ語で「エサウシ」つまり「岬」「頭が・浜に・ついている・ところ」に由来しています。

読み:えさし

枝幸(えさし)

幌延

宗谷管内のサロベツ原野を含む区域を擁する天塩郡幌延町。「幌」は「コウ」「ほろ」、「延」は「エン」「のびる」「のばす」などと用いられます。「幌延」を普通に読むと「コウエン」「ほろのび」などとなるのでしょうか。「幌」は「ほろ」であっています。「延」については、送り仮名を付けて「延べ」と用いることもあるので、その送り仮名なしバージョンと思っていただければと思います。

「幌延」は「ホロノブテ」「ホロノプテ」「ホロノツプ」「ポロヌツプ」「ホロノフ」などと古い文献で記録されています。アイヌ語の「ポロヌタプ」は「大きい・野の出っ張り・川の湾曲」を、「ポロヌプ」は「大きい野原」を意味します。サロベツ原野や天塩川の湾曲を指していると思われます。

読み:ほろのべ

幌延(ほろのべ)

神恵内

後志管内の積丹半島南西部に位置する古宇郡神恵内村。「神」は「シン」「ジン」「かみ」「かん」「こう」、「恵」は「エ」「ケイ」「めぐみ」と読みます。「神恵内」を普通に読めば「じんけいない」「かみえない」などとなるのでしょうが、違います。「神」を「かも」と読ませます。

「神恵内」はアイヌ語の「カムイナイ」つまり「神の沢」の意味です。「カムイ」は「神」を意味するので、それを尊重し「カムイ」「カモイ」という地名には「神」の字を含めることが多いようです。

読み:かもえない

神恵内(かもえない)

倶知安

後志管内中部にある後志総合振興局所在地。「倶」は「ク」「グ」「ともに」と読み、「知」は「チ」「しる」、「安」は「アン」「やすい」と読みます。ですから普通に読めば「クチアン」となるでしょう。初めて読む人には、小書きが二つも入るなんて想像もできないでしょう。「倶」は「クッ」、「知」は「チ」、「安」は「ャン」となり、分解できず、3文字で1つの読み方を形成しています。

「倶知安」はアイヌ語に由来。古文書では「クツシヤニ」「クッチャン原野」となっています。「クッ・シャン・イ」の意味は「くだのようなところを・流れ出る・ところ」で、これが「クッシャニ」になりました。これに、北海道庁参事官だった白仁武が漢字をあてたとされています。

読み:くっちゃん

倶知安(くっちゃん)

訓子府

オホーツク管内の北見市の南に隣接する常呂郡訓子府町。「訓」は「クン」「おしえる」、「子」は「シ」「ス」「こ」「ね」と読み、「府」は「フ」と読みます。「訓子府」をそのまま読めば「くんこふ」でしょうか。干支の読みがわかれば「くんねふ」と読めるでしょう。でも違います。最後の「ふ」は半濁音「ぷ」で、その前に小書き「っ」が入ります。

「訓子府」は古文書では「クン子フ」と書かれ、この時点で「子」の字があてられていました。アイヌ語の「クンネプ」つまり「黒い・ところ(川)」に由来します。

読み:くんねっぷ

訓子府(くんねっぷ)

釧路

釧路総合振興局、釧路市、釧路郡釧路町。大都市で有名であるため「釧路」を正しく読めてしまう方がほとんどだと思いますが、よくよく見てみるとそんなに簡単ではありません。「釧」は「セン」「うでわ」「くしろ」と読みますが、そもそも「釧」だけで「くしろ」と読ませます。それに「路」が加わっているので、「くしろろ」となるのが普通です。

「釧路」はアイヌ語の「クスリ」「クウシルー」「クシュルゥ」「クシユル」などに由来。元禄・天宝の時代にすでにその字が記録されています。漢字があてられた文献としては「久須利」「久寿里」「薬」「楠量」「久摺」があります。諸説あるため断定できませんが、意味としては「直路」「超える・道」など道に関係する意味合いがあるとされています。

