SL「C11-224号機」が宙に浮いた!
2017年8月6日、旧標津線の転車台に移設する作業が行われ、スタッフが慎重に見守りました。
「今一度、C11-224号機を転車台に置き、自分たちの手で回すこと、そしてこの地域を支えた鉄道の遺産を知り、伝えることで、地域の活気を取り戻すことが私たちの夢です」。そう語るのは、標津町の地元有志を中心に結成された「標津転車台保存会」の会長、篠田さんです。
▼国鉄時代の根室標津駅(1979年頃)
町には駅があり、SLが走っていた
かつて、この町にはJR(旧国鉄)標津線の終着駅、根室標津(ねむろしべつ)駅がありました。
標津線は、1937年の全線開通から約50年もの間、物資輸送と地域の貴重な足として広大な根釧台地を走り続けてきました。しかし1985年、当時の国鉄再建法によって赤字路線の廃止対象となる第2次特定地方交通線に指定。JR北海道に移行した後の1989年、標津線は惜しまれつつ廃止となりました。
根室標津駅構内のはずれにあった手押し式の転車台は、無事解体を免れて保存されていたものの、廃止から30年近くが経ち、雑草が生えて老朽化も進んでいました。
C11-224号機は1941年の新製後、永らく青森県の大湊線などで活躍したのち、1974年に標津線へ配置換え、翌1975年のSL全廃まで貨物列車を牽引して標津線を走った最終グループの1両です。
廃車後は、転車台から約200メートルほど離れた標津町文化ホール横の公園に保存されてきましたが、屋根のない屋外展示では錆などの傷みもひどく、整備が急務となっていました。
クラウドファンディングを活用
「町の産業を支えてきた鉄道の遺産に注目することで、町の産業、文化の活気を取り戻したい」、こう考えた町の有志が集まって「標津転車台保存会」が発足します。
保存会はこれまで、転車台周辺の整備や車体の錆落とし、ペンキを塗るなどの修繕を行ってきました。そして今回、転車台から離れて保存されていたC11-224号機を移設し、転車台に乗せて転回させるというプロジェクトを立ち上げることになったのです。
▼手押し式の転車台とC11-224号機
ネックになったのは、やはり資金の問題です。保存会は、機関車の移設にかかる費用約800万円の一部を、地域での寄付や町、金融機関からの助成で賄うとともに、不足額をネットのクラウドファンディングを活用して支援を募りました。
その結果、7月31日の締め切りまでに31名の有志から約111万円が集まり、クラウドファンディングは無事成功。SLも無事、クレーンとトレーラーによって転車台まで移設できる準備が整いました。
スタッフのチームワークが光る
薄曇りで涼しい風の吹くコンディションの中、いよいよ移設作業が始まりました。
大型トレーラーに積まれたSLは、200メートル離れた公園から転車台横に到着。2台の大型クレーンと作業スタッフによる見事なチームワークで、重量66トンの巨体がふわりと宙に浮きました。まるで銀河鉄道の1シーンを見ているような、滅多に出会えない光景です。
強くなってきた風に多少揺れながらも作業は順調に進んでいましたが、レールに下ろす寸前でクレーンの足場1ヶ所が沈むトラブルが発生。その後無事にリカバリーを終え、移設開始から3時間後、転車台横に整備したレールに見事着地、周りの観客から思わず拍手が起こりました。C11-224号機は42年の時を経て、久しぶりに古巣の転車台へ帰って来たのです。
【動画】大型クレーンによるSLの移設作業
SLの移設成功を祝って、町特産の「しべつ牛乳」
今年は、標津線が全線開通してちょうど80周年の節目。今回の転車台整備、SLの移設は標津町民はもとより、鉄道ファンやかつての旅行者にとっても嬉しいニュースと言えます。
C11-224号機自体は、過去に他の現役SLへ部品を提供した経緯があり、動態復活させることは難しいそうです。しかし、モーターと人力のハイブリッドで車輪を回し、転車台まで移動させることは実現可能だといいます。
10月8日にはお披露目イベントも予定されています。転車台に乗ったSLが手押しで転回する、懐かしい標津線の光景が蘇ることを大いに期待したいですね。
▼「標津転車台保存会」のみなさん
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「最果ての終着駅」ねむろしべつの転車台から、ふたたび蒸気機関車C11-224を送り出したい
※クラウドファンディングは7月31日で受付終了していますが、保存会では引き続き寄付を募集しています。活動を応援したい有志の方は、保存会のページからコンタクトを取ってくださいね。