北海道は道路が広く直線道路が多いことで知られています。主要道路の 多くは、町並み形成よりも先に、つまり原野や原生林状態の土地の時代に 開削されており、直線道路ができやすいという歴史的背景があります。と いうわけで国道で日本一長い直線区間も北海道にあるというわけです。そ の国道とは国道12号線の一部です。
国道12号線は道内最大都市札幌市中央区から道内第2の都市である旭川 市までを南北に結ぶ幹線道路です。その途中、美唄市光珠内(びばいしこ うしゅない)の鉄道を越える橋から、滝川市市街地の空知川を越えて国道 38号線との交差点にいたるまでの「29.2km」が日本一の直線区間。間には 空知管内奈井江町、砂川市をはさみ、道の駅ハウスヤルビ奈井江が中間地 点とされます。
●国道12号線日本一の直線距離・美唄のスタート地点
●国道12号線日本一の直線距離・奈井江道の駅中間地点
国道12号線ヒストリー
明治時代、この道路がまだなかった時代、石狩川を船で進む方法が普通 でした。そこで、旭川地方の開拓を早く進めたい北海道庁初代長官岩村通 俊氏によってインフラ整備を急ぐことにしました。手始めに行ったのが、 道路開削というわけ。
この直線区間を擁する町々のあゆみは基本的に以下のような順序です。 まず道路整備が行われ、後に鉄道が開通したり、開拓が行われたことが わかります。
1886年5月~8月 上川仮道路整備
1887年 砂川市街地形成
1887年~1889年 上川道路改修工事
1890年5月 鉄道着工
1891年6月 美唄に屯田兵(第1次)入植し国道沿いに立ち並ぶ
1891年7月5日 函館本線・岩見沢=砂川・歌志内間が延伸開業
まず仮道路を整備しました。これは高畑利宜(たかばたけとしよし)氏に よるもので、月形にあった樺戸集治監の囚人約500人を使って開削したもの。 その区間は三笠の市来知から旭川の忠別太までの87.9kmでしたが、たった 90日間で完成させました。当時幅約2mの道路幅でしたが、すぐに三笠の空 知集治監の囚人を加えて、通りやすいように改修工事が行われました。
さて、直線道路となった要因は、その工事に関する工事復命書にあり、 その中には「可成(なるべく)直線路に為すを主とし」と書かれています。 こうして27.7kmという驚異的な距離の直線道路が誕生したというわけです。 道路網が確立されている今日では、これ以上の記録更新はないものと思わ れます。
29.2kmというのは真実?
ちなみに1990年11月に新空知大橋が開通したため、さらに直線距離が伸 びて、滝川市内の国道38号線交差点までとなりました。この先も国道12号 線(バイパス)が続きますが、この交差点で角度が加わってしまうため、こ こが直線道路の終点となります。バイパス建設時には滝川市内の住宅地の 道路の角度にあわせて建設がなされていますので、そのまま直線を続ける わけにはいかなかったようです。
ところで、そんな日本一長い直線国道としてしられる国道12号線ですが、 直線29.2km区間で微妙なずれが生じている、つまり途中で曲がってしまっ ているというのはあまり知られていない事実。当初の美唄~砂川間27.7km 間は正確そのものですが、後にできた砂川から先の新空知大橋を経て国道 38号線との交点までが、曲がっているとのこと。その誤差は約16mです。 (拡大された地図に定規を当ててみるとわかります)