読み:くしろ

釧路(くしろ)

真狩

後志管内の羊蹄山山麓にある虻田郡真狩村。「真」は「シン」「ま」「まこと」、「狩」は「シュ」「かる」「かり」と読みます。「真狩」を普通に読めば「シンシュ」「まかり」となりますが、正しくは「まかり」の間に小書きの「っ」が入ります。

「真狩」は古い文献では「マツカリヘツ」と記されました。これは真狩川のことで、アイヌ語「後ろ・まわる・川」のうち「別」を除いて村名としました。

読み:まっかり

真狩(まっかり)

増毛

留萌管内南部の増毛郡増毛町。よく「ぞうもう」「ぞうもう」と揶揄されますが、実際は読み方が異なります。「増」は「ゾウ」「ふえる」「ます」、「毛」は「モウ」「け」と読みます。「増」は「まして」と読むこともありますので、そんなに難しくないでしょうか。正解は「ましけ」です。

「増毛」は「マシケヱソ」「ましけの埼」「ましけ」と表記されてきました。漢字では「増気」「満繁」などとも書かれました。アイヌ語「マシュキニ」「マシュケ」に由来していて、意味は「カモメの多いところ」です。

読み:ましけ

増毛(ましけ)

妹背牛

空知管内北部に位置する雨竜郡妹背牛町。「妹」は「マイ」「いもうと」、「背」は「ハイ」「せ」「そむく」、「牛」は「ギュウ」「うし」と読みます。「背」と「牛」は読み方がそんなに難しくありませんが、問題は「妹」です。「妹背(いもせ)」という言葉はありますが、その場合も「いも」と読ませますので、はじめは困惑するかもしれません。正しくは「もせうし」であり、「妹」は「も」と読みます。

「妹背牛」は古い文献では「モウセウシ」となっており、アイヌ語の「モセ・ウシ・イ」つまり「イラクサ・繁茂している・ところ」の意味があります。1893年(明治26年)に望畝(もうせ)農場が開設されて「望畝有志」と漢字があてられ、1898年(明治31年)に現在の名称に改められました。

読み:もせうし

妹背牛(もせうし)

七飯

渡島管内中部、函館市の北に隣接する亀田郡七飯町。「七」はいいとして、そもそも「飯」は「ハン」「めし」「いい」と読むくらいで、「え」とは読むことがほとんどありません。それで最初は「ナナハン」「ななめし」と読んでしまいそうです。正解は「ななえ」です。

「七飯」は諸説ありますが、アイヌ語「ヌ・アン・ナイ」(漁のある川)、「ナァナイ」(いくつもの川)「ナムナイ」(冷たい川)などが由来されています。そもそも七重浜(上磯町→北斗市)があるように、明治時代まで「七重村」でした。それ以前は「ナナイイ」「ナナイヒ」「七々井村」という表記もされていました。1879年(明治12年)に飯田村と七重村が合併した際に、両村の一文字を取って七飯村としました。

読み:ななえ

七飯(ななえ)

名寄

上川管内北部にある名寄市。「名」は「な」と読めますが、「寄」は「キ」「よる」「よせる」と読みます。「寄ろう」で「よろう」と読むので、「名寄」を「なよろ」と読ませても不思議ではありません。ただ、送り仮名がありません。これは足寄町と同じです。

「名寄」は古文書により「ナヨロ」「ナエロ」「ナヨロフト」「ナイブツ」という表記が確認されており、「奈与呂」「奈余路」といった当て字が用いられました。アイヌ語の「ナイオロプトゥ(川・のところ・の口)」、「ナイオロ(名寄川を指す)」などに由来してます。

読み:なよろ

名寄(なよろ)

新冠

日高管内にある新冠郡新冠町。「新」は「シン」「あたらしい」「あらた」「にい」と読み、「冠」は「カン」「かんむり」と読みます。普通に読むと「しんかん」「にいかん」になるでしょうか。でも違います。「新」は「にい」ですが、「冠」を「かっぷ」と読ませるので、初めての人には難しい難読地名の一つとして定着しています。

