帯広市の住宅街に、知る人ぞ知る小さな小さな沼がひっそりと存在している。帯広市民でも知らない人がいるほどなのだが、実はアイヌの聖地とされ、かなりの歴史があるそうなのだ。それは「チョマトー」または「チヨマトウ沼」(ただし「トー」は沼という意味)。
チョマトーは帯広市西15条北2丁目の一角、北門神社にある。道路沿いにあるのだが、現在では道路からは生い茂る草木によってほぼ見えない。沼のサイズは、遊歩道を通り一分で一周できるほどの小ささである。木々に覆われ、ホザキシモツケ、サクラソウ、エゾキヌタソウ、エゾノミズタデ、ヤチウグイといった珍しい植物も見られる。
チョマトーはアイヌ語の「チ・ホマ(害を受ける、恐ろしい)」に由来する。1858年3月16日に松浦武四郎が十勝日誌に記したのが最初の記録とされる。かつて周辺は十勝アイヌ最大の伏古コタンであり、チョマトーは国道38号線の南、南1丁目にかけて広がる、大きな三日月湖だったという。その後は次第に小さくなり、沼に合わせ玄武通は大きく湾曲していた。しかし、2004年以降の道路直線化工事に伴い、3分の2が埋め立てられ大幅にサイズダウンすることとなった(道路が沼のちょうど真ん中を貫く形)。(※画像は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」昭和52年度の写真。チョマトーは中央少し上。2004年までこの大きさだった。かつては画像下部の国道38号線の南まで広がっていた)
チョマトーは、1800年頃の古戦場伝説の地とされ、歴史的遺産価値のある史跡である。その伝説は、北見アイヌ(または日高アイヌ)が十勝アイヌを攻撃したことに始まる。その時は十勝アイヌが敗れたが、約70年後の再戦では北見アイヌが劣勢に立たされチョマトーに避難、鳥を捕獲して食べていたところ十勝アイヌに包囲され沼に飛び込んだとされる。「チヨマトウ戦没者慰霊碑」が建立されているのは、それにちなんでいるという。
現在、チョマトー敷地内にはチヨマトウ神社、不動神社がある。また、かつてチョマトーの西半分だった部分、つまり、チョマトーから道路を挟んで向かい側はチョマトー公園の広場となっている。なお、チョマトー隣接の西16条北1丁目には、アイヌに対する同化政策のための北海道庁立第二伏古尋常小学校が1904年から1931年の間存在していた。
今でこそ、西15条北1・2丁目周辺も住宅地が広がっているが、アイヌコタンの時代は原野の時代。沼は本当に小さいサイズになってしまったが、当時どんな場所だったのか想像しながら周辺を散策するのも楽しい。