【安平町】安平町追分市街地にある「鹿公園」。キャンプ場、パークゴルフ場、アスレチックなどを有する公園で、夏場に公園中央にあるホタル池周辺でホタルが見られたり、秋に赤いひまわりが咲いたり、名前の由来にもなったエゾシカ飼育がなされており、町民憩いの場としてだけでなく、自然をたっぷり楽しめる自然豊かな公園です。
そんな「鹿公園」は、実は日本で最も古くに指定を受けた「保健保安林」という一面も持ち合わせています。その歴史は明治時代末期にまでさかのぼります。
そもそも保健保安林とは
そもそも保健保安林とは何なのでしょうか。保安林とは特定の公共目的を達成するために、農林水産大臣や都道府県知事によって指定される森林のこと。指定されると、木々の伐採などが制限され、森林は守られるというわけ。
保安林といっても種類は様々で17種類あり、森林法によると保健保安林はそのうち第10号に分類されます。保健保安林は、保健休養機能(森林レクリエーション活動の場として活用)、生活環境保全機能(空気浄化や騒音緩和など)の役割があります。
理由は不明ながら、開拓時代に原生林を残したいとの動きで実現
鹿公園の保健保安林は、1902年7月3日に国が指定した日本で最も古い保健保安林です。1897年に森林法で保安林制度が設けられましたが、それから5年後に指定されたことになります。なぜ保健保安林指定に至ったのか、はっきりした理由はわかっていません。しかし、安平町によると、当時の事情から見えてくるものがあるといいます。
当時はあたり一帯が広大な原生林の樹海が広がっていました。一方で、開拓時代でもあり、開墾と木材生産が盛んに行われていた時代でもありました。室蘭線の鉄道が開通して間もない時期であり(1892年に追分駅開業、夕張線開通)、夕張線との分岐点として交通の要衝もあったため、機関区が置かれ、鉄道従業員の社宅だけでも100戸を越えていたといいます。
さらに、炭鉱鉄道会社が東洋一と呼ばれるようになるコークス製造場を建設するにあたり、工事関係者も大勢入地してきました。1893年になると、この周辺一帯が官林区域が解除されました。また、1897年に北海道国有未開発地処分法が公布され、大地積無償貸付が可能になったことで、牧場目的の土地貸付者が林木を伐採するなど、造林景気が盛んになっていく時代でした。
このように木々がどんどん伐採されていく開拓時代でしたので、未来のために、伐採から守る森を指定しようという機運が高まったものと考えられています。炭鉱鉄道会社が数多くの従業員とその家族の健康管理のために、従業員社宅に隣接するこの地を保健保安林にしようとしたというわけ。こうして先述の通り、1902年に保健保安林第一号に指定されました。
面積23ヘクタールに100種類以上の樹木が残る原生林
現在も、モミジ、サクラ、ホウの大木、町の銘木・コナラの大木など100種類以上の樹木を現生のまま繁茂した自然景観を残しています。面積は23ヘクタール。アスレチックやキャンプ場のある「萌えの森」は、小動物や野鳥が安心して住みつけるよう、樹種を増やし、実のなる木を植樹するなどしているエリア。ホタルの池のある中央エリア「開拓の森」は、小川のせせらぎと共に、かつての原生の森を復活させ、生態系の豊かなレクリエーションの森に育てる計画。このように、鹿公園内は幾つかのエリアに分かれています。
エゾシカ、ウコッケイやクジャクといった鳥類も飼育されていて、いろいろと楽しめる鹿公園。地元の人たちの努力で保健保安林として守り続けて100年以上の歴史を持つ鹿公園。鹿公園を訪れるとき、そうした歴史を思い描きながら散策したくなります。
▼鹿公園
安平町追分白樺2 [地図]