「新冠」は天保時代の文献で「ニイカツプ持場」、後の時代には「ニイカツフ」「にかふ」「ニイカプ」などと表記されてきました。漢字では「新勝府」「仁井可部」「新葛布」とあてられました。アイヌ語の「ニ・カプ」は楡の木の皮という意味があります。

読み:にいかっぷ

新冠(にいかっぷ)

置戸

オホーツク管内の北見市に隣接する常呂郡置戸町。「置」は「チ」「おく」、「戸」は「コ」「と」「へ」と読みます。「チト」と読みたくなります。でも、「戸」は「と」ですが、「置」は「チ」とは読みません。「置けば」の「おけ」と読ませ、全体で「おけと」と読みます。

「置戸」は古い文献では「ヨケトシ」、明治中期頃からは「オケトウンナイ」と呼ばれました。アイヌ語の「オケトゥウンナイ」は「川尻に、獣皮を乾かす張り枠・ある・川」からとったとされます。

読み:おけと

置戸(おけと)

興部

オホーツク管内紋別郡興部町および西興部村。「興」は「コウ」「キョウ」「おこる」「おこす」、「部」は「ブ」「わける」「べ」などと読みます。「興部」をそのまま読めば「コウブ」「キョウブ」「コウベ」などとなるのでしょうが、全部違います。まず「興」を送り仮名なしの「おこ」と読ませます。「部」は「ッペ」と小書きが入ります。「おこっぺ」です。

「興部」はシャクシャインの乱の記録で「おこつへ」、天保時代の記録に「ヲコチベ」、それ以降「オコツベ」「ヲコツベ」などの記録があります。アイヌ語の「オウコッペ」(川尻・互いにくっつく・もの)が由来とされています。

読み:おこっぺ

興部(おこっぺ)

長万部

渡島管内北部に位置する山越郡長万部町。難読地名の筆頭として名が上がる町です。「長」は「チョウ」「ながい」「おさ」、「万」は「マン」「バン」、「部」は「ブ」「わける」「べ」などと読みます。素直に読めば「ちょうまんぶ」なわけですが、そうではありません。「おさまんべ」が最も惜しい回答となります。実際には「長」の読み方が「おしゃ」となります。

「長万部」は天保時代の記録に「ヲシヤマンベ」とあり、1864年(元治元年)に長万部村が生じました。かな表記は「おしやまんへ」「おしやまんべ」「おしやまんへい」「ヲシヤマンベ」などがあり、漢字表記は「小砂万部」「小砂間辺」「於赦万遍」「忍山部」などとしていました。由来は諸説ありますが、「ウパシサマムペ(雪・比目魚)」つまり神が釣った大比目魚を山に祀り、周囲の雪が消えてヒラメの形が残ったら漁を開始するようになったことにちなむ、あるいは鰈(かれい)の形が残る、などの記録が残っています。

読み:おしゃまんべ

長万部(おしゃまんべ)

音更

十勝管内の帯広市の十勝川を挟んで北側に位置する河東郡音更町。「音」は「オン」「イン」「おと」「ね」、「更」は「コウ」「さら」「ふける」と読みます。「音更」をそのまま読めば「オンコウ」「おとさら」となりますが、「更」の部分は「ふける」の送り仮名がないバージョンとなります。

「音更」は天保時代の記録に「ヲトフケ」があり、その他の記録では「オトブケ「おとふけ」「オトケフ」などがあります。アイヌ語の「オトプケ」は、支流の流れをたとえた「毛髪が生じる」という意味です。

読み:おとふけ

音更(おとふけ)

音威子府

上川管内北部に位置する中川郡音威子府村。「音」は「オン」「イン」「おと」「ね」、「威」は「イ」、「子」は「シ」「ス」「こ」「ね」、「府」は「フ」と読みます。「音威子府」は素直に読めば「おといこふ」になりそうですが、さすが難読地名の代表例だけあります。「おとい」のあとは「子」を「ね」と読ませ、「府」を「っぷ」として「ねっぷ」となります。

