北海道余市町から始まった!竹鶴政孝とニッカウヰスキー

 余市町に歴史的な建造物からなる工場を持つ「ニッカウヰスキー」、 そしてその創業者「竹鶴政孝」について紹介します。創業者である竹鶴政 孝(1894年~1979年)は広島県出身で「日本のウイスキーの父」と呼ばれて います。本場のスコットランドに本格ウイスキーづくりの技術を学びに留 学した経験を持っています。

ニッカウヰスキーのはじまり

 1934年7月2日に余市町に「大日本果汁株式会社」が設立されたのが始ま りでした。略称から「ニッカ」の名称になりました。2001年にアサヒビー ルの子会社になり、主に販売業務をアサヒが行っています。しかし、竹鶴 政孝が働いていたのはサントリーでした。

 彼は退職・独立して余市町で創業しましたが、なぜ北海道かというと、 良質なウイスキーを製造するため。ウイスキーの本場であるスコットラン ドに近い気候であったことが最大の要因でした。

 1934年10月に工場が竣工。1935年以降は前述の前身の会社名にあるよう に、余市のリンゴを使った日本初の果汁100%リンゴジュースなどを製造し ていました。理由はウイスキー製造から出荷まで時間がかかるためです。 モルトウイスキー製造を開始したのは1936年でした。

 1940年にいよいよウイスキー出荷・発売(製品名は現在の会社名)、1952 年に会社名を現在の名称に変更しました。同年、本社も余市から東京へ移 転し、余市工場は「北海道工場」(余市蒸留所)になりました。

輝かしい軌跡

 竹鶴は現在の余市高校に竹鶴シャンツェ(ニッカ社員となった笠谷選手に 由来して笠谷シャンツェ)と呼ばれるスキージャンプ台を寄贈。北海道出身 ではなかった創業者竹鶴ですが、その貢献度から1965年には余市町名誉町 民、1970年には北海道開発功労賞を受賞しました。

 ニッカウヰスキーのウイスキーは世界でも認められています。余市モルト は2002年、ウイスキー愛好家の会員組織が頒布用のウイスキーに認定され ていますが、その基準が厳しいため、その当時ではスコットランドとアイ ルランドだけで認定されているだけという狭き門でした。そこに日本のウ イスキーが入り込んだのは快挙でした。また、世界的なウイスキー専門雑誌 「ウイスキーマガジン」でニッカシングルカスク余市10年が2001年ベスト オブイヤーに輝きました。

まとめFAQ

・なぜニッカというの?
 →ウイスキー製造から出荷まで時間がかかるので創業当初は大日本果汁 株式会社と称してリンゴジュースを製造していたから。ウイスキー出 荷時にもその略称を採用した。

・なぜ余市に新会社を設立した?
 →ウイスキーの本場スコットランドの気候に似ており、良質のウイスキー を製造できるから。特に温度、湿度、水の質、良質なピート、澄んだ 空気。だからリタ夫人がやってきたとき故郷のようで喜んだという。

・なぜアサヒビール子会社になった?
 →はじまりは1954年のこと。筆頭株主の加賀証券社長が死ぬ間際にニッカ の株券を朝日麦酒に売却したこと。ニッカの株は大半が現在のアサヒビ ールのものとなり、2001年に全株式取得しついに完全子会社になった。

・創業者はもともと後にライバル会社となるサントリー勤務だった?
 →独立創業前にサントリーで働いていた。新会社がアサヒ子会社に。

・マスコットキャラクターは誰?
 →ローリー卿。冒険家ウォルター・ローリー、またはW・P・ローリー。 公式には不明とされる。

・主なウイスキーの商品は?
 →シングルモルト余市、竹鶴、シングルカスク余市、ザ・ブレンド、 スーパーニッカ、ブラックニッカ、ハイニッカ