1872(明治5)年に日本ではじめて新橋から横浜間に鉄道が開通したのは日本史を学んだ人なら誰もがご存じでしょう。しかし鉄軌道がはじめて敷かれたのは実は北海道だったということはほとんど知られていません。鉄道が走る前に、なぜ北海道に鉄軌道が敷かれたのかを調べてみました。
●1872年:新橋―横浜間に鉄道開通
●1880年:手宮―札幌間に道内初の鉄道開通
鉄軌道の歴史は炭鉱の歴史
日本ではじめて敷かれたという鉄軌道の一部が展示されているのは岩内町郷土館です。1968(昭和43)年、後志(しりべし)管内の茅沼(かやぬま)炭鉱でレール部分とカナヅチが発見されました。貴重なものなので長く保存してほしいということで寄贈され、岩内町郷土館がオープンした1971(昭和46)年から展示されています。
▼錆びてボロボロになったレールの一部とカナヅチの頭部分
鉄軌道が敷かれた所以をたどってみると、そこから北海道の炭鉱の歴史が見えてきました。お話を伺ったのは、岩内町郷土館の坂井弘治館長と泊村教育委員会の高山誠教育次長です。
1856(安政3)年、漁場であった茅沼の山中で石炭が発見されました。ちょうどその頃、箱館(現在は函館)開港による外国汽船への石炭供給が増大しており、幕府によって開鉱されました。1869(明治2)年には開拓使に引き継がれ、以後官営廃止までの15年ほどは石炭採掘の基礎確立期ともいうべき過程をたどったのです。
▼茅沼炭鉱の跡地
本格的な北海道開発に目を向けはじめた幕府や開拓使は、積極的に外国技術を導入する近代産業の育成策を取りました。初期の茅沼炭鉱の開発には多くの外人雇技師が携わり、西洋技術導入の点では見るべきものがあったと言われてます。しかし、坑口から海岸までの難路を切り開くのは容易ではないだけでなく、石炭の運搬も大変なものだったそうです。
そこでイギリスではすでに実用されていた汽車からヒントを得て、イギリス、アメリカからレールなどを取り寄せ軽便鉄道を走らせることにしました。鉄道といっても軌間約75センチで、運搬道路の上に枕木を並べ、レールを敷き犬くぎを打つだけという簡単なものでした。こうして坑口から海岸までの約20丁間(2,180m)に鉄軌道が施設されたのでした。(諸説有り)
▼茅沼炭鉱鉄軌道の地図(※選炭場から玉川沿いに河口まで敷設されていたとされる。ただしどのルートを通っていたかを詳細に示す資料は見つかっていない)
▼鉄軌道ができたことによって、上りは牛が引き、下りは車(トロッコ)が走った(提供:茅沼炭鉱史)
この後、茅沼炭鉱は経営が官から民に移るなど紆余曲折を経て、1930年(昭和5)年に茅沼から岩内まで架空索道を架設し、それにより運搬方法が変更されました。
▼茅沼から岩内まで架設された架空索道(提供:岩内町郷土館)
それまで使われていた鉄軌道は、架空索道が利用されるようになりだんだんと忘れ去られていきました。現在では、岩内町郷土館に展示されているほんの一部分だけが、北海道に鉄軌道が走っていた唯一の証として残されているのです。
今では鉄軌道があったという事実ですらほとんど知られていない状況。これを機に岩内町郷土館に訪れ、歴史に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
▼レールの一部は貴重な資料として保存されている
参考文献:『岩内郷土研究 余滴』佐藤彌十郎著/『岩内市年譜』岩内町著/『茅沼炭鉱史』泊村著