「音威子府」は「ヲトイ子フ」「ヲトイ子ツプ」「ヲトイ子ツベツ」「ヲトヱ子フ」と記録されていました。アイヌ語で「オトイネプ」は「川口の濁っている川」、つまり天塩川の合流部が濁っていたことにちなむとされています。

読み:おといねっぷ

音威子府(おといねっぷ)

雄武

オホーツク管内北部にある紋別郡雄武町。「雄」は「ユウ」「お」「おす」、「武」は「ブ」「ム」「たけし」と読みます。そのまま読めば「ゆうぶ」「おむ」などとなるでしょうか。しかし「雄」を「おう」と読ませ、全体で「おうむ」とするのです。

「雄武」は「ヲム」「ヲゝム」「ヲウム」と記録されてきました。アイヌ語の「オムイ」は「川尻・塞がる・ところ」の意味があり、「オム」だけでは「川尻・塞がる」が意味。雄武川のことを指していると思われます。

読み:おうむ

雄武(おうむ)

比布

上川管内の旭川に隣接する上川郡比布町。「比」は「ヒ」「くらべる」、「布」は「フ」「ぬの」です。普通に読めば「ヒフ」になるわけですが、正解は「ぴっぷ」。「比」を「ぴ」と読むことも「布」の部分が「っぷ」となるのも驚き。2文字で一つの読みを形成しています。ピップエレキバンで有名になりました。

「比布」はもともと「ヒフ」「ビゞ」「ビゞブト」「ヒヒ」「ヒイ」などと表記されていました。アイヌ語「ピピペッ(石の・ゴロゴロしている・川)」「ピオプ(石の・多い・ところ)」など諸説があります。

読み:ぴっぷ

比布(ぴっぷ)

礼文

宗谷管内の離島、礼文島にある礼文郡礼文町。「礼」は「レイ」「ライ」、「文」は「ブン」「モン」「ふみ」と読みます。「礼」を「レ」と一文字で読ますことはあまりないのですが、この礼文がまさにその例。「れぶん」と読みます。

「礼文」は1696年(元禄9年)に「列分什里(れぶんしり)」つまり礼文島の記録が出てきます(実際には利尻島と思われる)。その後「レブンシリ」と記録されています。アイヌ語は「レプンシリ」つまり「沖の島」という意味。

読み:れぶん

礼文(れぶん)

留萌

留萌管内留萌市。「留」は「リュウ」「ル」「とめる」「とまる」、「萌」は「ボウ」「ホウ」「めばえ」「もえ」などと読みます。「萌え」などと使うことは多いですが、これを「もい」と読むことは珍しいと言えます。「留萌」で「るもい」と読みます。

「留萌」は古文書では「ルルモツヘ」「つつもつへ」「ルルモツベ」「ルルモツペ」「ルルモヲツペ」「ルルモヲベツ」などの記録があります。アイヌ語で「ルルモオッペ」つまり「潮の静かに入るところ」という意味があります。

読み:るもい

留萌(るもい)

留寿都

後志管内の羊蹄山山麓に位置する虻田郡留寿都村。「留」は「リュウ」「ル」「とめる」「とまる」、「寿」は「ジュ」「ス」「ことぶき」、「都」は「ト」「ツ」「みやこ」と読みます。素直に読むと「るすと」になってしまいそうですが、ここは「都」を「ツ」と読ませて「るすつ」です。ルスツリゾートで有名です。

「留寿都」は「ルスツ」「ルソチ」などと表記されてきました。アイヌ語の「ルスツ」は「道が山の麓にある」という意味です。

読み:るすつ

留寿都(るすつ)

