【福島町】 松前郡福島町は、千代の山・千代の富士という2人の横綱を生み出した「横綱の里」。2人は、町職員の方の名刺にも、「第41代横綱 千代の山」「第58代横綱 千代の富士」の文字が刻まれているほど、町のシンボルとしての存在です。子どもの頃から今も相撲のことはまったく分からない私でも、「ウルフ」として親しまれた千代の富士の、精悍なマスクと引き締まった体には、「かっこいいなあ」と思った記憶があります。
そんな千代の富士の故郷・福島町の『横綱千代の山・千代の富士記念館』を訪れてみたところ、2人の横綱の魅力にノックアウトされてしまいました。
▼記念館前の銅像 千代の富士、千代の山
訪れたのは強めの雨が降る9月の下旬。記念館前に立つ2人の銅像は、水も滴るいい男! 館内に足を踏み入れると、2階に続くスロープ沿いに、2人の横綱が誕生するまでの足跡をパネル展示。2階には各力士にまつわる展示コーナー。化粧まわしや横綱、トロフィーや賞状をはじめとする様々な所蔵品が展示されています。
▼入り口から続くスロープに2人の横綱の足跡を展示。▼右:千代の富士コーナーに展示される賜杯レプリカや国民栄誉賞状など
▼優勝杯、我が子とともに写真に納まる千代の富士。▼右:毎年7月開催。道内や青森県などの小中学生が参加する「千代の富士杯小中学生相撲大会」の写真
千代の富士コーナーと大相撲Q&Aコーナー
スポーツ万能だった、後の千代の富士、秋元貢少年は、千代の山をスカウトした方から、相撲取りにならないかと誘われながら、かたくなに拒否し続けたそうです。そんな少年の心を動かして東京に行くことになったきっかけが、正に千代の山のある言葉でした。
パネル展示の中に見つけることができるその言葉とは!? 千代の富士コーナーに続く廊下には、「大相撲Q&A」のコーナーが。パネルをじっくり見た方なら、このコーナーで出てくる質問の1つ「千代の富士が中学3年の時、九重親方に誘われて上京することになりましたが、その動機は?」にも難なく正解を得ることができるしょう。同じ廊下には、2人の力士と自分の手形重ねて取ることができるコーナーも(1回100円)。
▼大相撲Q&Aコーナー。▼右:2人の横綱と自分の手形を重ねて取れるコーナー
千代の山コーナーには達筆で知られた千代の山の書も
続く千代の山コーナー。筋骨隆々とした体にエキゾチックな顔立ちの、俳優のような雰囲気の千代の山。恵まれた体格と、小学生の頃から、父親の早朝のイカ釣りを手伝う中で培われたという強靭な体力。横綱に昇進してから2年後の場所での成績不振を理由に、自ら異例の「横綱返上」を申し出たといいます。自分がスカウトした千代の富士を幕内力士まで育てた後に闘病生活に入り、51歳という若すぎる最期を迎えました。
▼千代の山の魅力が詰まったパネル。▼右:千代の山が着用したスーツや羽織袴。右端は、達筆の千代の山が書いた九重部屋初代看板
▼達筆で知られた千代の山の書。▼右:整髪後、娘を笑顔で見つめる千代の山
最後に稽古部屋を見学
順路に従って1階に下りると、毎年、九重部屋の夏合宿の際に稽古が行われる部屋が。この稽古は、一般来館者の見学もできるそうです。
▼毎年九重部屋の夏合宿が行われる、館内1階の部屋。▼右:稽古部屋奥のスクリーンには、福島町の紹介や、横綱への家族の思い、後進育成に向けた千代の富士の思いなどが映し出される
数々の展示品や映像を見て一番心に残ったのは、厳しい稽古一筋で生きてきた2人の横綱の、家族との温かい心の交流でした。優勝した力士が、我が子を片手に抱きかかえて写真に納まる姿は馴染み深い印象がありますが、千代の富士が始めたことであることを知ることができる資料も。引退の断髪式で、整髪を終えた後に千代の山が我が子に向ける温かい眼差し。千代の山の奥様は、映像の中で夫について「仕事一筋に生き、家族への愛に満ちた男性」と語りました。
▼『横綱千代の山・千代の富士記念館』ホームページ