ラーメンといえば、いまや国民食の代表といっても過言ではない食べ物ですね。各町にはラーメンを提供する専門店や食堂が、必ずといってよいほど存在します。
その中で岩内町には、「天ぷらラーメン」というメニューがあるという情報を聞きました。ラーメンの上に天ぷらがのってるものだと、すぐに想像することはできますが、実際に見たり食べたことがないという方は多いのではないでしょうか。
「天ぷらラーメン」を調べてみると、岩内町に数件、さらには近隣の町村、共和町、泊村、倶知安町、積丹町、古平町でも提供するお店があり、その味もさまざまなようです。発祥地である岩内町から近隣に広がったということでしょう。提供するお店のほとんどがラーメン専門店ではなく、蕎麦屋や大衆食堂で提供されているところに、何かしらルーツがありそうです。
どういう味がするのか、また、なぜ岩内町で「天ぷらラーメン」なのか、早速 岩内町に向けて車を走らせました。
創業から60年超、ささや食堂
今回、取材にご協力頂いたのは、「ささや食堂」三代目、佐嶋紀宜さんです。岩内町「道の駅いわない」のそばにあるお店で、取材当日も頻繁に出前の注文が入るほどリピーターの多い、町に根ざした食堂です。
1955年(昭和30年)創業となっていますが、実はそれ以前から食堂や他の経営をしていたそう。以前のお店は1954年(昭和29年)の岩内大火で被災したため、蕎麦に力を入れたお店を翌年に再建しました。そのため、食堂であるものの、定食の他に自家製蕎麦のメニューが充実しています。
メニューを見ると、「土佐犬ラーメン(1,400円)」や「シーカレーラーメン(900円)」など気になる品がいっぱいですが、今回の主旨である「海老天ぷらラーメン(850円)」とはどのようなものか、早速食べてみましょう。
想像を超える味、天ぷらラーメン
見た目はとてもシンプルです。塩ラーメンの上に、豚肉、メンマ、ネギ、中央に存在感いっぱいのエビの天ぷらが2本のっています。一口スープを飲んだ瞬間、この「てんぷらラーメン」が普通のラーメンではないことがわかります。
簡単に「塩ラーメンの上に」と書きましたが、まずこの塩ラーメンがただ者ではありません! お聞きすると、鶏ガラのスープに蕎麦で使用する厚削りの鰹と昆布の出汁を掛け合わせた透明なスープで、出汁の味が際立っているのです。
今までこのような味のラーメンは食べた事がありません。さらにはエビのプリプリ感は元より、その衣のフワフワ感。衣にしみる出汁がエビの味と最高にマッチしています。
あっという間に汁一滴残さず完食。塩味というか、出汁味といったほうがよいでしょうか、全体的にはあっさりとしていて軽めなのですが、食後の満足感の中に高級感まで感じられます。
天ぷらラーメンの発祥
美味なる天ぷらラーメンは岩内町発祥ですが、もともと誰が、どのようにして発案したものなのでしょうか。
佐島さんにお聞きすると、地元の方でも誰が考え出したかは定かではなく、戦後間もない1950年(昭和25年)頃に、大衆食堂でラーメンの上に「かき揚げ」をのせたことから始まっているようです。
ささや食堂では、食材が増えたことや見栄えの良さ等の理由から、1975年(昭和50年)頃にエビの天ぷらに変えていったようです。
では、なぜラーメンに「かき揚げ」をのせたのか……。これも諸説あるようですが、佐嶋さんとお話しする中で、以下のような背景があったのではないかと考えられます。
まず塩ラーメンですが、これは港町特有。確かに北海道の三大ラーメンは札幌の味噌、旭川の醤油、函館の塩であり、港町函館は塩ラーメンが有名です。港町である岩内町の大衆食堂ですから、お客さんの大半は地元の漁師の方が多く、そのほとんどが常連でした。しかし、戦後間もない時期は食堂のメニュー数も少なく、いつも決まったメニューばかりだと、さすがに違うものを食べたくなります。
そこで、例えば一緒に行った仲間内で違ったメニューを頼み、それぞれの具を取り替えたり、店主に頼んで具材を変えてもらったり、常連ならではのメニューにない食べ方をしていたのではないでしょうか。そんな中、「ラーメンにかき揚げをのせる」というお客さんのリクエストや、店主が自ら気付いてメニューに加えていったのでしょう。
そのため、町の大衆食堂に自然発生的にラーメンに「かき揚げ」をのせるようになり広まったと考えられます。これが発案者や時期が定かではない理由ではないでしょうか。
佐嶋さんは、今後も天ぷらラーメンを改良していくと話します。先代から引継ぎ、その時代に合わせて改良し、繋いでゆく食文化。「天ぷらラーメン」は、日本の食文化として誇れる一品ではないでしょうか。