札幌

道庁所在地、石狩振興局所在地、政令指定都市、北海道最大都市、札幌市。学校で県庁所在地を学ぶ関係で、また日本を代表する都市であることから、誰もが読める地名ですが、よくよく見るとすぐ読めるものではありません。「札」は「サツ」「ふだ」、「幌」は「ほろ」と読みます。「札」の部分が「サッ」、「幌」が半濁音の「ポロ」となるところが、いかにも北海道っぽいといえます。

「札幌」の由来は、アイヌ語の「サッ・ポロ・ペッ(乾いた・大きな・川)」とする説があります。サッポロ川のことを指していると思われ、上流部は現在の豊平川のことです。古文書では「サツポロ」「しやつほろ」「さつほろ」「サポロ」、漢字表記では「作発路」「作発呂」「察縨」とされていました。

読み:さっぽろ

札幌(さっぽろ)

猿払

宗谷管内北部にある宗谷郡猿払村。北方領土を除く日本最北の村です。「猿」は「エン」「さる」、「仏」は「ブツ」「ほとけ」と読みます。そのまま読むと「エンブツ」「さるぶつ」となりますが違います。「猿」はそのまま読みますが、「仏」はフランスのことを指すときの読み方と考えてください。「ふつ」と読むことがあまりないので、最初は読みにくく感じるかもしれません。

「猿払」は古い文献では「サルブツ」「サロブツ」「シヤルブツ」と表記されてきました。アイヌ語で「サル」は谷地や湿地、「プトゥ」は沢口、河口を指します。

読み:さるふつ

猿払(さるふつ)

積丹

後志管内の積丹半島先端部に位置する積丹郡積丹町。「積」は「セキ」「つむ」、「丹」は「タン」と読みます。普通に読めば「セキタン」になるでしょう。「丹」は問題ないですが、「積」については「シャク」とも読む例があることを念頭に置いて、「しゃこ」と読ませています。

「積丹」は「シヤコタン」「シヤコダンベツ」、漢字で「舎古丹」「尺丹(しゃくたん)」などと表記されました。アイヌ語の「シャク・コタン」は「夏・村(場所)」という意味です。

読み:しゃこたん

積丹(しゃこたん)

標茶

釧路管内にある川上郡標茶町。「茶」はそのままです。「標」は「ヒョウ」「しめ」「しるべ」などと読みますが、そのどれも当てはまりません。普通に読めば「ヒョウチャ」「しめちゃ」になるのでしょうか。「しべちゃ」と読みます。

「標茶」は「シベチャ」「シヘチャ」「シベツチヤ」「しへつちや」などと表記され、「志別茶」と当て字されました。アイヌ語の「シペッチャ」は「大きな川のほとり」という意味です。

読み:しべちゃ

標茶(しべちゃ)

標津

根室管内にある標津郡標津町および中標津町。前述の標茶町同様、「標」を「しべ」とはなかなか読めないところがありますが、「しべつ」と読みます。また内陸部の町を中標津町と呼びます。

「標津」は元禄時代の記録に「ちべ内」があり、天保時代に「シベツ」の名が記録。「シヘツ」とも記され、漢字は「支別」「志平津」「志辺津」などの当て字が見られます。アイヌ語の「シペッ」は「大きい・川」の意味です。

読み:しべつ

標津(しべつ)

占冠

上川管内南端に位置する勇払郡占冠村。「占」は「セン」「しめる」「うらなう」、「冠」は「カン」「かんむり」と読みます。普通に読めば「センカン」「しめかん」になるでしょう。でも両方ともそう読むの?という読み方になります。「占」は「しむ」、「冠」は「かっぷ」となります。「冠」は「かっぷ」と読むことが多いことを覚えておきましょう。

「占冠」はアイヌ語で「シムカプ」つまり「とても静かで平和な上流の場所」という意味があります。鵡川の上流を指していると考えられています。

読み:しむかっぷ

占冠(しむかっぷ)

寿都

後志管内西部に位置する寿都郡寿都町。寿都といえば、近隣の留寿都村と似ていますが、読み方は異なります。「寿」は「ジュ」「ス」「ことぶき」、「都」は「ト」「ツ」「みやこ」と読みます。普通に読めば「スト」「スツ」になると思いますが、正解は「スツ」の間に小さな「ッ」が入るのが特徴です。

