どこでもそうですが、遠出の旅行にでもなると、山越えをしなければい
けない、そんなルートが多々あります。札幌を起点にして考えただけでも、
北見・網走方面へは石北峠を超えなければなりませんし、十勝・釧路方面
へは日勝峠か狩勝峠を通らなければなりません。
これら峠名称は、その峠の両側に位置する地名をそれぞれ取って作った
合成地名ですが、石北峠の場合は石狩と北見、狩勝峠の場合は石狩と十勝
という言葉なのは容易に想像がつきます。鋭い人なら、ん?待てよ。とな
ります。
石北峠とは、上川支庁上川町と網走支庁の留辺蘂町の間に位置する峠で
す。
こうしてみてみると他にもぽんぽん出てきます。塩狩峠は天塩と石狩の名
からとった峠です。いずれも峠の地名の由来となった土地からは離れすぎ
ているわけです。
行政区変遷の歴史に着目!
なぜこうも遠い地名を取ってつけたのでしょうか。実は隣同士だったの
です。この過去形が大事です。今の地図を見ても不思議ちゃんです。
行政区の変遷、これが大きな理由になります。かつて北海道開拓使時代
には、北海道は今の支庁制度ではなく、11カ国制度が敷かれていました。
渡島、後志、日高、胆振、石狩、十勝、釧路、根室、天塩、北見、千島と
いう11の国でなっていました。各国境も今とはほとんど異なっていました。
峠の名称もこのときの地名に由来するもので、かつて石狩国と北見国が
となりあっており、その国境にあった峠を「石北峠」にしたわけです。
同様に塩狩峠も天塩国と石狩国の国境、狩勝峠も石狩国と十勝国の国境と
いうようになっていたわけです。
現在は、行政区域も変わっていて、天塩・北見は廃され、石狩という区
域も小さくなりました。それで現在では石狩支庁は十勝支庁と隣り合って
いませんし、網走支庁とも隣り合っていません。ちなみにやけにオホーツ
ク圏に北見から取った地名が多い(北見山地・北見峠・石北峠・釧北峠など)
のも当時は北見国だったからです(現在は主だった地域が網走支庁)。
▼主な旧国名を使った峠名称
狩勝峠……昔は石狩国・十勝国国境、今は上川支庁・十勝支庁境界
日勝峠……今も昔も日高・十勝境界
釧勝峠……今も昔も釧路・十勝境界
塩狩峠……昔は天塩国・石狩国国境、今は上川支庁内
石北峠……昔は石狩国・北見国国境、今は上川支庁・網走支庁境界
天北峠……昔は天塩国・北見国国境、今は上川支庁・網走支庁境界
根北峠……昔は根室国・北見国国境、今は根室支庁・網走支庁境界
釧北峠……昔は釧路国・北見国国境、今は釧路支庁・網走支庁境界