駅逓所とは何?北海道でなぜ広まったの?

「駅逓所」は「えきていしょ」と読みます。これは北海道開拓時代に、北海道で展開された制度で、きっと道民なら1度くらいはこの名称を聞いたことがあるかもしれませんね。駅……とあるから、鉄道の駅を思い浮かべるところですが、実際はどうなのでしょうか?

駅逓所とは?

メインは、人馬継立、宿泊です。その他に、貨物の運送や郵便取り扱いをするところもあったようです。主に旅人へのサービスを行うための施設であり、現代でたとえて言うならば「道の駅」に近いところがありますが、いろいろな役割を担っていたことがわかります。旅館+運輸+郵便です。地図上の記号は○の中に+マークでした。

北海道開拓初期の時代に、道内各地に駅舎が建造され、全道で200箇所以上もの駅逓所があったとされています。基本的に1郡に1駅あって、隣の駅逓所との距離は4里~5里といったところでした(だいたい十数キロ間隔。中には0.22里という近さのところ、16里というところもありました)。

駅逓所の運営体制とは?

駅逓所には、馬が数頭常備されていたり、人足としても数名いて、次の駅逓所まで送り届けました。当時は鉄道がない時代で、開拓もそれほどなされていない地でしたので、街道沿いに立つこういった施設は、輸送・旅には欠かせなかったといえます。

駅逓所は半官半民・請負制で開設されていきました。運営管理を任された人は「取扱人」と呼ばれ、土地と建物や馬が与えられました。運営にかかる諸経費は、開拓使が廃止されるまでの間は開拓使から提供されていたようですが、駅逓所が増えてくると経費削減も行われたようです。

継立には料金がかかった、というのはあたりまえで、荷物の量の制限や深夜割増、雪害時の料金設定もあったようです。また、人足料金と馬料金も、それぞれ料金が異なりました。

駅逓制度は北海道独自のもの!

駅逓所は、当初は違う名称でした。江戸時代に運上屋、後に会所という似たような制度がありましたが、それが明治時代に廃止されることになった際、北海道では開拓のためにまだまだ必要とされ、継続されることになるといういきさつがありました。そのために駅逓規則も整備されました。

最初は「本陣」と呼ばれ、続いて旅篭屋並、旅篭屋と改称され、最終的に「駅逓」におさまりました。駅逓所を中心として集落が出来上がるというよりは、駅逓所1棟だけポツンとあることも多いのが特徴となっています。

駅逓開設ラッシュは、北海道の開拓とともに最盛期を迎えますが、道内で開拓が進んでくると、今度は鉄道開通が各地で見られるようになり、次第に駅逓所はその役割を失い、閉鎖されていきます。そして最終的に1948年つまり昭和時代前期に、駅逓制度は廃止されることになりました。

今でも見られるの?

駅逓所「跡」を見ることはできますね。ただ、数百もあったという駅逓所のほとんどは跡形もなく、碑が立っていれば良いという状況です。また数は少ないのですが、建物自体を復元しているところもあります。そのほとんどは北海道文化財扱いで、有名な島松駅逓所に至っては国史跡指定となっています。道民なら、一度は道内の最初期の交通の歴史に触れてみましょう。