「寿都」はコタン名、入江や谷の名称として記録されてきました。「すつつ」「スツ」「スツツ」「スツス」「シツツ」「ススツ」「シュッツ」などと記述され、漢字では「寿津」「須津々」「寸津」「周津々」などと表記されました。諸説ありますが、アイヌ語の「シュプキペッ(矢柄に用いる茅のある川)」「シュプトゥ(茅芳・山崎)」などとされています。

読み:すっつ

寿都(すっつ)

弟子屈

釧路管内北部にある川上郡弟子屈町。屈斜路湖や摩周湖で有名な町です。ここはわけずに「弟子」を「でし」と読むことが、難読地名解読の近道です。「屈」は「クツ」「かがむ」などと読みます。そのまま読めば「でしくつ」となりそうですが、「屈」のほうは「かがむ」の送り仮名なしバージョンを使います。「てしかが」です。

「弟子屈」はコタン名、温泉名として記録されており、「テシカカ」「テシカゝ」「テシカゞ」と書かれてきました。アイヌ語「テシカ・カ」は「岩盤・上」の意味で、釧路川「川底に盤石あり、その上に浅くして水がさわさわとさわぐ」様を表しているとする説があり、漁の仕掛けもできないほどだったことにちなむとされています。

読み:てしかが

弟子屈(てしかが)

天塩

留萌管内最北に位置する天塩郡天塩町。天塩川の河口に位置します。「天」は「テン」「あま」、「塩」は「エン」「しお」などと読みます。「テンエン」「あまじお」でもありません。「塩」はそのままでよいのですが、「天」については「テ」の一文字だけをあてます。手塩に掛ける、と覚えていただき、漢字変換間違いにお気を付けください。

「天塩」は明治初期の11国時代に国名を選定するにあたり、松浦武四郎がテシホ川(天塩川)を念頭に「天塩国(てしおのくに)」を提案。「テシホ川」「テシヲ川」「テシホベツ」と古文書では記録されてきており、アイヌ語「テシオペッ」つまり「梁・多い・川」の意味とされています。梁とは文字通りではなく、岩場が多いということです。

読み:てしお

天塩(てしお)

苫小牧

胆振管内の東部に位置する北海道の海の玄関口の一つ、苫小牧市。大きな都市なので読めるのが当たり前になっていますが、よく見てみると「とまこまい」とは読めません。「苫」は「トマ」だとしても、「小牧」は尾張小牧で有名な「こまき」の漢字が使われていますから「とまこまき」になるはずです。「とまこまい」と読むなら「苫小枚」を使うべきですが、なぜ「牧」となったかについてははっきりしていません。

「苫小牧」は古い資料では「マコナイ」「マコマイ」と呼ばれ、アイヌ語「マコマナイ」なら「後ろの川」という意味です。明治初期には「とまこまい」を「苫細」と漢字表記。開拓使東京出張所が「苫細」を「苫小牧」に訂正しています。

読み:とまこまい

苫小牧(とまこまい)

稚内

日本最北端の宗谷岬を有する宗谷管内の稚内市。「稚」は「チ」「わかい」、「内」は「ナイ」「うち」などと読みます。「内」は北海道でよく出てくる地名なので問題ないとして、「稚」はそのまま読みません。普通に読めば全体で「ちない」になるはずですが、ここは「わっかない」と読ませます。

「稚内」は「ヤムワッカナイ」「ヤムワッカ」と古い資料で表記されており、アイヌ語「ヤム・ワッカ・ナイ」は「冷たい・水の・沢」ということです。

読み:わっかない

稚内(わっかない)

和寒

上川管内に位置する上川郡和寒町。「和」は「ワ」「なごみ」、「寒」は「カン」「さむい」などと読みます。普通に読めば「ワカン」などとなるのでしょうが、「わさむい」が最も近い読みになります。間に小さい「ッ」を入れて、「寒い」の送り仮名を消せば「わっさむ」になります。「わっ!さむーい」で有名になりました。

