日本一の秘境駅「小幌駅」。崖に囲まれ、行けるところと言ったら海だけ。そんな陸の孤島でいったい何をすればいいのか―。そんな疑問を解決すべく、小幌駅周辺の見所スポットをルート別にご紹介します。前のページでは小幌駅とはどんな駅なのか紹介しました。このページでは、小幌駅から行ける3つのルートを詳しく紹介していきます。
(2) 南側の海岸「文太郎浜」に通じるルート
(3) 西側の海岸「美利加浜」に通じるルート
ルート1:小幌洞窟&岩屋観音のある岩屋海岸の入り江へ
駅から南側に続く小道を800mほど、約20~30分進んでいくと小幌洞窟と岩屋観音のある入り江に到達できます。このルートは起伏が激しく、道幅も狭く、片側は断崖という箇所もあり、通行には注意が必要です。
入り江の上まで到達すると、ここからが難関。ロープが結ばれていることから分かるように、急な坂をジグザグと下っていかなければならない区間に入ります。この坂さえクリアできれば、小川の脇を通って、崖に囲まれた入り江(岩屋海岸=カマナタモイ)に到着です。入り江には小屋、船着き場、そして洞窟と鳥居があります。ここは洞爺湖有珠山ジオパークのジオサイトの一つです。
入り江の崖の下にある小幌洞窟には岩屋観音堂があります。通称、首なし観音とも呼ぶ岩屋観音(国土地理院では岩谷観音と表記)は、1666年に僧円空がこの洞窟に立ち寄って5体の仏像を彫って安置。僧はヒグマに襲われた際この仏像の後ろに隠れ難を逃れたのですが、仏像の首を食いちぎられたのが通称の由来です。その後、1894年に泉藤兵衛が修復を行ったと伝えられています。現在も祭礼が9月中旬に行われています。
一方の洞窟。海底火山の影響で洞窟が誕生し、縄文文化早期(約6000年前)には今より海面が高く、洞窟内にも波が入り込んでいたと考えられています。これまでの3度の調査で、中から人骨7体や獣骨、土器などが発掘されており、縄文時代後期以降には人が生活していたことがわかっています。記録としては、1791年に三河の文人・菅江真澄がここに立ち寄った際、近くにアイヌの仮小屋があったことを確認しています。
これらのことからアイヌ語で死体や洞窟を意味するケウポル(ケゥポルオイ)と呼ばれ、「小幌」という地名の由来になったとの説があります。もしそうであれば、小幌という名の発祥地はここの洞窟ということになります。
ルート2:駅から最も近い海岸、文太郎浜
駅から最も早く海岸に出られるのは南進するルートです。200mほど、約10分 草藪の中を下っていくと海に突き当たります。かつてここにあった民宿の主人の名をとって「文太郎浜」と呼ばれています。砂浜というより丸い小石がゴロゴロ転がっている浜で、波が押し寄せるたびにカラカラカラカラと涼しげな音が鳴ります。
ルート3:美利加浜と窓岩を目指して
駅の保線区詰所兼倉庫から西側のルートをしばらく進むと、やはり海岸に出ます。直線の海岸線「美利加浜」です。海岸に孤立して立つオアラピヌイ(立岩)を見下ろす場所からロープなどを使って降りていくため大変危険なルートです。この近くに「小幌仙人」と呼ばれる男性が2000年代まで生活していたこともあり、その住居跡があります。
参考まで、この先には干潮の時だけ通ることができる箇所もありますが、海に突き出したプヨヌプリの窓岩(穴が開いた岩場)からは、その先に続くベカウシ(辺加牛)海岸を望むことができます。大正時代までここにも民家があり、国道までの山道があったとされています。
しっかりと準備をして小幌駅に降り立とう!
簡単に小幌駅周辺のスポットを紹介しました。秘境駅で何もないとされる小幌駅でしたが、意外にも散策できるルートがあり、秘境感を味わえたり歴史を感じられるスポットが幾つもありました。岩屋観音と小幌洞窟のある入り江、文太郎浜や美利加浜といった小幌海岸、すべてをまわると結構時間が必要でしょう。
小幌洞窟を目指すルートは起伏も激しく、片道20~30分程度のため計1時間以上は見ておくほうが良いでしょう。文太郎浜を目指すルートは片道10分程度。この2ルートが初心者にはお勧めで、2時間あれば十分です。
装備の準備も忘れずに。ルートは起伏もあり滑りやすい箇所もあります。ロープで上り下りしなければならないルートもあること、草藪が広がり、マムシが出ることなどを考慮し、長靴を履いていくことをお勧めします。そして本数が少ないため、帰りの列車に遅れずに。
牛山隆信著『秘境駅へ行こう!』の秘境度ランキングで日本一に輝いた日本一の秘境駅「小幌駅」。JRでしか行けないからこそ秘境感が味わえるマニアックなスポットといえるでしょう。いつ廃止になるかわからない小幌駅に降り立ってみませんか?
▼映像で小幌駅探訪!(出演:るみちゃん&ばんくん)
参考文献:豊浦町史、豊浦町教育委員会著秘境「小幌その自然と歴史探訪」