「和寒」は文化年間では「ハツシヤム」、その後「ワツシヤム」「ホンワツシヤム」「シイワツシヤム」、漢字は「和参」「輪寒」などと表記されてきました。アイヌ語「ワッサム」は「オヒョウニレの木の・傍ら」という意味です。

読み:わっさむ

和寒(わっさむ)

島名

択捉

北方領土の北東に位置する大きな島、および択捉郡。「択」は「タク」「えらぶ」、「捉」は「ソク」「とらえる」と読みます。普通に読めば「タクソク」になるのでしょうが、とても読めない読み方をします。

「択捉」は郡名を松浦武四郎が決めた際に、「択捉」のほか「柄捉」「獲泥」から選定されました。諸説あり、アイヌ語「エトゥ・オロ・オ・プ(鼻・のところ・にある・岬のあるところ)」という意味とされています。

読み:えとろふ

択捉(えとろふ)

国後

北方領土の根室海峡に面する島、国後郡。「国」は「コク」「くに」、「後」は「ゴ」「コウ」「のち」「うしろ」「おくれる」などと読みます。普通なら「コクゴ」「くにのち」になるのですが、「国」を「くな」、「後」を後志と同じように「しり」と読ませます。

「国後」は「クニシリ」が「クナシリ」「クナスリ」に転じたといいます。諸説ありますが、アイヌ語「クンネ・シリ」は黒い島という意味です。

読み:くなしり

国後(くなしり)

色丹

北方領土にある島、色丹郡。「色」は「ショク」「シキ」「いろ」、「丹」は「タン」と読みます。普通なら「シキタン」になるのでしょうか。でも「色」を「シコ」と読ませます。

「色丹」は「シコタン」、漢字では「志古且」「斜古丹」「支古丹」とも表記されてきました。アイヌ語「シ・コタン」は大きな村という意味です。

読み:しこたん

色丹(しこたん)

歯舞

北方領土のうち根室市納沙布岬の先に連なる歯舞群島。「歯」は「シ」「は」、「舞」は「ブ」「まい」「まう」などと読みます。「シブ」「はまい」と読みたくなりますが、「はまい」になぜか「ぼ」が間に入ります。

「歯舞」は「ハボマイ」「ハボマエ」などと古い資料に記載があります。アイヌ語の「ハ・アプ・オマ・イ」つまり流氷が退くと小島がそこにあるところ、という意味があります。

読み:はぼまい

歯舞(はぼまい)

天売

留萌管内羽幌町の沖合にある天売島。天塩町と同様、「天」を「て」と読ませます。「売」については「バイ」「うる」「うれる」と読みますが、送り仮名なしの「うり」と読ませます。

「天売」は「へうれ」「テウレ島」「テヲレシリ」「テヲリシリ」「テヲリ」「テウリン」と記録されており、「手うれ嶋」「てうれい」とも表記されました。アイヌ語の「テウレ」は「魚の背腸」という意味です。

読み:てうり

天売(てうり)

焼尻

留萌管内羽幌町の沖合にある焼尻島。「焼」は「ショウ」「やく」「やける」、「尻」は「しり」と読みます。「やくしり」とは読めそうですが、「焼」を「やぎ」と読ませ「やぎしり」となるのは難しく感じるかもしれません。

「焼尻」は「ヤキシリ」「ヤンケシリ」「ヤンゲシリ」「ヤンキシリ」「ヤケシリ」「ヤケンシリ」などと表記が見られ、アイヌ語「ヤンケ・シリ」は水揚げする島という意味があるとされます。

読み:やぎしり

焼尻(やぎしり)

いくつ読めましたか?

みなさんはいくつ読めましたか? 北海道の地名のうち、島と自治体名くらいはまず覚えておきましょう。これ以外にも難読地名は数多くあります。次の記事では、さらに難易度の高い難読地名を紹介します。お楽しみに。